あなたに使われないまま死んでいくたくさんの才能が

プロテニスプレイヤーの錦織圭選手、全仏オープンで大活躍ですね。

ユニクロのCMだったかな、錦織選手が笑顔で楽しそうにテニスをプレーしている映像があって、なんか本当に楽しそうに、普通の人には出来ないようなことを軽々とやってるんですよね。

まるで、「テニスの王子様」の越前リョーマみたいなプレー(分かる人には分かる?)。

見ていて思ったのは、あんなに自由自在に自分の思い通りにボールが操れたら、それは楽しいだろうなってこと。テニスに限らず、そういうことってありますよね。

出来なかったことが出来るようになるというのは、人生の中でも後々の記憶に残っていく本当に嬉しい瞬間。そしてそれが、回りの人には出来ないようなレベルまでいけたなら、これはもう・・・・・

誰にでも出来ることを、誰にも出来ないくらいやる

先日、伊勢佐木町のイベントで「馬車道ジャズフェスティバル」を見に行ったら、人ってこんなレベルまで到達できるんだって、本当に驚くほど演奏技術の素晴らしいギタリストに出会いました。

ギタリスト

松井祐貴さんというギタリストの方ですが、この人の演奏を見ていて、やっぱり同じようなことを感じました。あー、本当に楽しそうだな、って。

良く耳にする言葉ですが、「誰にでも出来ることを、誰にも出来ないくらいやる」ってのがあります。回りの人よりも抜きん出るために必要なのは、誰にも “出来ないこと” をやることではないよって。

テニスやギター演奏が「誰にでも出来ること」って話じゃなくて、要は小さなことの積み重ねってこと。テニスプレーの動作の一つ一つ、ギター演奏の指の使い方の一つ一つ。これを練習に練習を重ねて洗練させていくこと。

何かを習得するための “練習” ってのは、誰にでもできるけど、その練習の頻度とか深度とかを「誰にも出来ないくらいやる」ってことでしょうね。

何であろうと上手ければ上手いほど楽しい! もちろん人生も

その内に紹介したいなって思ってる最近はまってるマンガがあります。古舘春一さんの「ハイキュー!!」ってマンガなんだけど、その中に一人(自称?)根性無しの選手がいます。

高校バレーを題材にしたマンガで、他のメンバーがみんな素晴らしい活躍をして輝いている中で、一人だけ取り残されている1年生の山口忠くん。

この彼が言うんです。

「俺も あいつらみたいに 自分の身体を操りたい!! ボールを操りたい!! 
強い奴らと対等に戦いたい・・・!!」

もちろん、錦織選手や松井祐貴さんとは次元の違う話だけど、この気持ちもまた良く分かります。だって、テニスだろうが、ギターだろうが、カラオケだろうが、上手ければ上手いほど楽しいから。

そして、根性無しの彼がそう自覚した時から成長が始まるんです。自分は今いる場所で “満足” って思っている限り、そこに成長の余地はありませんよね。

人生も同じかな。自分の人生は自分の責任なんだって自覚したときから、そして自分の人生を自分の思い通りに生きたい、そのために努力するんだって決めた瞬間から成長が始まるんでしょうね。

人生に操られるんじゃなくて、自分が人生を操るんだって。

操り人形

あなたに使って欲しかったのに、今日あなたと一緒に使われないまま死んでいく

山口瞳さんの長編小説「けっぱり先生」に登場する主人公の宮川が、新聞記者の仕事を辞めて学校の先生になりたいと猪俣校長に訴えかける場面があります。彼はこんなことを言います。

「私はレースに参加したいと思ったのです。人生のレースに・・・・・。」

沿道に立って、自分の人生が流れて行くのを見ているだけの “傍観者” から、人生というレースの “参加者” になりたいんだって。

私も含め多くの人は、「いやいや、自分は自分の人生を操ってるよ」って思っているかもしれません。でも、「自分の人生の主人公は自分だ!」って胸を張って言えるかというと、私は・・・・・

このところ何度か紹介している「サクセス・ウィズアウト・リミット」の登壇者の一人、レス・ブラウン氏の話の中に印象に残った言葉がありました。

「あなたが死ぬ時、あなたの死の床を取り囲むたくさんの姿が現れます。あなたの夢や才能が、あなたに使って欲しかったのに、今日あなたと一緒に使われないまま死んでしまうんです」

表に出してあげないと、使ってあげないと、努力してみないと、自分でも気がつかないたくさんの夢や才能が、私やあなたの中に眠ってるんです。早く見つけてくれって願いながら。

隅々まで探してあげたいな。


羽海野チカ 著「3月のライオン」 -- 人生のレースに参加したい

久しぶりにマンガの紹介。羽海野チカ 著「3月のライオン」。

これも、子供から面白いよって言われて読み始め、そしてハマってしまった本。

連載開始から既に6年以上過ぎているのに、コミックスの方はまだ9巻までと非常に遅いスピードで進行しているようです(休載が多くて、実質不定期連載になってるのが原因らしい)。

羽海野チカさんと言えば「ハチミツとクローバー」がとても有名ですが、こっちは6年間で全10巻完結してるんですよね(と言っても、6年間で10巻ってのは、こっちのペースとあんまり変わらないか)。

主人公は、中学生でプロ棋士になり神童と呼ばれる少年桐山零。彼が棲む将棋という世界を舞台に、川本家の三姉妹(あかり、ひなた、モモ)や高校の担任の先生、対戦相手などとの交流を通して心に負った傷の癒し、そして成長が描かれています(完結までまだ何年もかかりそうですが)。

桐山零は事故で両親と妹を亡くし、川本家の三姉妹も母親と祖母を(何らかの原因で)亡くし、父親は家族を捨てて出て行ってしまったという背景の中でストーリーは展開していきます。

ストーリーが面白いのは当然として、心に響いてくる言葉やシーンがたくさんあるんです。そんな中からいくつかを紹介したいと思います。

リングに上がりもしねーで、野次だけ飛ばしてんじゃねえ!

先ずは、川本家のおじいさんが言うこんな言葉から。

恥なんてかいてナンボだ
「失敗した」って事は
「挑戦した」って事だからな

何もやんねーで
他人の事笑ってる人生より
ずっとマトモだ

「なぁに そのうち大人になりゃあいやでも気付くさ」と、おじいさんの言葉は続きます。

どんなヤツでも
一線でやってる人間で
恥をかいた事無いヤツなんて
いねぇってコトにな

同じような事を、(れい君が敵対視する)ある棋士が言うシーンもあります。

タイトル戦に負けてから最近精彩を失くしている棋士のことを、他の棋士たちが揶揄している場に、この棋士が現れて彼らにこんなことを言います。

ふぅん 気楽でいいなぁ
タイトル戦に縁のないヤツは

(人のことより)タイトル戦にも出れずに終わるかもしんない
自分の人生の心配でもしてろよ

彼らがすごすごと立ち去った後の彼の言葉がこれ。

リングに上がりもしねーで
野次だけ飛ばすヤツを見ると
虫唾が走るんだよ

そうなんです。「リングに上がりもしねーで野次だけ飛ばすヤツ」になってはいけないんです。それは、自分の人生の “傍観者” になるってことですから。

もう40年も前の本なのに、強烈に印象に残ってるんです

けっぱり先生別の本のことを思い出しました。私の大好きな山口瞳さんの長編小説「けっぱり先生」です。

手元の本の奥付を見たら、昭和47年発行になっていますので、私が読んだのも40年近くも昔のことですが、未だに強烈に印象に残っているシーンが本の終盤にあります。

新聞記者の宮川は、「仰げば尊し」を歌わない学校があると聞いて、その学校の校長である猪俣先生(通称「けっぱり先生」)に取材を申し込みます。

ここから様々な物語が展開していくのですが、宮川は猪俣校長に「あなたの学校の先生にして下さい」と頼むシーンがあります。そこで宮川はこんなことを言うんです。

「新聞記者も意義のある職業です。私は決して嫌いじゃないのです。(中略)しかし、それは評論家の仕事です。解説者の仕事です。
私はレースに参加したいと思ったのです。人生のレースに・・・・・。

確認のために読み返していたら、私の人生に大きな影響を与えたもう一つの言葉も見つけてしまいました。出所を忘れていたんです。この本は改めて別の機会に紹介しましょう。

話がずれて、思わず長くなってしまいました。もう一つ二つ、軽く。

誰かに頼れる人でないと、誰もあなたに頼れない

れい君が一人で色々と思い悩んでいる時、担任の林田先生の言葉。

一人ではどーにもならん事でもさ
誰かと一緒にがんばれば
クリアできる問題って
けっこうあるんだ

そうやって力をかりたら
次は相手が困ってる時
お前が力をかしてやればいい

世界って
そうやって
まわってるんだ

林田先生は、「あのな 大事な事だぞ」って、力を込めて続けます。

一人でどうにもならなくなったら
誰かに頼れ

でないと実は
誰も
お前にも
頼れないんだ

誰かに頼るのはイヤだって突っ張って生きている人には、心に沁みる言葉です。

多分、多くの人が「人から頼られる人」になりたいって思いながら、でも自分は人には頼りたくないって思いがあるのではないでしょうか。

もちろん、意地であったり、自尊心であったり、それはそれで大切なことなんですが、「時には誰かに頼る」という気持ちの無い人には、人は頼れないというのも真理のような気がします。

うーん、結局2つで既に長過ぎかな。もう少し続けたいので(その2)に続きます。


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