初めて足を踏み入れてみたら、意外や意外!
久しぶりに天気が回復したので、歩いてみなとみらいを散策してきました。実は、10日前に自転車で事故りまして、数日前までは歩くのもままならない状態だったのですが、何とか長距離に耐えられそうな感じになってきました。
果たして、最後まで足がもってくれるのか不安でしたが、あまり怠けていて筋肉が衰えてしまうのも嫌だし、少し無理を承知でのお散歩です。
標識の「臨港パーク」方面へと向かいます。
臨港パークのカモメ。海の色は、いかにも “冬” という感じで冷たく寒そうです。
臨港パークから新港パークを経由して赤レンガ倉庫方面に向かう途中に「工作船展示館」という海上保安庁の建物が有ります。以前から微妙に気にはなっていたのです。工作船って何? って。
2001年末に発生した「九州南西海域工作船事件」で逃走し、海上保安庁の巡視船に追尾されて自爆した船が展示されていました。「工作船」とは、北朝鮮の「工作船」のことだったのですね。
物を作る船とか、小学生が工作で作った船とかが展示してあるのかなって思っていましたが、まったく的外れでした。
「工作船展示館」もそうですが、赤レンガ倉庫も何度も前を通りながら一度も中に入ったことがありませんでした。今日は時間の余裕もあるので初めて中に足を踏み入れてみることに。
なんか、想像していたのとまったく違ってちょっと驚き。もっと昔の感じを残しているのかと思いきや、ごく普通のショッピングモールといった感じです。エスカレーターもエレベーターもあります。
3階部分のテラスに出てみました。冬なので閑散としていますが、季節がいい時期にはここで食事とかもできるのでしょう。目の前にはランドマークなどもあり、夜景も期待できそうです。
一画が特設のアイススケート場になっていました。
入口すぐのエントランスホール。「会議中ですので、お静かに」の看板が。
廊下。昔ながらの電球や天井。やっぱり雰囲気がありますね。
このアーチが時代を感じさせてくれます。
ペリーが乗って来た「黒船ポーハタン号」を描いたステンドグラス。“黒船”って、“黒船” としか認識していなかったけど、ちゃんと名前があったんですね(当たり前か)。
最後は、夜の街である福富町を突っ切って帰宅の途につきました。
果たして、最後まで足がもってくれるのか不安でしたが、あまり怠けていて筋肉が衰えてしまうのも嫌だし、少し無理を承知でのお散歩です。
工作船展示館は想像と全く違っていました
岸根公園の梅もだいぶ咲いてきました。2週間前にはチラホラという感じだった花の数も増え、花びらの色も濃さを増していました。標識の「臨港パーク」方面へと向かいます。
臨港パークのカモメ。海の色は、いかにも “冬” という感じで冷たく寒そうです。
臨港パークから新港パークを経由して赤レンガ倉庫方面に向かう途中に「工作船展示館」という海上保安庁の建物が有ります。以前から微妙に気にはなっていたのです。工作船って何? って。
2001年末に発生した「九州南西海域工作船事件」で逃走し、海上保安庁の巡視船に追尾されて自爆した船が展示されていました。「工作船」とは、北朝鮮の「工作船」のことだったのですね。
物を作る船とか、小学生が工作で作った船とかが展示してあるのかなって思っていましたが、まったく的外れでした。
赤レンガ倉庫の内部も、想像と全く違っていました
赤レンガ倉庫に到着。いつもながら青い空をバックにした赤レンガは映えます。「工作船展示館」もそうですが、赤レンガ倉庫も何度も前を通りながら一度も中に入ったことがありませんでした。今日は時間の余裕もあるので初めて中に足を踏み入れてみることに。
なんか、想像していたのとまったく違ってちょっと驚き。もっと昔の感じを残しているのかと思いきや、ごく普通のショッピングモールといった感じです。エスカレーターもエレベーターもあります。
3階部分のテラスに出てみました。冬なので閑散としていますが、季節がいい時期にはここで食事とかもできるのでしょう。目の前にはランドマークなどもあり、夜景も期待できそうです。
一画が特設のアイススケート場になっていました。
開港記念会館は、まあ、想像通りかな
開港記念会館に到着。工作船展示館、赤レンガ倉庫に続いて、3つ目の “初” 内部探索です。入口すぐのエントランスホール。「会議中ですので、お静かに」の看板が。
廊下。昔ながらの電球や天井。やっぱり雰囲気がありますね。
このアーチが時代を感じさせてくれます。
ペリーが乗って来た「黒船ポーハタン号」を描いたステンドグラス。“黒船”って、“黒船” としか認識していなかったけど、ちゃんと名前があったんですね(当たり前か)。
夜の伊勢佐木町~福富町~帰宅
この後、中華街を散策したり、夕方から友人たちと食事をしたりで、帰る頃には深夜に近い時間に。夜のイセザキモールですが、時間を考えると人の数が多いですね。最後は、夜の街である福富町を突っ切って帰宅の途につきました。