地上10cmの平均台が、地上100mにあると信じ込んでしまうと

5月上旬に東京ビッグサイトで開催された「サクセス・ウィズアウト・リミット」というセミナーイベントに参加したのですが、そこで登壇された多くの方が、更に深くつっこんだセミナーを色々と開催していて、その個別セミナーの売り込みという側面も多分にあったように思います。

海外からの講演者の方々も例外ではなく、数週間後、数ヵ月後に日本でこれこれのセミナーを開催しますから、是非とも参加してみませんか、って。

そのどれもが、結構いい値段なんだな! なので、そんな気はさらさら無かったんだけど、その中の一つについ興味を持ってしまったんですね。

その場でしか申し込めないので結構迷いましたが、結局申し込みました。

我が家にとってはかなり痛い出費なんですが、停滞している現状を何とかしなくちゃって焦りがあり、そのきっかけになってくれればと一大決心(ちょっと大げさ?)したわけです。

ってことで、セミナーの中身を皆さんとシェア出来ればと思っているのですが、まだ自分の中で消化し切れていない部分もあり、少し整理した後でないとちょっと無理っぽい。

なので、前振りの意味も含め、セミナーに絡んで起こったちょっとした出来事を書いてみようかな。

体のどこかに変な力が入ってたんでしょうね

会場でセミナーに申し込んだ特典として、事前勉強用のCDを頂いたんですが、家に帰って中身を見たら、これがなんと13枚セット。時間にして合計14時間弱の大作。

申し込みからセミナー開催まで丸2週間。毎日1枚ずつ聞いていけばいいかと思いながらも、最初の一週間は予想通り(?)サボりました。

直前の1週間で毎日2時間ずつ聞かなければならないはめに。それならジョギングしながら聞けばいいかと、CDの中身をスマホに取り込み、そして2時間のジョギングが日課に。

ランニングしながら

実は、ここ一ヶ月ほど足の調子が悪くて、痛いまではいかないまでも違和感があるって感じで、どうもスッキリとした走りが出来ないでいました。

なので、ゆったりしたスピードとしても毎日2時間を1週間も続けるのは無理かなって危惧してました。ところが、実際に走ってみると7日間の間に足に違和感を感じたことは一度も無かったんです。

これは、想像するに、意識の問題なのかなって。

足の調子が悪いから頑張らないように走ろうと思っても、ついつい頑張っちゃったり、あるいは変な意識が足に知らない内に微妙な負担をかけていたんじゃないかと。

それが、「走ること」が目的ではなく、「CD音声を聞く」ことが目的になった途端、意識(の焦点)が “足” から離れて “耳” に移行した結果のような気がします。

視点を変える、意識の焦点を変える

これまでも走りながらオーディオブックを聞いていましたが、それでも主体はやっぱり「走ること」だったんですよね。それが今回は主体が「聞くこと」で、「走ること」は付帯事項になったんです。

だから何なのよ?って言われてしまいそうですが、うーん、なんて言えばいいのかな、人の “意識” って凄いなって思うんです。

(無意識も含めた)意識が、人の心も体もコントロールしてるんだなって改めて実感。

地上10cmのところにある平均台を渡っていくのは難しくありません。その同じ平均台が地上100mにあるとしたら、大概の人は渡れなくなってしまうでしょう。

足を踏み外したら死ぬという意識が、体を萎縮させ、筋肉を緊張させ、そして実際に平均台から落ちる可能性を何倍にも拡大してしまいます。

高所

意識したことが現実になるんです。実際には、その平均台が地上10cmのところにあったとしても、地上100mなんだって意識してしまえば、その意識の方が優先されますよね。

日常生活においても同じ。何か行動を起こそうとした時、その行動によって引き起こされるかもしれない結果が恐いって意識した途端、体は萎縮し、心はしぼみ、そして1歩を踏み出せなくなり・・・

何度か「視点を変える」という話を書いてきましたが、それって例えば「半分入ったグラスを見て、半分しか残ってないって思うのか、半分も残ってるって思うのか」みたいに捉えていたんだけど、そうか、こういう「視点を変える」ってのもあるんだなって。

「走ること」に向けていた意識を「聞くこと」に変えたように。そして、いつもは恐怖の対象になってしまう平均台に向けてしまう意識を、目線を上げて渡っていく先の目標地点に向けるように変える。

ここで書いた通り、夢を実現したい理由の中心には “自分” がいると思います。 “自分” が~したい、“自分” が~になりたいって。いわゆる、For Me ですよね。

でも、自分のためではなく「誰か他の人のために」といった大義名分を持つことが出来たとすれば、その「自分が、自分が」という意識から離れることが出来るかもしれません。

これも「視点を変える」ってことになりますよね。

(うーむ、書き出したときに想定していた到着地点とは違うところに着いてしまった)



サクセス・ウィズアウト・リミット(5) -- 子どもたちに “見せる” 責任

金持ちになりたい。成功したい。でも、それは何のため? 何のために金持ちになりたいのか、何のために成功したいのか。

その “理由” の中に “自分” しかいないとすれば、もしかしたらその “理由” は弱いのかもしれない。多くの行動や大きな努力という “苦痛” を乗り越えるほどには強くないのかもしれない。

そんな前回のお話の続き。

あなたは、大学教育を受けられる村人の中の唯一の人?

「サクセス・ウィズアウト・リミット」の登壇者の一人にクリス岡崎さんという方がいました。アンソニー・ロビンズの日本人一番弟子だそうです。

彼が「世界が100人の村だったら」という話を始めました。有名な話なので、細部は忘れているとしても「大枠の話は知ってる」って人が多いのではないでしょうか。

世界には63億人の人がいるんだけど、もしそれを100人の村に縮めてみると、何が見えてきますかってお話。一部だけ抜粋してみましょう。

村に住む人びとの100人のうち、

20人は栄養がじゅうぶんではなく、1人は死にそうなほどです。
でも15人は太り過ぎです。

75人は食べ物の蓄えがあり、雨露をしのぐところがあります。
でも、あとの25人はそうではありません。
17人は、きれいで安全な水を飲めません。

銀行に預金があり、財布にお金があり、家のどこかに小銭が転がっている人は
いちばん豊かな8人のうちの1人です。
自分の車をもっている人は7人のうちの1人です。

村人のうち、1人が大学教育を受け、2人がコンピューターをもっています。
けれど、14人は文字が読めません。

もしもあなたが、いやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに、信仰や信条、
良心に従ってなにかをし、ものが言えるなら、そうではない48人より恵まれています。

もしもあなたが、空爆や襲撃や地雷による殺戮や武装集団のレイプや拉致に
おびえていなければ、そうでない20人より恵まれています。

さて、日本に住んでいるあなたはどうですか。栄養は十分ですか。もしかしたら「太り過ぎ」の一員ですか。きれいで安全な水を飲んでますか。家のどこかに小銭が転がってますか。

大学教育を受けられる村人の中の唯一の人ですか、あるいはコンピューターを持っている2人の内の一人ですか。

今が辛くて、大人になっても辛いのなら、この先も生きていく・・・

先日、我が家の三男が財布を落としました。まあ、写真ほど大金は入っていなかったようですが、免許証とか保険証とかクレジットカードとか、失くすと悪用も含めてすぐにも困るようなものばかり。

財布

さすがに東京の街中で失くして出てくることはないだろうと諦めていたのですが、取り敢えず警察には届出を出しておいたら、なんと見つかったんです。誰かが拾って警察に届けてくれたようです。

これって、凄くないですか。日本人ってやっぱり凄いなって本当に感動してしまいました。

もちろん、日本でも日々多くの犯罪が起こっているけれど、空爆やレイプや拉致に怯える世界とは対極にいるって言っても、それほど間違いではないでしょう。

クリス岡崎さんが「世界が100人の村だったら」の話に続けて言ったのは、「“自分” のために豊かになりたいとか、自由になりたいなって言うなよ」って。

もう日本人は十分に豊かだし自由なんだから、と。

“自分” が金持ちになりたい、“自分” が成功したいって、なんか小さくないかい、って。自分だけのこと、自分のためだけに生きているって、人として生まれてきて寂しくないかい、って。

こんな話もしてくれました。クリス岡崎さんの息子さんが(確か)中学生の時、友人である同級生に学校(だったかな?)の屋上に呼び出されたそうです。

そこでその友人は、これから屋上から飛び降りて自殺するので見ていてくれって言ったそうです。一人で死んでいくのは寂しいので、飛び降りるまで一緒にいて見届けてくれって。

友人の彼は、こんなことを言ったそうです。

「今、いろいろとあって辛いんだ。でも、それは我慢できる。人生の一時期に辛いことがあるのは分かるから。でも、回りの大人を見ても、みんな辛そうにしてるんだ。

仕事が嫌だ嫌だって言いながら、でも働かなくちゃいけなくて、全然楽しそうじゃない。今が辛くて、大人になっても辛いのなら、この先も生きていく理由が見つからない」って。

そして彼は、息子さんの見ている前で屋上から飛び降りて自殺したんです。

幸せに生きるのは、大人の責任

クリス岡崎さんは、後で息子からこの話を聞いて、もう本当に怒りを抑えられなかったそうです。子供たちに人生を楽しく生きてるって姿を見せられていない “大人” に。

幸せに生きるのは、大人の責任。生きてるって楽しいって顔をして生きるんだ。

そういう姿を子供たちに見せられていないから、大人が格好悪いから、子供たちが明るい将来を想像できずに、夢を語ることをやめ、そして自殺していくんだって。

このシリーズの初回でも触れましたが、日本での1年間の自殺者数は(厚生労働省が公表している3万人とかではなくて)少なくとも11万人くらいはいるんじゃないかと推測されるそうです。

これって、もの凄い数字です。5分に1人、日本国内で自らの命を絶っている人がいるんです。5分に1人ですよ。1時間に12人。毎日毎日300人もの人が自殺でこの世を去っているんです。

年11万人の自殺者
電車で通勤通学をしている人は、「~で人身事故があった影響で、電車が遅れて運行されています」って車内アナウンスを聞く機会は少なくないでしょう。

もう、そんなアナウンスを聞くのが日常になっているので、それを聞いても特に大きな感慨をもつこともありませんよね。「あー、またか」って。

自分にとってのリアリティがないってのもあるのでしょうが、感覚が麻痺してるのかもしれません。それは、自分とは関係のないところで起こっている事だって。

でも、そうではなくて、やっぱり私たち大人全員の連帯責任なんだと思うんです。

満員電車にギュウギュウに押し込められて、隣の奴がウザいとか、会社に行ったらまた会議だよとか、それはもう苦虫を潰したような顔をする理由はいくらでもあるでしょう。

でも、「この先にはこんな明るい未来が待っているんだ」ってことなら、どうですか? 「そこにたどり着くために毎日こんな通勤電車に乗ってるんだ」ってことなら、どうですか?

心に余裕が生まれ、そして表情が緩み、もしかしたら笑顔がこぼれるかもしれません。逆に言えば、未来に夢も希望もなければ、それはやっぱり暗い顔をするしかないんです。

「こんな明るい未来」って何かと言えば、それが “夢” です。

ってことは、夢を持って生きる、あるいは目的って言葉でもいいと思いますが、達成すべき(達成したい)目的や目標を持って毎日を楽しく生きるってことは大人の責任なんだと思います。

自分の夢に大義名分を持たせる

なんかグルッと回って元に戻ってきたら、自分でもうまい言葉というか表現が見つからないって感じなんだけど、自分が夢を持つってことは、それだけで他の人のためにもなるってこと。

夢って言うと、どうしても「私は、私は」って感じになっちゃうけど、そうだとしても、その夢の実現に向けて行動することは他の人のためでもあるんだ、大人の責任なんだって意識するだけでも、そこにある種の大義名分が生まれてくるんじゃないかと。

うーん、どうだろ? うまく伝え切れていないような気がしますが。

夢の根元にあるのは for ME なんだけど、そこには for YOU も含まれているってことを “自分が” 認識することが大事なんじゃないかな。

上で大義名分という言葉を使いましたが、ある意味、自分の行動にとっての “力” になると思うんです。原動力というか。

前回の、「そこまでして、その夢を手に入れたくはない」という壁を乗り越えていくための大きな力になってくれるんじゃないかと。WANT から MUST に近づくみたいなところでしょうか。

うーむ、まだ上手く伝わっていないかもしれませんが、一旦終わります。


サクセス・ウィズアウト・リミット(4) -- に、触発されて?

少し間が開きましたが、5月8、9日と東京ビッグサイトで開催された「サクセス・ウィズアウト・リミット」(SUCCESS WITHOUT LIMITS)の前回の続き・・・とは、ちょっと違うかな。

今回は、ここ数日、私の頭の中を駆け巡っていること、みたいな感じ。

このイベントのメインゲストは、ニック・ブイチチ(NICK VUJICIC)という(もう本当に素晴らしい)講演家の方です。彼には、両手と両足が生まれつきありません。

What do you want? And WHY?

彼の話はまたじっくりとしたいと思いますが、2日目の最後の登壇者として登場した彼が話の中で繰り返し言っていた言葉があります。それは、

Who are you?
What do you want?
And WHY?

最初の Who are you? というのはとても奥の深い質問なんですが、取り敢えずここでは置いておいて2つ目の質問、What do you want? は、文字通り「あなたの欲しいものは何?」。

「欲しいもの」というのは、ここでは “夢” という一言に置き換えてみましょう。

あなたが実現したい夢は何ですか? どんなものが欲しいですか? どんな人生を送りたいですか? どんな人になりたいですか? ま、こんな感じかな。

そして、問題は3つ目の質問である “WHY” です。あなたは “なぜ” 、その夢を実現したいのか?  “なぜ” 、それを手に入れたいのか?  “なぜ” 成功したいのか?

なぜ? なぜ? なぜ?

why

もしかしたら、シンプルにお金持ちになりたいからとか、だって気持ちがよさそうじゃんとか、あるいは人に認められたいからなんてのもあるかもしれません。

でも、その答えは、あなたの “なぜ” の本当に答えですか?

“そこまでして” 欲しくない

よく、お金持ちになりたいとか、成功者になりたいとか、出世したいとか、みんな言いますよね。でも、そのためには何が必要か?少なくとも、「欲しい!」って言ってるだけでは手に入りません。

どうしても必要なのは、圧倒的な “行動” とか、もの凄い “努力” とかでしょうか。

そしてみんな言うんです。

「少しくらいの行動とか、ちょっとした努力ならしてもいいけど、 “そこまでして” 欲しくない」って。

なぜなら、今もそんなに不幸じゃないし、自分の人生に不満が無い訳じゃないけど、まあそこそこ幸せだし、自分の何かを変えなければいけないのなら、「今のままでいいや」ってね。

うーん、なんて言えばいいのかな? ここに “WHY” の本当の答えは無いと思うんです。表面的な、上っ面の、あるいは見せかけの答えだから、“そこまでして” ってのに負けちゃうんです。

自分の心のどこかにある筈の本当の答え。

私たちは生かされている?

今回のイベントの登壇者の一人でもある池松耕次さんは、セミナーなどで参加者によくこんなことを言います。

「右手を広げて、その手のひらを左胸に当てて下さい。あなたの心臓は動いていますか?そう、動いていますよね。では、その心臓を5秒でいいから止めてみて下さい・・・もちろん出来ませんよね。

自分の意思で心臓を止めることは出来ないんです。でも、この会場にいる人に等しく、そして必ず訪れるって断言できる唯一のことは、いつかはこの心臓が動きを止める時が来るということ。

自分で止めることは出来ない。そして、自分で動かし続けることも出来ない。ってことは、この自分の命というのは、自分で生きているのではなく、 “生かされている” ってことじゃないのか。

生かされているのであれば、『何のために生かされているのか?』を考えてみようよ」

鼓動

何のために自分はこの世に生を受けてきたのか。自分の存在意義とは何なのか。一つの言葉で言ってしまうと、自分の “使命” は何なのか。

自分から始まり、外に向かう?

何も大げさなことを言っているんじゃないんです。地球上から戦争を無くすのが私の使命だとか、地球の温暖化を防ぐためにこの世に生きているんだ、なんてことじゃないんです。

自分が生まれる前よりも、少しでも自分の回りの世界を良くしてこの世を去りたい。「自分の回り」ってのが、例えば自分の家族といった小さな世界でもOK。

少なくとも、スタート地点は自分とか家族なわけです。それがチームとか仲間に広がり、そして会社であるとか、その先の社会であるとか、そんな感じで(広がる人は)広がっていけばいいんです。

でも、その範囲がどれほど小さな範囲だとしても、(自分からスタートして、でも自分だけで終わらず)自分の “外側” に良い影響を及ぼすってことが必要なんじゃないかな。

なんか、自分が金持ちになる、自分が成功する、自分が何かを手に入れる・・・・・これと、使命感といった言葉が持つイメージとは相容れませんよね。

すべて for ME ですから。

最初のニック・ブイチチの質問に戻りますね。

What do you want?
And WHY?

あなたの欲しいものはなんですか? そして、なぜそれが欲しいのですか?

“なぜ” に対する答えの中心に “自分” がいる限り、もしかしたらその答えは “そこまでして” ってのに負けちゃうんじゃないのかな。

いや、もちろん答えの中心に自分はいるんだけど、それが自分で終わらずに、そこから外に向かう必要があるってこと。言ってみれば、for YOU ってこと。

なんかねえ、こういうことを言ったり書いたりしていると、自分のことが偽善者のように感じてしまうんだけど、これは偽善ではなくて、結局は「自分に返ってくる」ってことを、次回続けたいと思います。


サクセス・ウィズアウト・リミット(3) -- 失敗することが快感に?

前回、「サクセス・ウィズアウト・リミット」での望月俊孝さんの講演について紹介しましたが、後半は微妙に話題がずれたかもしれません。ずれたまま、その続きです。

「言葉と感情とイメージ」の3点セットは、人生にとっての大きな武器にも凶器にも成る可能性があるって話でした。

やる前から失敗するのは目に見えているので・・・怖くて怖くて

生きていく中で、「もしこれが出来れば、自分の人生を大きく改善することが出来るって分かっている。でも、それは私の苦手なことで、私には行動できない」 ってことがありますよね。

例えば、社交的になって、初対面の人とでも気軽に話せるようになりたい、みたいな。パーティー会場で人と話せれば楽しいけど、それが苦手だからグラス片手に壁にへばりついている私。

パーティー

なんにしてもそうだけど、(行動を起こすべき時に)行動を起こせないのは、その結果が、あるいは “想像上” の結果(「きっと失敗するだろうな」ってやつ)が怖いから。

失敗して、落ち込んでいる自分の姿を “イメージ” してしまうんですよね。その時に味わうであろう “感情” もありありと感じることができます。もしかしたら、「やっぱり、俺にはできないじゃん」って “言葉” まで聞こえてくるかもしれません。

行動 → 失敗 → 落ち込む=もれなく、否定的な「言葉+イメージ+感情」のトリプルパンチ付き

これだと、まさに凶器ですね。そりゃ、怖いわけで・・・

どんな行動でも、最初は間違いなく失敗するでしょう。これは想像でもなんでもなく、もう間違いなく失敗する筈。だって、初めてやるんですから。人はそれを知っているから行動できないわけで。

やる前から失敗するのは目に見えている・・・でも、それが楽しみ!?

じゃあ、こっちの流れになるとしたら、どう?

行動 → 失敗 → 快感=もれなく、肯定的な「言葉+イメージ+感情」のトリプルプレゼント付き

「何かをやろうと思って行動したら、やっぱり失敗してしまった」

この時、

「失敗かー、でもヤッター、成長したぞ! これでまた一つ、成功への階段を登る事が出来た!」

失敗=快感

って、思うことが出来たなら、人生はどんな風に変わっていきそうですか。もちろん、そんなに簡単な話でないことは重々承知してますが(自分でも実証済み?)。

ただ、前回紹介したスキナーの次の言葉は、こういうことを言ってるんだと思うんです。

何に快楽を連想し、何に痛みを連想するか、が人生の違いなのである。

更にこんな言葉も記しています。

もしあなたが夢の人生を手に入れたいと思うなら、自分の連想体系をコントロールしなければならない。夢の実現や成功に役立つ活動のすべてを、快感と結びつけなければならない。

要は、 “無理やり” にでも、「夢の実現や成功に役立つ活動(の結果、起こるであろう失敗)を快感と結びつけなければならない」ってこと。

あれっ、これって避けるべきことではなく、歓迎すべきことなんだ

発明王エジソンの名言の中にこんなのがありますよね。

私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。

「うまく行かない方法」を見つけるたびに、また一つ成功に近づいたってエジソンは喜んだ?

凡人の私には、微妙に負け惜しみっぽくも聞こえるけど、でも「失敗は勉強」って考え方は真理だと思うんです。失敗してみて初めて分かること、失敗からしか学べないこと、失敗したからこそ成長できることって、間違いなくあるんだと思います。

それなら、 “失敗” を “快感” と結びつけることは可能かもしれないって気がしてこない?

このとき役に立つのが、「言葉と感情とイメージ」の3点セットなんじゃないかなって。

なんて言えばいいのかなー、失敗した状況を、 “肯定的” な「言葉と感情とイメージ」で別のもの(=快感)として自分の中に印象付けてしまう、みたいな感じかな?

これを書きながら思い出したのは、以前紹介した五日市剛さんの「ツキを呼ぶ魔法の言葉」でした。

何か嫌な事があった時に「ありがとう」という言葉を口に出すことで、不幸の連鎖を断ち切り、さらにはどんな不幸と思われる現象も幸せと感じる状況に変えてしまう。

これって、「ありがとう」って言葉を言うことで、自分の潜在意識は「あれっ、これって避けるべきことではなく、歓迎すべきことなんだ」って錯覚するんだと思うんです。

だから、失敗するたびに “肯定的” な「言葉と感情とイメージ」を自分に与えていると、潜在意識の中で「失敗=快感」って結びつきを作り上げてしまうんじゃないのかな。

「ありがとう」は言葉だけですが、それに感情とイメージが助っ人に加わるわけですから、やっぱりこれは強力そうじゃあないですか。

話は分かったとしても、目の前に聳え立つ壁があるんですけど・・・

因みに、 “言葉” は自分の意思で言えますよね。 “イメージ” も自分の中で思い描けばいいわけですから、これも自由自在。では、 “感情” は?

これに関しては何度も書いていますが、感情は(自動的な)条件反射ではなく、自分の “選択” の結果なんです。逆に言えば、感情も自分でコントロール出来るってこと。

「悲しいから泣く」のではなく、「泣くから悲しい」のです。「楽しいから笑う」のはなく「笑うから楽しい」。そう、無理やりにでも笑えば、楽しいって感情は後からついてくるんです。

さらに言えば、「今日も一日、楽しいことがたくさん待ってるぞ」って楽しい一日をイメージしながら、悲しい感情を持つことは出来ませんよね。

言葉とイメージをある方向に向ければ、感情はそれに従うんです(でも、それがマイナス方向でも同じ事が起こるってことも忘れずにね)。

ただし、これまで書いてきた一連の流れには、残念ながら大きな欠点(というか、乗り越えるべき壁)があります。それは、 “失敗” と “快感” とを(潜在意識の中で)結びつけていくには、先に失敗しなければいけないってこと。

この壁を、乗り越えて、乗り越えて、乗り越えて・・・・・

ウッ、オレにできるのか?

そんな時は、アンソニー・ロビンスの言葉を思い出しましょう

怖くてもいいんだ。それでもやるんだ!それが勇気というものなんだ。
そして、怖くなったら “考える” のではなく、Peak Stateになるんだ。

続きます。

サクセス・ウィズアウト・リミット(2) -- 言葉と感情とイメージを

「サクセス・ウィズアウト・リミット」(SUCCESS WITHOUT LIMITS)、最初の登壇者である望月俊孝さんの講演の続き。

望月さん

前回、 “言葉” の持つ力を体を使って体験しましたが、この “力” ってのは肯定的にも働くんだけど、否定的な力も強くて、それが日本の自殺者数が多い遠因ではないかってことでした。

望月さんの著作を紹介した中で、エール大学のある年の卒業生の内、約3%の人だけが明確な目標を持ち、それを “言葉” として紙に書いていたという話を書きました。

そして20年後、この僅か3%の卒業生の資産合計が、残り97%の卒業生の資産合計を上回っていたという調査結果が出たんです。これが、言葉の持つ力ってことですね。

そのイメージを持つことが出来れば、体は(無意識の内に)その気になってる?

さて、 “言葉” にするということは、頭の中にある単なる “考え” よりも明確で具体的になっているということ。そして、言葉よりも更に明確で具体的なのが “イメージ” です。

これが「宝地図」のベースとなるものです。要は、イメージは言葉よりも力が強いってこと。

前回、ネガティブな言葉とポジティブな言葉を口に出した後に、腕を水平に維持しようとする力に変化があるかどうかというセッションを紹介しましたが、今回は「言葉+イメージ」の力を試します。

再び体を使うんですが、今回は1人でやります。先ずは直立姿勢から普通に前屈をして、指の先がどの辺りまで届くかを確認します。

続いて、今度は両足の膝を軽く曲げて、前屈をします。当然、前回よりも指先は床に近づきますので、「うわー、凄い、こんなに柔らかくなった」って言いながら、さっきよりも「目の前に迫った床のイメージ」を脳裏に焼き付けます。

そして3度目の前屈。今度は初回と同じように膝を伸ばした普通の前屈をするのですが、さて指の先は初回よりも床に近づくのでしょうか、って試み。

ストレッチ

これが不思議と初回の時よりも明らかに体が柔らかくなっているんです。

1回目よりも2回目、2回目よりも3回目と体がほぐれてくるというのもあると思いますが、実際の感覚として、膝を曲げて前屈した時の “床が近いイメージ” が影響しているように感じたんです。

そこまで体を曲げることが出来たという(実際にはごまかしの)経験が、今度も同じように出来るんだって、無意識の内に体に作用しているような感覚を持ちました。

膝を曲げて前屈した時に言った「うわー、凄い、こんなに柔らかくなった」という言葉ですが、前半の「うわー、凄い」というのは “感情” を表し、後半の「こんなに柔らかくなった」というのは “イメージ” を言葉にしたものです。

「言葉と感情とイメージ」の3点セットは、人生にとっての大きな武器にも凶器にも成る?

望月さんが講演の中で言い続けていたのは、「言葉と感情とイメージを同じ方向に向ける」ということでした。

この前屈のセッションは、これを擬似的に体験させ、その結果が体にどんな影響をもたらすかを確認する、ってことを目的にしたものでした。

口に出す言葉と、「うわー、凄い」という感情と、「こんなに柔らかくなった」というイメージに、さらに「近づいた床」というイメージを合体させた時、体はその暗示(かな?)に従ったって訳です。

上手く伝えることが出来ていないかもしれませんが、逆の場面を想定してみると理解しやすいかもしれません。

肩を落とし、背を丸めながら、「俺の人生最悪だな」って落ち込んで、電車にでも飛び込むイメージを持ってみたとき、あなたの体はどんな反応をし、心は何を感じてると思いますか。

これを書きながら、この「言葉と感情とイメージ」という3点セットは、もしかしたらメチャクチャ強力なのかもしれないって気がしてきました。もの凄く強力な武器にも凶器にも成りえるんじゃないかと。

あなたが欲しいものはすべて、突き詰めて言うならば感情なのだ

「感情」という言葉を聞くと、すぐに頭に浮かぶのは、ジェームス・スキナーの「成功の9ステップ」という本です。この本、私にとってバイブルのような存在です。

この本の中でスキナーはこんなことを言っています。

感情は人生そのもの。あなたが欲しいものはすべて、突き詰めて言うならば感情なのだ。

「欲しいものはすべて感情なのだ」ってのをもう少し正確に言うと、「欲しいものはすべて快楽という感情なのだ」ってなります。だって、 “痛み” の感情なんて欲しくないから。

絶望の感情

心理学に「快楽と痛みの原則」というものがあって、私たちは常に「快楽」が得られる行動を選択し、「痛み」を避けるための行動をしている、ってこと。

でも、どちらかというと「痛みを避ける」という方が先に来るというか、重きを置いているような気がします。その「痛み」の先に「快楽」があったとしても、先ずは「痛み」の方に思考が向いてしまう。

スキナーは本の中で、こんなことも言ってます。

何に快楽を連想し、何に痛みを連想するか、が人生の違いなのである。

これは、私にとってはとても深いテーマ。もう2年以上もここに引っかかっているんです。

少し長くなりましたが、この話題、もう少し書きたいので、続きます


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