サクセス・ウィズアウト・リミット(4) -- に、触発されて?

少し間が開きましたが、5月8、9日と東京ビッグサイトで開催された「サクセス・ウィズアウト・リミット」(SUCCESS WITHOUT LIMITS)の前回の続き・・・とは、ちょっと違うかな。

今回は、ここ数日、私の頭の中を駆け巡っていること、みたいな感じ。

このイベントのメインゲストは、ニック・ブイチチ(NICK VUJICIC)という(もう本当に素晴らしい)講演家の方です。彼には、両手と両足が生まれつきありません。

What do you want? And WHY?

彼の話はまたじっくりとしたいと思いますが、2日目の最後の登壇者として登場した彼が話の中で繰り返し言っていた言葉があります。それは、

Who are you?
What do you want?
And WHY?

最初の Who are you? というのはとても奥の深い質問なんですが、取り敢えずここでは置いておいて2つ目の質問、What do you want? は、文字通り「あなたの欲しいものは何?」。

「欲しいもの」というのは、ここでは “夢” という一言に置き換えてみましょう。

あなたが実現したい夢は何ですか? どんなものが欲しいですか? どんな人生を送りたいですか? どんな人になりたいですか? ま、こんな感じかな。

そして、問題は3つ目の質問である “WHY” です。あなたは “なぜ” 、その夢を実現したいのか?  “なぜ” 、それを手に入れたいのか?  “なぜ” 成功したいのか?

なぜ? なぜ? なぜ?

why

もしかしたら、シンプルにお金持ちになりたいからとか、だって気持ちがよさそうじゃんとか、あるいは人に認められたいからなんてのもあるかもしれません。

でも、その答えは、あなたの “なぜ” の本当に答えですか?

“そこまでして” 欲しくない

よく、お金持ちになりたいとか、成功者になりたいとか、出世したいとか、みんな言いますよね。でも、そのためには何が必要か?少なくとも、「欲しい!」って言ってるだけでは手に入りません。

どうしても必要なのは、圧倒的な “行動” とか、もの凄い “努力” とかでしょうか。

そしてみんな言うんです。

「少しくらいの行動とか、ちょっとした努力ならしてもいいけど、 “そこまでして” 欲しくない」って。

なぜなら、今もそんなに不幸じゃないし、自分の人生に不満が無い訳じゃないけど、まあそこそこ幸せだし、自分の何かを変えなければいけないのなら、「今のままでいいや」ってね。

うーん、なんて言えばいいのかな? ここに “WHY” の本当の答えは無いと思うんです。表面的な、上っ面の、あるいは見せかけの答えだから、“そこまでして” ってのに負けちゃうんです。

自分の心のどこかにある筈の本当の答え。

私たちは生かされている?

今回のイベントの登壇者の一人でもある池松耕次さんは、セミナーなどで参加者によくこんなことを言います。

「右手を広げて、その手のひらを左胸に当てて下さい。あなたの心臓は動いていますか?そう、動いていますよね。では、その心臓を5秒でいいから止めてみて下さい・・・もちろん出来ませんよね。

自分の意思で心臓を止めることは出来ないんです。でも、この会場にいる人に等しく、そして必ず訪れるって断言できる唯一のことは、いつかはこの心臓が動きを止める時が来るということ。

自分で止めることは出来ない。そして、自分で動かし続けることも出来ない。ってことは、この自分の命というのは、自分で生きているのではなく、 “生かされている” ってことじゃないのか。

生かされているのであれば、『何のために生かされているのか?』を考えてみようよ」

鼓動

何のために自分はこの世に生を受けてきたのか。自分の存在意義とは何なのか。一つの言葉で言ってしまうと、自分の “使命” は何なのか。

自分から始まり、外に向かう?

何も大げさなことを言っているんじゃないんです。地球上から戦争を無くすのが私の使命だとか、地球の温暖化を防ぐためにこの世に生きているんだ、なんてことじゃないんです。

自分が生まれる前よりも、少しでも自分の回りの世界を良くしてこの世を去りたい。「自分の回り」ってのが、例えば自分の家族といった小さな世界でもOK。

少なくとも、スタート地点は自分とか家族なわけです。それがチームとか仲間に広がり、そして会社であるとか、その先の社会であるとか、そんな感じで(広がる人は)広がっていけばいいんです。

でも、その範囲がどれほど小さな範囲だとしても、(自分からスタートして、でも自分だけで終わらず)自分の “外側” に良い影響を及ぼすってことが必要なんじゃないかな。

なんか、自分が金持ちになる、自分が成功する、自分が何かを手に入れる・・・・・これと、使命感といった言葉が持つイメージとは相容れませんよね。

すべて for ME ですから。

最初のニック・ブイチチの質問に戻りますね。

What do you want?
And WHY?

あなたの欲しいものはなんですか? そして、なぜそれが欲しいのですか?

“なぜ” に対する答えの中心に “自分” がいる限り、もしかしたらその答えは “そこまでして” ってのに負けちゃうんじゃないのかな。

いや、もちろん答えの中心に自分はいるんだけど、それが自分で終わらずに、そこから外に向かう必要があるってこと。言ってみれば、for YOU ってこと。

なんかねえ、こういうことを言ったり書いたりしていると、自分のことが偽善者のように感じてしまうんだけど、これは偽善ではなくて、結局は「自分に返ってくる」ってことを、次回続けたいと思います。


お前の生まれてきた役割は何か (by 松陰先生)

今回は、吉田松陰と松下村塾のお話。

松下村塾とは、幕末に長州藩士の吉田松陰が講義した私塾です。もともと、松陰の叔父である玉木文之進が設立したものを、吉田松陰が引き継いだのです。その時の松陰、わずか28歳。

長州藩の藩校である明倫館で塾頭(塾生の指導・監督にあたる人)を務めていた松陰ですから、とにかく優秀な人物だったのでしょう。

松陰が講義したのは僅か1年1カ月たらず

松下村塾の大きな特徴は、武士や町民など身分や階級にとらわれず塾生として受け入れたこと。

藩校の明倫館は、士分と認められた者しか入学できず、町・農民はもちろん、軽輩と呼ばれた足軽・中間なども入学できなかったのとは対照的だったんです。

ただ、松陰がこの私塾を叔父から引き継いでから投獄されて廃止されるまで、松陰が講義したのは僅か1年1カ月という短い期間に過ぎませんでした。

この短期間にもかかわらず、尊王攘夷を掲げて京都で活動した者や、明治維新で新政府に関わる多くの人間を輩出したというのですから、本当に凄いなって思います。

塾生は約50名ほどいたようですが、中でも高杉晋作と久坂玄瑞は、「識の高杉、才の久坂」と称され、「松下村塾の双璧」と呼ばれ、明治維新の大きな原動力となりました。

また、末弟子の伊藤博文は明治維新後の初代総理大臣になり、山縣有朋は二代目総理大臣に。さらに、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、松本鼎、岡部富太郎等々、明治政府の大臣となった人物を10数名も輩出したんです。

お前は何のために生まれてきたのか

山口県の片田舎の若者たちですよ。先に書いた通り、農民の子も、武士の子も、商人の子も、いろんな子がいて、あたり前だけど優秀な人だけを集めたわけではないんです。

山口県東萩

松陰先生は、たった1年1ヶ月の間に、この片田舎の普通の若者たちに何を教えたのか。それは、

お前は何のために生まれてきたのか
お前の生まれてきた役割は何か

ということ。教えたというよりも、気づかせてあげたという方が適切なのかもしれません。

「お前の長所はこういうところだぞ。これから、それを活かして、どう世の中の役に立っていくんだ?」

中には、「そんな、世の中に生まれてきた役割って言われても、私にはわかりません」という門下生も当然いるわけです。そんな門下生に対して、松陰先生は、こう言ったそうです。

「『至誠』を貫きなさい。『至誠』とは、普段やらなければいけないことを、真剣に、本気で、誠意をもってやることだ。そうしたら、いつか自分の役割が必ずわかる」

松陰が残した数々の名言の中に、こんなのがあります。

至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり
(至誠をもって対すれば動かすことができないものはない)

すべての源は志を立てることなんだ

松陰は、こうも言っています。

志を立ててもって万事の源となす
(何事も志がなければならない。志を立てることが全ての源となる)

やっぱり「志」なんです。「志」とは、こうなりたいという “思い” と、普段の “行動” とが同じ方向を向いていることです。

再び、松陰先生からの問い掛け。

お前は何のために生まれてきたのか
お前の生まれてきた役割は何か

この問いに、「そうか、私はこのために生まれてきたんだ!」という志を立てる。その時、人は身分も地位も、能力の差さえも超越していくのでしょう。

これが自分の “使命” を見つけた人の強さなんだと思います

前回の記事を書きながらニーチェの名言を調べていたら、こんなのに出会いました。

世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。
ひたすら進め。

自分の使命に従って生きなさい、ってことですね。


理念と使命の関係を解き明かします

先ずは前回のおさらい。

「目標」を設定するとき、その目標の先に「行動」、そして「結果」という2つの項目があるのは当然ですよね。そのための目標なんですから。

でも、ここだけで完結してしまうと、「結果」が単なる結果だけで終わってしまい、あなたの「人生」という大きな視点から見たとき、もしかしたら回り道をすることになるかもしれません。

これを避けるために、「目標」の手前にある「目的地」を先に決めておくのが有効です。

そして、この「目的地」のことを、ここでは「理念」や「使命」という言葉を使っておきますというのが、前回(まで)のお話でした。

「理念」って何でしょうかねえ?

理念→結果目標を真ん中に置いて、前後の関連を一つにまとめると左の図のようになります。

そして前回は、理念と使命の部分をひとくくりにして「人生の目的」としましたが、今回はもう少し踏み込んでみましょう。

「あなたの人生理念は何ですか?」と聞かれても、すぐに答えられる人は多くはないでしょう。そんなこと考えたこともないというのが、ほとんどだと思います。

理念という言葉、「価値観」という言葉と近いかもしれません。

あなたが人生の中で、何に価値を置いて生きているかということ。

普段の生活の中で大切にしていること。

何かを選択するときの判断基準。

例えば私は、「出来るか出来ないか迷うということは、自分には出来るということ」という言葉を、何かの決断の時に使ったりします。

これは、そのまま選択の判断基準になっていますが、「生活の中で大切にしていること」でもあります。

あるいは「迷ったらやる!」みたいなことに「価値」を置いて生きている、ということなのかもしれません。

「私が大切にしている価値観は『挑戦』です」という人もいるでしょうし、「実践」であったり、「感謝」「努力」など、人それぞれの価値観を持って生きていることと思います。

あなたの「座右の銘」は何ですか?

考えてみたら、「出来るか出来ないか・・・・・」というのは、「座右の銘」になるのかもしれませんね。

「あなたの座右の銘は何ですか?」と聞かれたら、答えられる人はかなりいるのかも。

以前、木村拓哉さんが出演したTVドラマ「南極大陸」の中で、「人は経験するために生まれてきた」というアインシュタインの言葉が使われるシーンがありました。

この言葉、わたし的には結構、心の深いところで感応しました。そういう言葉を「求めていた」という、私自身のその時の心理状態もあってのことだと思いますけどね。

「人は経験するために生まれてきた」

いま考えてみても、やっぱりいい言葉だと思います。力強いですよね。

この言葉が私の座右の銘だとしたら、「何事も挑戦」とか、「失敗を恐れない」とか、「経験に失敗も成功もない」といった、私が大切にしていそうな価値観とか判断基準みたいなものが見えてきます。

こんなアプローチで、自分の人生理念を探ってみてもいいかもしれません。

「理念」からスタートして、そして手にいれた結果は、当たり前ですがあなたの「理念」を反映していますよね。「挑戦」をしたからこそ手に入れることができた結果かもしれませんし、「失敗を恐れなかった」からこそ手にすることができた結果なのかもしれません。

「理念からスタートする」とは、こういうことなのです。

次は「使命」について

「使命」とは、その漢字のままです。「命の使い方」です。「ミッション」とも言いますね。

何のためにあなたの命を使うのか。あなたは何のために生まれてきたのか。

「使命」を持っている人、あるいは自分の「使命」が分かっている人は、強いです。なぜならそのために生まれてきたのですから、外からの雑音なんて全然関係ないんです。もう、まっしぐらです。間違いなく強いですよね。

ただ、自分の「使命」が分かっているという人は、それほど多くはないように思います。私自身も探している最中ですが、まだまだ探す旅が続きそうです。

なので、ニュアンスは少し変わるかもしれませんが、この「使命」の部分を「ビジョン」と置き換えてみましょうか。

「夢」とか「願望」と言ってもいいと思います。将来、「こんな風になりたいなあ」という思いです。

これなら分かりやすいでしょう。40歳までには海外に別荘を持って、1年の半分はそこでのんびり暮らせるようになる、みたいな感じです。

「理念」なんて不要?

前回の説明では、理念と使命をひとくくりにして「人生の目的」としましたが、この「使命」(ビジョン、夢)の部分だけで「人生の目的」としてしまってもOKじゃね?という意見も聞こえてきそうです。

それはその通りなんですが、では夢を実現するために何をしてもOKかと言えば、そんなことはありませんよね。

例えば、人をだましたり裏切ったりして「大金持ちになる」という夢を実現することは可能かもしれません。

でも夢を実現出来たから幸せな人生かと言えば、それはまた別の話のような気がします。

だから、「理念」が必要なんです。あなたが人生の中で大切にしている価値観。


さて、目標設定するための土台は出来たと思いますので、次回から「実践」や「行動」という部分に入っていきましょう。



目標設定する前に「あみだくじ」をイメージしてみましょう

「目標設定」に関連する一連の話を「なんのために目標設定なんてメンドクサイことするの?」という記事からスタートしました。

欲しい「結果」の更に先にある欲しいモノは何ですか

普通、何らかの目標を設定するというのは、例えば「3カ月後に体重を10Kg減らそう」という【目標】を立てると、じゃあその目標を達成するために「毎日5Kmのランニングをする」という【行動】を起こします。

その【結果】として、目標通り10Kgのダイエットに成功する人もいるでしょうし、もしかしたら3Kgしか減量できない人もいることでしょう。

図にすると、こんな感じになります。
目標→行動→結果
でも、その手に入れたい「結果」って、その結果自体が欲しいわけではなく、往々にしてその結果の「先にあるもの」が欲しい場合がありませんか、って話でした。

その結果の先にあるものというのは、例えば10Kgダイエットしてスリムになったら、ステキな彼女ができるかもしれない、ってようなことです。

この「結果の先」の「さらに先」にあるものを、心の深遠(大げさ?)へと探しに出かけると、そこで見つかるのは(いや、見つけるのは結構大変なんだけど、って話はこの辺で書きました)実は最初に設定した【目標】のずっと手前に存在するものだったのです。

目標設定の前に、「目的」を見つけておきましょう

「手前」という表現が少し微妙ですが、これも図にしてみるとこんな感じでしょうか。
理念→使命→目標
この【目標】の左側に位置している【使命】や【理念】というものが、先の「手前に存在するもの」ということです。

「理念とか使命って言葉では知っているけど、実際なんなのよ?」って感想は、私も持ちました(いまでも若干持ってます)。

一番最初に【理念】というものがあって、その次に【使命】というものが来て、そしてやっと【目標】が現れるというのがこの図式なんですが、ここでは理念と使命を一緒にして、「あなたの人生の目的」みたいな言葉にしてしまっても、そんなに間違ってはいないのではないでしょうか。

ここで言いたいのは、目標を設定する前に、「目的」を先に決めて(見つけて)おきませんかということです。

もちろん、結果も目的なんですけど、ここで言う目的とは、もう少し大きな目的のこと、一つ一つの目的が指し示してしている「人生の目的」というようなもののことです。

“当たりくじ”から逆にたどっていくのが一番効率的

あみだくじ
アチーブメントのセミナーでは、この辺りのことを「あみだくじ」を使って説明してくれました。

あみだくじって、図のようなものですよね。上にA~Eの選択肢があって、下には「当り」と「はずれ」が書いてあります。

下の当り、はずれの部分を隠しておいて、「みんな、A~Eのどれを選ぶ」ってやるわけです。

でもこの時、もしも下の当り、はずれの部分が隠れていなかったとしたら、あなたはどの選択肢を選びますか?

「D」ですよね。でもどうやって「D」って決めました?

もちろん、下の「当り」から、あみだくじを上へとたどっていったでしょ。

目標を設定するのも同じだってことです。「人生の目的」が分かっていないと、A~Eのどれを選んでいいか分からないから、カンで選ぶわけです。たまたま「当り」かもしれませんし、「はずれ」の可能性もあります。

でも、最初から「当り」(=人生の目的)が分かっていれば、選択肢(=目標)は明白です。はずしようがありません。

ただ、ここでは「当り」に対して「はずれ」というネガティブな言葉を使っていますが、これ、あくまでも「人生の目的」を達成するということに対しての「はずれ」であって、単独の目標としてみれば、何にしろ「はずれ」というものはなくて、すべてが「当り」なんだと思います。

私の表現力が足りないせいで、変な誤解をしないで下さいね。努力に「無駄」なものなんてないんです。

次回は、少し分かりづらい【使命】や【理念】の説明をしながら、全体の整理をしていきましょう。


<< topページへこのページの先頭へ >>