末次由紀著 『ちはやふる』 -- 世界一になる!

息子宛にダンボールの宅急便が届いた。結構重いなー、なんだろ?って思っていたら、夜になってフタが開いた状態で廊下に置いてあった。

中を覗いて見ると、末次由紀著の『ちはやふる』という少女マンガ。まだ連載中の本作ですが、どうやら既刊の30巻まで、中古本を大人買いしたようです。

ちはやふるダンボール

百人一首競技かるたを題材にしたもので、「面白いマンガ○○選」とかを見ると、確実に上位にランクインしているマンガの一つですね。

いやー、私も以前から気になっていて、いつか読んでみたいなって思っていたんだけど、いざ目の前に来てしまうと、また多くの時間を取られてしまうなって、微妙に困惑感もあって。

なので、フタの開いた段ボール箱を見下ろしながら、決して手に取ってはいけないと自制するも、まあ1巻だけならいいかと誘惑についつい負けてしまい。

ということで第1巻だけしか読んでいないので、中身の紹介ってわけではないんだけど、これは間違いなく面白いだろって予感がビンビンと伝わってくる。

これだったら誰にも負けない!

主人公の千早は小学6年生。一つ上のお姉ちゃんが美少女グランプリで日本一になるのが “私の夢” という女の子。

そのクラスに福井からやってきた転校生が新(あらた)。2人が出会って最初にしたのは “夢” の話。新の夢は、かるたで名人になること。それは即ち、かるたで世界一になるということ。

そんな新がクラスの皆からハブられ、騒動が起きる中で千早が「綿谷くん、かるただったらここのだれにも負けないよ」って叫びます。

そんな千早の思いを、「1枚も取らせない」と受け取る新。その新を見て千早は思うんですね。「これだったら誰にも負けない」なんてもの、あたしは持ってない、って。

この手の流れは、やっぱり大好きだな。

「これだったら誰にも負けない」って、色んな意味でスゴイよね。「私は持っていない」って思う人がほとんどだろうし、そして大半の人が「羨ましい」って思うんじゃないかな。

それは、「これだったら誰にも負けない」ってのは、そんなにも大好きで、そう公言できるほど情熱を注げるものに出会うことが出来たってことだから。

ちょっと極端過ぎる言い方かもしれないけど、その人はそこに自分の “人生” を見つけたってことだと思うから。だからこそ、多くの人がそういう出会いを探し求めてるんだと思う。

私なんかが世界一になれるわけがない

そこそこ好きなものに出会うことは多いでしょう。でも、それに人生を捧げてみようと思うようなものとなると、これは難しいでしょ。

もしかしたら、そいいうものに出合うことが出来たとしても、「これで世界一になる!」って自分に、あるいは周りの皆に対して宣言する勇気を持つことは、さらに難しいかも。

なぜなら大概の人は、そこに “諦め” が入ってしまうから。「どうせ私なんかどんなに頑張ったって、これで世界一になんてなれっこない」って諦観がね。それも始める前から。

これこそが、『斎藤一人の絶対成功する千回の法則』で紹介した「濁った水滴」なんです。心のコップの中に入っている水を濁らしている原因です。

「どうせ私なんかに」って心の中の小さな囁き声が、私たちの人間性を濁らせてるんです。

どうするか? 一人さんの言ってるのは、綺麗な言葉を使うってこと。具体的には「幸せだな~」って、繰り返し繰り返し言う。キッカケなんて、何でもOK。「今日は青空が見れて幸せ」って。

実は、この「幸せだな~」って言った後に、続けていうと相乗効果となって大きなチャンスをもたらす言葉があるそうなんです。それは、こんな言葉。

「やってやれないことはない、やらずにできるわけがない」

さて、ここからが核心です。

「幸せだな~」とか「やってやれないことはない、やらずにできるわけがない」って言葉を言ったからといって、「どうせ私なんかに」みたいなネガティブな言葉が急に無くなるわけではありませんよね。

ということは、「綺麗な水滴」と「濁った水滴」が同時に心のコップの中に注がれるってこと。それなら、「綺麗な水滴」の圧倒的な “量” で「濁った水滴」を凌駕していけば、水は澄んでくるはず。

そう、重要なのは、こうした言葉を声に出す回数なようです。

その回数は1000回。

「千という数字には古くから不思議な力が秘められているのです。なんでもいいから千回続けることができれば、必ずうまくいくものなのです。面白いことに、なんでも千回実行すると神様が力を貸してくれるのです」とは、一人さんの言。

言葉がすべてのスタート地点

神様が手を貸してくれるかどうかは分かりませんが、この千回というのは、私的には「潜在意識に落とし込む」ための回数なのではないかなって思います。

潜在意識

潜在意識ってのは、砕いて言えば「思い込み」ですよね。そして、世の中のすべてのことは、私たちの「思い込み」によって成り立っているんです。

「私にはできない」というのも思い込みだし、「私にはできる」というのも思い込み。

ここで大事なのは、こういった「思い込み」は、「事実」ではなく「虚」なんだけど、それでもこの「思い込み」が私たちの「現実」を決定してしまうということ。

「私にはここまでしかできない」と思えば、そこがあなたの限界だし、「私にはできる」と思えば、あなたの限界はまだまだ先になるわけで。

ヘンリー・フォードの名言の一つ、「本人ができると思えばできる。できないと思えばできない。どちらにしてもその人が思ったことは正しい」も同じことを言ってるんだと思います。

だからこそ、「やってやれないことはない、やらずにできるわけがない」と言う言葉を千回言って、それをあなたの「思い込み」へと昇華させる。

その時、あなたの人生はどう変わりそうですか?

斎藤一人さんは、「たくさんの人が、『考え方を変えなければ、人間を変えることはできない』って勘違いしているけど、それは間違った考え方である」と言っています。

人間の波動は言葉なのだから、声に出している言葉を変えない限り、人間の考え方や行動は変えることはできないんだよ、って。

言葉がすべてのスタート地点だってこと。


ジム・ドノヴァン著 「望みの人生を実現する、単純だけれど重要なこと」

久しぶりに “成功哲学系” の本を紹介しましょう。ジム・ドノヴァン著 「望みの人生を実現する、単純だけれど重要なこと」。

望みの人生を実現する中身的にはとてもオーソドックスな内容で、これ系の本を読めば、至る所に同じような記述を見つけることができると思います。

その意味では、新しい発見を期待出来るような本ではないと思います。ただ・・・・・

同じようなことを以前にも書いていると思いますが、ある本を手にして、買って、そして読むというのは、その本との「出会い」なんだと思います。

ブックオフで、たまたま背表紙の題名に魅かれて手に取ってみた。そこに一つの出会いが生じるわけです。

自分が “探していた” 言葉に出会った時

私の大好きな北村薫さんの「ターン」の中で、主人公の森真希さんが図書館に、ある本を借りに出かける場面があります。そして、その本を本棚に見つけて言うんです。

「待っていたのよ、わたしを」

って。

「図書館の棚に探している本を見つけた時って、よく、そう思う。だって、不特定多数のくるところでしょう。誰に連れ去られたって不思議はない。それなのに、ちゃんといてくれたんだもの」

私も同じような感覚を持ちます。ああ、私と出会うために、ここにいてくれたんだなって。

ただ、ある本を手に取ったからといって、必ずしもその本を買うわけではありませんよね。中身をざっと流し読みし、なんとなく魅かれるところがあって初めてレジに持っていくことになります。

その意味では、本との出会いというよりも、あるフレーズ、ある言葉との出会いなのかもしれません。

そして面白いなって思うのは、その時に自分が置かれている環境だったり、状況だったり、バックグラウンドだったり、要はその時の “心の状態” によって、同じ本を読んだとしても、「出会う」フレーズや言葉は異なってくるということ。

多分、自分が “探していた言葉” を見つけた時、心が動くのだと思います。

今回紹介する本と出会ったのはもう随分と昔のことです。そして、何年かの時が過ぎ、私自身の状況が変わった今、ページを繰ってみると、入って来る言葉が違ったり、同じ言葉でもその受け止め方が変わったなってのをリアルに感じながら読みました。

毎晩、明日の遠足を楽しみにしながら眠りにつく小学生のよう生きたい

ロック歌手のブルース・スプリングスティーンが、ステージの上で思わず叫んだそうです。

「こんなに楽しい思いをしてお金がもらえるなんて信じられないよ!」

どうしたら「人生の目的」が見つけられるか? その答えは、スプリングスティーンのこの言葉の中にありそうです。

自分がごく自然にできること、先ずはそれを見つけてみましょうか。その時、次の3つの質問を自分に投げかけてみると、自分の情熱の対象を見つけやすいかもしれません。
  • 昔からずっと得意だったことはなんだろう?
  • ただ楽しいからしていることはなんだろう?
  • お金は関係なかったらなにをしているだろう?
最近、私自身の “情熱の対象” を見つけたような気がしています。私の場合は逆になりましたが、「これが私の人生の目的」なのかもってことを見つけてから、この3つの質問を自分に問うてみると、どの質問の答えにも当てはまるんです。

ただ、現実的に考えると、3番目の質問の答えがあったとしても、ではそれに向かって突進していけるかというと、「難しい」と言わざるを得ないのではないでしょうか。

以前、この本を読んだ時は、「なるほど、言いたい事は分かるし、正しい道なのかもしれないけど、現実的にはどうなのよ?」って疑問を強く感じていました。

今の私はどうなのか?

正直に言えば、相変わらず疑問符は残ります。「これで食っていけるのか?」ってね。ただ一つ言えるのは、それに向かおうとすることに、自分の “心” が喜んでいるってこと。

大げさに言えば、私の “魂” が喜んでいるってこと。くだけて言えば、ワクワクドキドキしてるってこと。もっと分かりやすく言うと、「毎日が楽しい!」ってことかな。

「こんな風に生きていきたい」って、私の願望の中での大きな一つに、夜、ベッドに入って眠りにつく時、「明日はこんなことをしたい」って、ワクワクしながら眠りたいってのがあります。

毎晩、明日の遠足を楽しみにしながら眠りにつく小学生のように、ね。

自分の「人生の目的」を見つけるってことは、「ああ、そういうことなのか」って、自分で見つけてみて初めて分かったんです。

こういうことは本で読んだからって、“知識” として分かったとしても、“感情” として理解するには、自分で体験してみるしかないですからね。

もしも本当に、「これが私の人生の目的だ!」って確信が持てたとしたなら、それはもう「お金には関係なく」突き進むしかないじゃないですか。

人生で大切なのは、「思い込み」なのかもしれない

「あなたが夢見る人生を思い描いてみよう」という記述があります。例えば、
  • どんな人間関係を望んでいるのか?
  • 自分の健康については? 
  • キャリアやお金には?
  • どんなことを経験してみたいか?
  • 何を手に入れたい?
  • 何になりたい?
こういった質問に、時間をかけてじっくり考え、思い浮かぶことを紙に書いていくのです。あなたが、あなたの人生で手に入れたいモノやコトです。いわゆる「目標」ですね。

「目標を持てば、それを達成したときの気分や、夢が実現した人生の姿を想像するだけで興奮できるはずです」なんて記述があります。

これも、私自身の過去の経験で言えば、「想像するだけで興奮」することはありませんでした。なぜなら、その「想像」にリアリティが無かったからです。

リアリティと言うか、自分がその夢を実現できるという “確信” が無かったということです。確信の無い夢に興奮できるほど私の想像力は豊かではありません。

そして、「私が夢見る人生」を思い描いたものが、以前に紹介した「理想の一日」です。

この記事の中でも書いたことですが、以前は、こういうことを想像しようとしても、自分でもなんとなくウソっぽくて、現実感も無く、従ってディテールなんてかけらも無かったのに、今回は “リアル” に思い描くことができました。

じゃあ、以前の私と、今の私と何が違うのかといえば、(まあ、年をとったとか、少しは成長した?とかありますが)基本的には何も変わっていません。

違うのは、“夢” に対して “確信” を持っているってことだけ。でも、その “確信” が何かに裏付けされているかいうと、そんなものは何も無くて、単なる思い込みに過ぎません。

でも、思い込みだろうと何だろうと、「できる」って思わなければ人は行動しないわけですから、人生で一番大切なのは「思い込み」なのかもしれません。

『銀の匙』のヒロイン御影アキが言ったようにね。

「今は無理でも、そのうち跳べるようになると思う。きっと、ぜったい」


不安も怖れも自信も単なるイメージに過ぎないわけで・・・だったら

前回、中学校の時の国語の先生の行動が、5年後のある日突然、その行動の理由と共に私の脳裏に甦ったという「導入」と、「欲しいもの」が見つかったら、後はそれを手に入れるために “行動” するだけなんだけど、これが難しいんだよねという「前振り」で終わってしまいました。

今回は、いよいよ「本編」です。

“強い願望” が無ければ、それは夢でも何でもない訳で

例えば、ハワイに別荘が欲しいという夢があるとしたら、その別荘を出来るだけ具体的にイメージしてみましょう、なんてのが “成功哲学” 系の本に書いてあります。

どんな間取りで、どんな家具が置いてあって、窓から見える風景はこうで・・・・・みたいな感じ。更に、雑誌などで自分のイメージに合うような写真を探し、切り抜いて見えるところに貼っておこう、とか。

ハワイの別荘

実は、私も(恥ずかしながら)やっていた時期がありました。でも、未だに “夢” は実現していません。それはなぜかというと、文字通り私にとって “絵空事” に過ぎなかったからなんだと思います。

前回も書きましたが、無理矢理これが自分の夢って思い込もうとしても、そこにリアリティ(あるいは、何が何でも欲しいという熱い願望)が無いと、その夢に対して愛着が生まれないんです。

で、どうなるかというと、やってはみたけど、いつの間にか忘れ去られて、という状態に。

頭の中に、欲しいもののイメージが明確にあれば

この「出来るだけ具体的に書き出す」とか、「見えるところに写真を貼っておく」というのは、要は脳の中にその “夢” をインプットする(あるいは焼き付ける)作業な訳です。

曖昧なことや、抽象的なイメージを脳の中に長い期間に渡って保持しておくことは非常に難しいことなので、出来るだけ具体的にしましょうってことです。

そしてその夢が、あなたの脳内で具体的なイメージとして定着していれば、それを実現するための様々なチャンスが向こうからやって来る筈なんです。

少し前に「引き寄せの法則」なんて言葉が流行りました。強く願っていると、自分が欲しているものを自分が磁石になったかのように引き寄せるということです。

もちろん、そういうこともあるんだと思います。でも実際には、私たちの目の前を通り過ぎている膨大な情報(人との出会いとかも含めて)の中から、夢を実現するために必要な情報を脳が “自動的に” ピックアップすることが出来るようになるじゃないかなって、個人的には思いますが。

それもこれも、脳の中に具体的で明確な “夢” のイメージがあればってことですが。

不安も怖れも、そして自信も、すべて単なるイメージに過ぎない

前回、夢を実現するためには、あるいは夢を実現出来るような人に成長するためには、何よりも “行動” が必要なんだけど、それを邪魔する様々な壁が(多くは自分の中に)あるという話をしました。

本題は、その壁をどうやって乗り越えるかという話なんですが、言ってみればこの課題も「ハワイの別荘」と同じように、脳内のイメージの問題としてとらえることが出来ます。

なぜなら、自分の心の(頭の)中にある、行動を邪魔する様々な壁は、全てあなたが作り出したイメージに過ぎないからです。

「自分には出来ない」とか、「失敗したら笑われるんじゃないか」といった、いわゆる不安や怖れといったものですが、これみんな実体の無い、あなたが作り出した自分に対するイメージです。

「出来ない」かどうかも、「笑われる」かどうかも、実際にやってみないと分かりませんよね。やってみて、もし「出来なかった」としても、「笑われた」としても、「それがどうしたの? もう1回やればいいだけじゃん」と思うことが出来れば、そこには何の不安も怖れも存在しようがありません。

ま、いろんな言い方があるけど、ここでは「自信」という言葉を使いましょう。要は、自分に自信があるかないかの話です。

自分には出来るという自信。1度目のトライでダメだったとしても、その次は必ず出来るという自信。あるいは、いつかは必ず出来るようになるという自信。

私に足りないのも自信なんです。

そして、この “自信” というものの実体は何かと言えば、これまた単なるイメージに過ぎません。

自信があるかないかは、具体的な何かを持っているかどうかではないわけです。単に、自分で自分のことをどう思っているかということです。

どちらにせよ実体の無いものなら、今でも、5年後でも同じ?

やっと、今回の本題の核心に近づいてきました。

ハワイの別荘も、「理想の一日」も、自信(が有る無い)も、(ここでは)イメージです。イメージとは、頭の中に自分で作り出した実体のないもの。

5年後になっている筈の「理想の自分」も、少なくとも今はイメージに過ぎません。

いやいや、もしかしたら5年後もイメージに過ぎないのかもしれません。だって、「理想の自分」の最初の項目に掲げた「自信に満ち溢れている」なんて、まさに実体が無いじゃないですか。

それならば。それならばですよ、今この時点で、「私は既に理想に自分になった」って思っても(イメージしても)、あまり変わりは無いんじゃないでしょうか。

これが、よく「成功哲学」系の本にある「もう既に成功しているかのように振る舞う」ということなんだと思います。

まあ、一瞬だけなら簡単ですよね。「私は自信に満ち溢れている」って。でも、これを保持しようとすると、なかなか簡単な話ではないわけです。

だって、実際には自信なんて無い状態なんですから。実感の無い「ハワイの別荘」と同じです。きっと、すぐに忘れることでしょう。

で、どうするか? 

もう少し引っ張ります。核心の核心は次回に。



やってみなけりゃ分からない ----- これも原則、かな

ふとしたきっかけから30年振りにギターを練習してみようかなって思ったわけですが、その「ふとしたきっかけ」ってカラオケなんです。

初秋の富士山遠景

ギターを始めたのも歌、ギターから遠ざかったのも歌

そもそも学生時代にギターを習いたいって思ったのは、弾き語りがしたかったから。そしてギターから遠ざかったのは、自分が音痴だと思ったから。ギターを弾けるようになっても、うまく歌が歌えそうもないなって思うと、自然とギターを手にする日が減っていきました。

で、カラオケです。これもふとしたきっかけなのですが、毎週必ず何曲か歌わなければならない状況になってしまい、「いや、わたし音痴ですから」って逃げることも許されず、仕方なく歌ってみると、「うん? 楽しいかも」って。

当然、うまく歌えてるってことではないんだけど、「もっとうまく歌えたら楽しいだろうなあ」とか、「これまで歌わないから歌えなかったってだけかも」とか、「音痴ってわけではなく練習すれば、もしかしたら少しはうまく歌えるようになるかも」なんてことを思いました。

これまで、飲み会の二次会とかでカラオケって流れになると、出来るだけ避けて通って来ました。カラオケには、苦手っていう意識しかなかったんです。

出来る? 出来ない? どうせ思い込むなら・・・

思ったのは「思い込み」ということ。「思い込み」については、ここを始めに色んなところで触れてきましたが、人生にとって良くも悪くも重要なポイントです。

人間って、「出来る」って思うことしかチャレンジしないんです。心の底から本気で「それは自分には出来ない」って思っていることにチャレンジする人は、まあいないのではないでしょうか(逆に言うと、「やろうか、やるまいか?」って迷っていることは、自分には出来るって思っていることなんです)。

でも、「出来ない」って思うのが思い込みなら、「出来る」って思うのも思い込みです。

どちらも同じ「思い込み」だけど、「出来ない」って思い込んでいたら、そこで思考停止です。そこから先に進むことはありません。

反対に「出来る」って思いこんでいることは、その後に“行動”がついてきます。この差は大きいですよね。「出来る」って思ってやってみたら、やっぱり出来た。私は正しかった、と。

でも、「出来ない」って思っていることには、その後に“やってみる”というアクションがないので、それが本当に出来ないことなのか、もしかしたら出来ることなのかは永久に分かりません。

ほんの少しの考え方の変化が、人生に大きな変化をもたらすかも

私のカラオケもそう。これまで苦手、出来ない、苦痛って思っていたから避けて通って来ました。でも、「やってみないと分からない」んです。実際、(無理やりだけど)やってみたら「面白そう、練習すれば私にもできるかも」に変わったわけです。

現実的に、うまく歌えるようになるかどうかは分かりません。でも、少なくともやってみることを「楽しそう」って思っている自分はいます。

「人生の違いは、考え方の違い」なんです。ほんの少し、考え方(思い込み)を変えるだけで、あなたの人生は大きく変わるかもしれません。

ふとしたきっかけで始めたカラオケ。それをきっかけに、今度は30年近くも離れていたギターに、もう一度挑戦してみようかと思っている自分。それもワクワクしながら。

ギターを再開することで、また新しい出会いや、新しい世界が広がるような予感もしています。

「やってみなけりゃ分からない」。これも私の「生活の中心」に、是非とも加えたいと思います。



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