末次由紀著 『ちはやふる』 -- 世界一になる!

息子宛にダンボールの宅急便が届いた。結構重いなー、なんだろ?って思っていたら、夜になってフタが開いた状態で廊下に置いてあった。

中を覗いて見ると、末次由紀著の『ちはやふる』という少女マンガ。まだ連載中の本作ですが、どうやら既刊の30巻まで、中古本を大人買いしたようです。

ちはやふるダンボール

百人一首競技かるたを題材にしたもので、「面白いマンガ○○選」とかを見ると、確実に上位にランクインしているマンガの一つですね。

いやー、私も以前から気になっていて、いつか読んでみたいなって思っていたんだけど、いざ目の前に来てしまうと、また多くの時間を取られてしまうなって、微妙に困惑感もあって。

なので、フタの開いた段ボール箱を見下ろしながら、決して手に取ってはいけないと自制するも、まあ1巻だけならいいかと誘惑についつい負けてしまい。

ということで第1巻だけしか読んでいないので、中身の紹介ってわけではないんだけど、これは間違いなく面白いだろって予感がビンビンと伝わってくる。

これだったら誰にも負けない!

主人公の千早は小学6年生。一つ上のお姉ちゃんが美少女グランプリで日本一になるのが “私の夢” という女の子。

そのクラスに福井からやってきた転校生が新(あらた)。2人が出会って最初にしたのは “夢” の話。新の夢は、かるたで名人になること。それは即ち、かるたで世界一になるということ。

そんな新がクラスの皆からハブられ、騒動が起きる中で千早が「綿谷くん、かるただったらここのだれにも負けないよ」って叫びます。

そんな千早の思いを、「1枚も取らせない」と受け取る新。その新を見て千早は思うんですね。「これだったら誰にも負けない」なんてもの、あたしは持ってない、って。

この手の流れは、やっぱり大好きだな。

「これだったら誰にも負けない」って、色んな意味でスゴイよね。「私は持っていない」って思う人がほとんどだろうし、そして大半の人が「羨ましい」って思うんじゃないかな。

それは、「これだったら誰にも負けない」ってのは、そんなにも大好きで、そう公言できるほど情熱を注げるものに出会うことが出来たってことだから。

ちょっと極端過ぎる言い方かもしれないけど、その人はそこに自分の “人生” を見つけたってことだと思うから。だからこそ、多くの人がそういう出会いを探し求めてるんだと思う。

私なんかが世界一になれるわけがない

そこそこ好きなものに出会うことは多いでしょう。でも、それに人生を捧げてみようと思うようなものとなると、これは難しいでしょ。

もしかしたら、そいいうものに出合うことが出来たとしても、「これで世界一になる!」って自分に、あるいは周りの皆に対して宣言する勇気を持つことは、さらに難しいかも。

なぜなら大概の人は、そこに “諦め” が入ってしまうから。「どうせ私なんかどんなに頑張ったって、これで世界一になんてなれっこない」って諦観がね。それも始める前から。

これこそが、『斎藤一人の絶対成功する千回の法則』で紹介した「濁った水滴」なんです。心のコップの中に入っている水を濁らしている原因です。

「どうせ私なんかに」って心の中の小さな囁き声が、私たちの人間性を濁らせてるんです。

どうするか? 一人さんの言ってるのは、綺麗な言葉を使うってこと。具体的には「幸せだな~」って、繰り返し繰り返し言う。キッカケなんて、何でもOK。「今日は青空が見れて幸せ」って。

実は、この「幸せだな~」って言った後に、続けていうと相乗効果となって大きなチャンスをもたらす言葉があるそうなんです。それは、こんな言葉。

「やってやれないことはない、やらずにできるわけがない」

さて、ここからが核心です。

「幸せだな~」とか「やってやれないことはない、やらずにできるわけがない」って言葉を言ったからといって、「どうせ私なんかに」みたいなネガティブな言葉が急に無くなるわけではありませんよね。

ということは、「綺麗な水滴」と「濁った水滴」が同時に心のコップの中に注がれるってこと。それなら、「綺麗な水滴」の圧倒的な “量” で「濁った水滴」を凌駕していけば、水は澄んでくるはず。

そう、重要なのは、こうした言葉を声に出す回数なようです。

その回数は1000回。

「千という数字には古くから不思議な力が秘められているのです。なんでもいいから千回続けることができれば、必ずうまくいくものなのです。面白いことに、なんでも千回実行すると神様が力を貸してくれるのです」とは、一人さんの言。

言葉がすべてのスタート地点

神様が手を貸してくれるかどうかは分かりませんが、この千回というのは、私的には「潜在意識に落とし込む」ための回数なのではないかなって思います。

潜在意識

潜在意識ってのは、砕いて言えば「思い込み」ですよね。そして、世の中のすべてのことは、私たちの「思い込み」によって成り立っているんです。

「私にはできない」というのも思い込みだし、「私にはできる」というのも思い込み。

ここで大事なのは、こういった「思い込み」は、「事実」ではなく「虚」なんだけど、それでもこの「思い込み」が私たちの「現実」を決定してしまうということ。

「私にはここまでしかできない」と思えば、そこがあなたの限界だし、「私にはできる」と思えば、あなたの限界はまだまだ先になるわけで。

ヘンリー・フォードの名言の一つ、「本人ができると思えばできる。できないと思えばできない。どちらにしてもその人が思ったことは正しい」も同じことを言ってるんだと思います。

だからこそ、「やってやれないことはない、やらずにできるわけがない」と言う言葉を千回言って、それをあなたの「思い込み」へと昇華させる。

その時、あなたの人生はどう変わりそうですか?

斎藤一人さんは、「たくさんの人が、『考え方を変えなければ、人間を変えることはできない』って勘違いしているけど、それは間違った考え方である」と言っています。

人間の波動は言葉なのだから、声に出している言葉を変えない限り、人間の考え方や行動は変えることはできないんだよ、って。

言葉がすべてのスタート地点だってこと。


『斎藤一人の絶対成功する千回の法則』 -- 笑顔でネガティブ?

斎藤一人さんの本は何冊も読んでますが、これまで1~2冊しか紹介していなかったので、そこにもう1冊加えるべく、『斎藤一人の絶対成功する千回の法則』を紹介してみようかと。

斎藤一人さんが色んな本の中で言っていることは、いつもシンプルなこと。違う言い方をすると、実践しようと思えば、誰にでも、今この瞬間からでも出来るようなことばかりです。

この本のテーマもシンプルで、文字通り「この世はシンプルにできている」ってこと。

笑顔のままネガティブな言葉を言えますか?

例えば “笑顔” 。笑顔には様々な効能があるんだけど、その一つは笑顔でいると自然に考え方が前向きになるってこと。なぜなら、笑顔のままで後ろ向きのことは考えられないから。

笑顔で暗い言葉をしゃべったり、嫌なことを思ったりはできないんです。笑顔とネガティブなことが、その人の中に同時に存在することは中々想像できませんよね。

ね、シンプルな話なんです。

えっ、いつも笑顔でいられるよう状況じゃあ無い? いやいや、楽しいから笑うんじゃあないんです。笑うから楽しいんです。悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなるんです。

笑顔

一人さん流「ノイローゼで自殺しそうな人を助ける最良の方法」なんてのもあります。

「ノイローゼにかかっている人がいたら、焼肉屋に連れていって、脂の乗ったカルビにニンニクをタップリ乗せて食べさせるのです。ニンニク臭い息をして、口の周りを脂だらけにしている人の顔は、ノイローゼに似つかわしくありません。ちょっと考え難い取り合わせです」

なんでこれでノイローゼが治ってしまうかというと、考え難い取り合わせは、この世で存在することができないから。そう、笑顔とネガティブイメージと同じことなんだよって。

「病は気から」って言葉もあるくらいだから、一人さんの治療法(?)も、あながち間違いとは言い切れないんじゃないかな。

自分の心をコップ一杯の水としてイメージしてみる

“気” って “心” ですよね。では、人間の心って、どれくらいの大きさだと思いますか?

人によっては無限に広がっているように思う人もいるでしょうし、そもそも大きさという概念が当てはまらないって考え方もあるでしょう。

一人さんの意見は、「心の大きさは、おそらくコップ一杯程度」とのこと。そして、このコップの中には水が入っているそうです。

この水が人間の心そのものだと考えてみてください。その人の性格や人間性は、この水によって決まってくるのです。清らかに澄んだ水なのか、それともドロドロに濁った水なのか。

コップの水

実を言うと、ほとんどの人の水は濁っているそうです。なぜなら、気がつかないうちに自分や自分の周りの人が、常に濁った水を自分のコップに垂らしているから。

濁り水とは、それまで自分が口にしたり、心で思ったり、あるいは自分に向けられてきた諦めや絶望、妬みなどの言葉のこと。

「私は本当にダメな人間だなあ」
「自分には何も出来ない」
「あ~あ、お金がないなあ」
「あいつのせいで、うまくいかないんだ」
「俺なんかこの世からいなくなっちゃった方がいいんだ」

私たちの心のコップには、水が満々と入っています。自分に向けて声を出したり、周りの人からの言葉を耳にするというのは、このコップに滴を垂らしているようなものなのです。

当然、コップから水が溢れてこぼれます。この溢れた水が、その人の人間性そのものを表している。

溢れた水は、その人の表情であったり、態度や行動になります。立ち居振る舞いや仕草、そして言葉となって出てくるんですね。

コップの水が濁っていれば、溢れる水も濁った水でしょう。もし「妬み」という濁った水で満たされたコップを持っていたら、溢れてくる水もまた「妬み」なのです。

「幸せだな~」って言うのに、特に理由なんていらない?

千回の法則心のコップが濁り水で満たされている間は、決して幸せになれません。幸せになるために先ずしなければならないことは、この濁り水を澄んだ水にすること。

どうすれば濁った水がきれいになるのかというと、きれいな水を垂らし続けるのです。

現実世界と同じこと。そして、とってもシンプルな話。

きれいな水を垂らしても、初めのうちは濁った水が溢れてきますが、それは仕方がありません。

それでも垂らし続けていると、いつの間にかコップの水がきれいになっています。

心のコップに垂らすこのきれいな水は何なのかといえば、もう分かりますよね。きれいな言葉を一滴ずつ辛抱強く垂らしていく。つまり、きれいな言葉を口に出していくのです。

きれいな言葉を使えば幸せになれる。汚い言葉を使えば不幸になる。これが、一人さんが言うところの「人生はシンプルにできている」ということなのです。

具体的にきれいな水というのは、どんな言葉なのか? 一番分かり易い言葉は、これ。

「幸せだな~」

幸せになりたいと思ったら、「幸せだなあ」と声に出してみる。この言葉がコップに垂らすきれいな一滴の水なんです。

言葉はエネルギーです。文字通り、物理的なエネルギーということです。口から出た言葉は、エネルギーになって天空を駆け上り、星にあたって再び自分の元に戻ってくるんです。

「幸せだな~」と声に出せば幸せが、「ありがたいな~」と言えばありがたいことが自分に返ってきます。それも、水の波紋のように、何倍もの大きさになって返ってくるのです。

因みに、逆もまた真なので、これは本当に要注意!

ここでも大事なのは、何かのキッカケがあって「だから幸せだな~」ではなくて(もちろんキッカケがあってもいいけど)、唐突に「そういえば、オレッて幸せだよなあ」と言うことです。

幸せだから笑うのではないのです。笑うから幸せになるのです。



小俣治郎著 『15歳からの成功哲学』 -- 斎藤一人さんの教え

前回、喜多川泰さんの 『君と会えたから・・・・』 を紹介した際、「お金を儲けるということは『ありがとう』を集めるということ」という捉え方が本当に興味深いなって思ったんです。

このフレーズでなんとなく思い出したのは、斎藤一人さんのこと。

以前、斎藤一人さんの『微差力』という本を紹介した際にも書きましたが、「銀座まるかん」の創設者で、1993年~2004年まで(以降、公表されなくなった)の個人納税額12年連続ベスト10入りという日本新記録を打ち立てた方です。

15歳からの成功哲学この斎藤一人さんの言葉を紹介する形でまとめた、小俣治郎著『15歳からの成功哲学』という本があります。

その中に、こんな記述がありました。

商売をしてて、ずっと赤字が出ているんだとしたら、それは人に喜ばれていないという非常にシンプルな事実を突きつけられているだけなんだ、って。

「人に喜ばれるものを提供していたら、最終的には赤字なんてなくなっちゃうの。そのうち、ほったらかしておいても黒字が出るようになってる。ホントに喜ばれるものを作ったとき、商売はうまく行く。ところが、たいがい、人を喜ばせることが先じゃなくて、利益が先だと思うから、それができない」

仕事の真髄は、人を喜ばせることが先ってこと。喜ばせることに全力を傾ける。それを常に考えていることが必要なんだってことですね。

このところ、ビジネス系のセミナーに何度か参加しているのですが、その中で講師の方が特に一つのことを強調して言われていました。それは、

「ビジネスとは、お客様の問題解決」

ってこと。お客様が持っている問題を解決することで、お客様に喜んでもらう。その結果としてお金が入ってくる。

ま、言われてみればどれも当たり前の話なんだけど、改めて具体的な言葉として伝えられると、理解していた積りでいたのに、それが結構曖昧な理解だったなってのが良く分かった。

何となく理解していただけ。あるいは、全然理解していなかったかも。もしかしたら、「ビジネス=お金儲け」みたいな考えが先ず最初にあったかもしれない。

斎藤一人さんの言うところの「利益が先」って意識ですね。

そう言えば、このビジネス系のセミナーで講師の方の(セミナーの中身は勿論なんだけど)話し方というか、参加者とのやり取りのスマートさに感心してしまいました。

講師が参加者に何らかの質問を投げかけるという場面は珍しくありませんよね。で、指名された参加者が回答すると、それが間違っているということも珍しくありません。

そのとき、講師はどう対応するか? もちろん、ほぼ全ての講師の方が上手く流したり、正解へと誘導したりと、特に違和感(やな感じ)を受けることはほとんどありません。

今回出合った講師の方のやり方は、「違和感を感じない」ってのを通り越して、そのやり取りを見ているのが「気持ちいい」とさえ感じたんです。

もちろん、話力の問題もあるでしょう。でも、それだけじゃないような気がします。

じゃあどういうことなのかって聞かれると、上手く説明できないけど、敢えて言葉にすると「私の答えも(間違っていたけど)キチンと受け取って貰えた」みたいな感じでしょうか。

先日、テレビか何か忘れちゃったけど、「人が赤ちゃんから幼児になる過程で(それ以降もかな)、親から最も多く言われる言葉は『ダメ』ってこと」みたいな話が耳に入ってきました。

赤ちゃんから幼児になって自分で何かが出来るようになった途端、親は「~しちゃダメよ」って言い始めるんですね。これは、子を持つ親として頷かざるをえません。

私たちは、物心つくころから、この「ダメ」って言葉を、それこそ無数に聞いてきているはず。ある意味、生きていく上で最も “なじみ” のある言葉かもしれません。

ダメ

斎藤一人さんは、世間の大人と違って「ダメ」を一切言わないそうなんです。

「なるほどね、それはそうだよな」と受け止め、その上でこんな言い方をします。

「他にも、こういう考え方はできないかい?」
「こういうやり方もあるんじゃないの?」

相手の意見を頭から否定するのではなく、先ずは受け止める。

いや、頭で分かってるんだけどね。中々うまく出来ることではないんですよ。どうしても “我” がでてしまうから。これをサラッと出来る人は、本当に尊敬します。

先のセミナーの講師の受け答え方に「気持ちよさ」を感じたのは、やっぱり「キチンと受け止めてもらった」という感覚が、参加者にストレートに伝わってきたからじゃないのかな。

本書の中で、斎藤一人さんにとって「愛」とは「思いやる心」だって書かれていますが、それは、言い換えれば「どうしたら、この人を楽しませることができるか」ということに直結しているとのこと。

セミナーをやっている講師にとって、そのセミナーはビジネスです。セミナーをやることによって、参加者が抱えている問題を解決するのが目的ですから。

一方で、講師の方には「どうしたら、この人たちを楽しませることができるか」という思いも必要でしょう。冒頭の「人に喜ばれるものを提供する」、って話にも通じますしね。

そして、参加者からの(間違った)解答を「キチンと受け止める」ためには、根底に「思いやる心」が必要なようです。

こうやって考えていくと、ビジネスってのは、突き詰めていくと「愛」に行き着くのかもしれません。

うむ、本の中身もほとんど紹介せず、アチコチとまとまりの無い話の結果が、こんなベタな感じの終わり方になってしまうとは。


tag : 斎藤一人

相田みつを書、佐々木正美著 「育てたように 子は育つ」

前回、マツダ ミヒロさんの「魔法の質問」の紹介の中で、「自分の弱点を受け入れる」という話を書きながら、相田みつをさんの詩を思い浮かべていました。

相田みつをさんが 『にんげんだもの』という書画集を刊行されたのは、もう30年も前のこと。

つまづいたって
いいじゃないか
にんげんだもの

失敗するのも人間、弱さがあるのも人間。「人はみな不完全である」という考え方。

どんなに失敗しないように頑張っても、どれほど自分の弱点を克服しようと努力しても、私たちはどこまで行っても不完全なままです。そして、そのままで素晴らしいってこと。

自分は60点だけど、この人は50点だし、あの人は80点だな・・・・・

相田みつを書、佐々木正美著の「育てたように 子は育つ」という本を買ったのはずいぶんと昔のような気がします。まだ、わたし自身が子育てに悩んでいた頃でしょうか。

育てたように児童精神科医である佐々木先生が、相田みつをさんの書の中から育児に関係の深い言葉を選び、それをエッセーの形で紹介している本です。

その中で、こんな詩が紹介されています。

にんげんはねえ
人から点数を
つけられるために
この世に生まれて
きたのではないんだよ
にんげんがさき
点数は後

自分で自分のことを60点だと思い、この人は50点だし、あの人は80点だなんてことを考えてるから、心が濁って来て、見えるべきものが見えなくなってしまう。

「人はみな不完全である」ということを、自分の弱点も含めて自分という人間なんだってことを、心から受け入れた瞬間に、そのままの私でいいんだ、「そのままの私でも100点満点」だし、「あなたはあなたのままで素晴らしい」ってことが、心の中に入ってくるのでしょう。

累積納税額日本一の斎藤一人さんは、「人が “すること” はすべて78点が最高」って言ってます。

一人さんは、よくパーティーを開くそうですが、パーティーというのは誰が開いても完璧にしようとします。ところが、実際にはなかなか完璧にはいきません。

パーティー

でも、それでいいのです。完璧にいくものなど、この世にはないのですから。最高にうまくできたと思っても、現実には78%にしか達成していないそうです。いつも22%は残ってしまいます。

でも、それでいいんです。残った22%は、次のステップで解決すればいいのですから。

次のステップのスタート地点から、また78%を達成。つまり、人間のやることには無限に続く22%の改善点があるってことのようです。

人はみな不完全だから失敗するのは当然だし、この世には完璧なものはないし、いつも何かが欠けて、どこかがうまくいかないから、改善されていくし、だからこそ未来は必ず明るいのです。

失敗する自分(←にんげんだからね)を、そして自分の思い通り行動してくれない他人(←にんげんだからね)を受け入れることが出来たなら、そこからまた違う世界が見えてくることでしょう。

1000回失敗することを目標にしてごらん

ずいぶん昔の話で恐縮ですが、(当時)ダーツ女性部門で世界2位(実質的には世界チャンピョン)になった女性の話を聞く機会がありました。

彼女は、ボディボード(だったかな?)をやりたくて、ご主人と一緒に茅ヶ崎(海に近い)に焼肉レストランを開店し、子育てをしながら、そのレストランを行列のできるお店にしたそうです。

そんな日々の中、フッと「私は焼肉屋の女主人で終わるのかな」って寂しく感じたそうです。いや、それではつまらないので何でもいいから日本一になりたいって思い、色々と探した結果、ダーツの女性部門ならまだ競技人口が少ないので日本一になれるかもしれないと考えました。

レストランを経営する傍ら日々ダーツの練習をしてもなかなか上達しない。そこで、当時の女性チャンピョンに練習時間を尋ねたら、毎日4時間という答えが返ってきました。

それならと、彼女はチャンピョンの倍の毎日8時間の練習を続けますが、試合に出ると負ける日々が続き、練習が足りないと思った彼女は、こんどは毎日12時間の練習を続けたそうです。

ダーツ

彼女は日本チャンピョンになりました。すると、今度は世界一になってみたいと思い始めます。

日々の練習と、ダーツの国際大会で子供を連れての転戦が続き、結果的には年間通しての1位をずっと維持していましたが、最後に試合数の関係で2位になってしまったそうです。

この彼女が新しいビジネスを始めました。ところが失敗の連続で、世界で活躍したほどの自分が、なんでこんなことをしなければいけないの、って思い悩んでいたそうです。

そんなとき、ある人から「1000回失敗することを目標にしてごらんなさい」と言われます。

すると、その時から失敗の回数を積み重ねるのが「楽しみ」になったそうです。こうなるともう、その先に待っているのは「大成功」以外にはありません。

自分が完全ではないことを前提にしていると、予想通り失敗する自分を見て、かえって楽しくなるんだそうです。自分は不完全だと自覚していれば、失敗しても落ち込みません。少しずつ改良してよくなればいいと思って、明るく元気になれます、と。

“弱さ” を認めることが、本当の “強さ” なのかな?

失敗は、“足りないもの” があるよって教えてくれます。失敗して、「わたしはダメなやつ」って思うのではなく、「また一つ学んだな」って、“失敗” を楽しみながら前に向かう。

まあ、言いたいことは分かるし、その通りだと思うけど、いざ自分にそれが出来るのかよって自問すると、「うーん」って唸っている自分がいるのも事実。

でも、ここに “真理” があるのも間違いないんだと思います。結局、「弱点も含めて自分」というところに返ってくるような気がします。それを心から受け入れられるかどうかに。

自分の “弱さ” を認めることが、本当の “強さ” なのかもしれません。この “強さ” があって初めて、「失敗こそが自分を育ててくれる」ってことを理解したり、失敗を楽しんだりできるようになるんじゃないかな。

ところで、毎日12時間のダーツの練習をしていた彼女は、きっとこんな感じだったんでしょう。

なんでもいいからさ
本気でやってごらん
本気でやれば
たのしいから
本気でやれば
つかれないから
つかれても
つかれが
さわやかだから



小林正観著 「『そ・わ・か』の法則」 -- 先ずはトイレ掃除?

この世に生まれたすべての人が、手に入れたいと願う「幸せ」というもの。多分、人によって「幸せ」の中身は変わってくるのでしょう。

でも、「幸せ」の本質って何だと思いますか?

「幸せ」とは、平和・平穏に過ぎていく日常そのもの

ある本で読んだ小話が印象に残っています。

海に魚が泳いでいました。

この魚は生まれてから一度も海の外に出たことがありません。「海というものをよく話に聞くが、一度も見たことがない。海を見てみたい」と願い、念じたとします。

その魚が泳いでいる岸辺に人が座り、釣りをしていました。

魚の「念」を感じ取った釣り人は、釣り針のついた糸を魚の前に垂らします。

魚は、「このエサに食いついてみれば、きっと『海』が見られる」と、パクッとかみつきます。それに応じて釣り人は糸を引き、魚は海中から生まれて初めて外に出ました。

そして、外から確かに『海』というものを見ることができました。

でも、苦しい

「もう十分に『海』の広さ、大きさが分かりました。もう『海』を見る必要はないので、海に戻してください」と魚は釣り人に頼みます。

釣り人はその願いを聞き入れ、魚を海に戻してあげました。

さて、この話の中の「魚」が私たち。「海」は「幸せ」というものの本質です。私たちは、海という名の「幸せ」の中に泳ぐ魚だったのです。

願いや望みや思いが叶うことではなく、生きていること自体が、何もないことが、何も起きず、平穏無事であることが、「幸せ」の本質なのです。

「海を見てみたい」と念じた魚に釣り糸を垂らしてくれたのは「神さま」です。釣りあげられて海を出て、初めて海を見たものの、海から出ているので苦しい、呼吸ができない、という状態が、もしかしたら「病気」や「事故」なのかもしれません。

釣り

「幸せ」の本質である海を認識できず、その “幸せの海” の中にいながら、「幸せを見たい」、「海を見てみたい」と叫んでいたため、確かに神様は限りない優しさをもってその願いを叶えてはくれました。しかし、「釣りあげられた魚」は、苦しくて辛いのです。

何かを思い通りにすることや、願いや望みを叶えることが「幸せ」なのではありません。

「幸せ」とは、平和・平穏に過ぎていく日常そのものにあるらしい・・・・。

そこに気がつけば、もう「外に出たい」、「海を見たい」と叫ぶことはなくなるはずです。そして、そのように叫ぶ声が釣り人(神さま)に届かなければ、釣り人は、魚の前に釣り糸を垂らしてきたりはしないでしょう。

平和・平穏をおびやかす災難(病気や事故)は、平和・平穏である日常生活がどれほど喜ぶべきもの(幸せの本質)であるかを教えてくれる、素晴らしい贈り物であったとも考えられるのです。

掃除と言えば、トイレ掃除?

そわかの法則先の小話は、小林正観著 「『そ・わ・か』の法則」の中に書かれていたものです。

正観さんの著作は、これまでに「『き・く・あ』の実践」「100%幸せな1%の人々」の2冊を紹介しています。

本の題名になっている『そ・わ・か』とは何なのか。

これは、人間の行いの中で、神様が好むベストスリーであり、この3つの行為を続けている人間を、神様はどうやら応援しているらしいってのが本書の中身。

「掃除」の “そ” 、「笑い」の “わ” 、「感謝」の “か” という3つの行いのことです。

先ずは「掃除」から。掃除というと、個人的に真っ先に思い浮かべるのは舛田光洋さんです。舛田さんの『そうじ力』本を読んだのは、もう何年も前のことですが、いまだに印象に残っています。

累積納税額日本一の斎藤一人さんも、「最高の神事は何かって言うと、掃除なんです」って言っています。

もう一つ「掃除」からイメージするのはトイレ掃除でしょうか。数年前に、植村花菜さんの「トイレの神様」という楽曲がヒットしましたよね。

トイレ掃除の代表格に北野武さんがいます。北野さんは、若いころからずっとトイレ掃除を続けてやってきたってことで有名です。

ここでいう「トイレ掃除」とは、自分の使ったトイレをキレイにして出てくることです。自宅だけでなく、会社でも、スーパーマーケットでも、デパートでも、映画館でも、自分が入ったトイレが汚れていたら、一点の曇りもなく磨いて出てくるんです。

トイレ

トイレの神様は、たくさんの宝物を持ってきてくれる?

なんで「トイレ掃除」なのかってのが本書の中で紹介されているのですが、これが面白い(というか、なんか納得してしまいました)。

日本には七福神という言葉もあったりしますが、それぞれの家には、七人の神さま(七福神とは違うと思いますけど)がつくそうです。家が新築されると、この七人の神さまがダーッと走って行って、自分の担当する場所を決めるらしいのです。

七人の神さまのうち、一番早く着いた神さまは、応接間が一番お金がかかっていて見栄えがよく、カッコいいということで、応接間の担当になります。

二番目に着いた神さまは、二番目にお金がかかって見栄えがいい玄関を担当することになります。

三番目、四番目、五番目と、順番に担当の場所を決めていくのですが、最後の七番目の神さまがたどり着いた時には、担当するところがトイレしか残っていないので、七番目の神さまは必ずトイレを担当することになるそうです。

ところで、この七人の神さまが到着する時に、どうして時間の差がつくのかというと、持ってくるものが違うからなのです。

一番目の神さまは、何も持たずに手ぶらで、脱兎のごとく走ってきます。
二番目の神さまは、小さな紙袋くらいのお土産を持ってきます。
三番目の神さまは、セカンドバッグのようなものに、お土産を詰めてきます。


六番目の神さまは、リュックサックの中に大きな、かたまりのお土産を持ってきます。

そして七番目の神さまは、山男が背負うような大きなザックを背負っています。走ろうとしますが、重くてどうしても早く走れないので七番目になってしまいます。

神さまが持っているバッグやリュックサックの中には宝物が入っていて、その家に行って、皆を裕福にしてあげようと思うのだそうです。

七番目の神さまは、走るどころかゆっくりと一歩ずつしか歩くことができずに、やっと着いた時にはトイレしか残っていなかった・・・・・。

トイレ掃除をするということは、この神さま(「うすしま明王」という名前だそうです)を、「やる気にさせる」ってことのようです。

続きます。


<< topページへこのページの先頭へ >> 次のページへ >>