満開の桜と散りゆく桜を見て思うのは、「生命の繰り返し」?

午前中、鶴見川沿いをランニングしたら、桜が満開になっていました。

天気予報によると、明日は雨風で寒くなり、花見には今日が最後のチャンスとのことなので、奥さんと一緒に途中でお弁当を買って新横浜公園でお花見。

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咲いてますねー。満開ですねー。

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これが明日の雨風で散ってしまうのかと思うと寂しいけど、中にはまだ蕾もあったりで、横浜地方ではもう少し桜を楽しめそうな気がします。

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平安時代の歌人である在原業平(ありわら の なりひら)は、こんな歌を詠んでいます。

「世中(よのなか)にたえて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし」

「世の中に桜なんてものが無ければ、春は心のどかに過ごせるだろうに」って歌ですが、「明日の雨で散ってしまうのかも」みたいな落ち着かない心持ちを反語的に表現してます。

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平安時代と言えば1000年以上前のこと。桜を愛し、桜に心惑わされ、桜の散るのを惜しむ日本人の心は、もう本当に昔から変わっていないってことですね。

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「桜は日本人の死生観を象徴する」みたいなことを言われますよね。のどかな春の日に咲き、でもあっという間に散ってしまう桜は、人の生と死の象徴みたいな感じなんでしょう。

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一気に咲いて、あっという間に潔く散っていく。そこには、日本人の根底に流れている武士道があるのかもしれません。武士にとって、自分の最後を「見苦しい」ものにしないってのは、なによりも重要なことだったわけで。

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一方で、桜の花は翌年にはまた満開になります。潔く散っていく桜と、再び咲き誇る満開の桜。そこにイメージするのは、死と対となる「再生」なのかもしれません。

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潔く散ること考えながら、同時に「再生」を夢見ている。それは、単に自分だけのことではなく、逝ってしまった人を偲び、新しく生まれて来る命に未来を託す。

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そんな「生命の繰り返し」が、日本人の心情にマッチしているように思います。

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あー、春ですねー。


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