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大越俊夫著「子どもが学校に行かなくなったら赤飯をたきなさい!」

五月に入り、ゴールデンウィークの真っ只中という人も多いのではないでしょうか。料理人を目指して、この春からレストランで働き出した我が家の三男にとっては、ゴールデンウィークってどこの国の話しよって感じのようです。

1年で最も気持ちのいい季節ではあるけど、入学や就職、異動、一人暮らしなどの新しい環境に適応できずに精神的に病んでしまう人も少なくないようです。いわゆる5月病と言われるものですね。

ずーっと休んでいた学校に行くのって、勇気いるよね!

過ぎ去ってみると遠い過去のような気がしますが、長男が不登校に入ったのは小学校の6年になって、今くらいの時期だったように記憶しています。

同じ小学校の5年から6年への進級なので、「新しい環境に適応できず」というのとは微妙に違ったのかもしれませんが、でも時期を考えるとやはり何らか似たような状況にあったのかな。

小学6年生の1年間で学校に行った日数は、両手の指では少し足りないくらい。それでも、小学校は卒業させてくれる(しまう)んですね。

学校

中学校に入って環境が変われば行きだすのかなって結構期待していたんだけど、登校したのは最初の一週間くらいで、中学1年の総出席日数も小学6年生の時と同じような感じでした。

本当にたまに、気まぐれのように登校したりしてましたね。逆に言えば、それだけ休んでいて、よく行けるなあ、勇気があるなあ、なんて感心していた記憶が。

中学2年に入って、ある日、フッと「明日から学校に行くわ」って言って、そこから久しぶりに学校生活が再開しました。

この約2年間、色々とやりましたね。嫌がる本人を連れてカウンセリングに通ったり、嫌がって行かない時には両親だけでカウンセリングを受けたりもしました。

そんな中で出会ったのが、「師友塾」であり、その師友塾の塾長であり、今回ご紹介しようとしている「子どもが学校に行かなくなったら赤飯をたきなさい!」の著者でもある大越俊夫先生でした。

最大のテーマは「元気」

子供が学校に行かなくなったら十数年前に買った本なので、本の帯が脱色してますね。

師友塾とは、不登校の子供たちを受け入れて、様々な意味での教育をする、プライベートスクールみたいなものかな。

師友塾では、頻繁に大越先生の講演会や、様々な講師を招いて対談会を開催したりしています。

私も奥さんと一緒に学校を見学かたがた、先生の講演を聞きに行ったことがあります。

そこには、塾生や、塾生の両親、私たちのように塾生にはなっていないけれど、不登校の子供を持っている両親たちが参加したりします。

師友塾の最大のテーマは「元気」です。塾に通ってくる学生たちを「元気」にすることが、師友塾の求めているものであり、大越先生が目指しているものです。

ただし、大越先生の定義する「元気」とは、以下のようなものなのです。
  1. 自分の将来を見通すエネルギーがあること
  2. その夢の実現のために具体的な案を出すエネルギーのあること
  3. その具体案を達成するために、小さな努力を継続的に続けるエネルギーがあること
どうだろう、一般の中学生や高校生に、あるいは大学生だろうと大人だろうと、この「元気」を持ち合わせている人を探すのは簡単ではないような気がしますが。

師友塾の塾生と大越先生とのやり取りを聞いていると、彼らはしっかりと「元気」なのが伝わってきます。大越先生が「元気」なのは当然としても、この塾生たち(不登校の子供たち)が素晴らしかった。

学校へ『行かない』という選択をする

本の帯の「推薦者」にも名を連ねている、DNA解明の世界的権威である村上和雄先生が、大越先生から「不登校の子どもたちの前で講演をお願いできませんか?」と頼まれたそうです。

村上先生は、職業柄いまの学生がいかに教師の話を聞かないかを痛感していたので、「学校を嫌いでやめた子どもが、遺伝子などといういっけん難しい話をちゃんと聞いてくれるわけがない」とまったく期待せずに講演に臨みました。

ところが、「学校に行けなかった子どもたち」の目は真剣で、いきいきと輝き、質疑応答における一問一答も鋭く、彼らの理解力や問題意識の高さを明確に伝えてくれるものだったんです。

そして後日、生徒から送られてきたたくさんの感想文の素晴らしさに触れ、彼らの頭脳の優秀さ、人間的な誠実さと優しさを感じ取った村上先生はこんなことを仰ってます。

「彼らが学校に行けないのは彼らが劣っているからではなく、彼らを不登校に追い込んだ画一的な教育システムに欠陥があるからではないか。学校へいくのが当たり前で、行けない子どもは落ちこぼれであるという社会通念、それはステレオタイプの思い込みに過ぎないのではないか」

画一的

こんなことも話されています。

「子どもを学校という鋳型に無理にはめ込むことは、その『いのち』本来の素晴らしさや可能性を殺してしまうことにもなる。学校という環境の中では発揮されなかった能力が、学校へ『行かない』という選択をすることによってかえって大いに花開くこともある」

大越先生が、この本の中で伝えたいのも、このようなことなのでしょう。大越先生はこうも言います。

「誤解のないように言っておきますが、私は学校へ行かない子どもの思慮だけが深く、そうでない子どもの思慮は浅いということを言いたいのではありません。

素直に学校へ通っていられる子ども、それはそれでいいのです。私が言いたいのは、ある価値観に従えない子どもを等しく問題視してしまう画一性の怖さと、それから、その画一性を拒否する子どもの『見識の高さ』を見直して欲しいということです」

もう少し続きます。


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