地上10cmの平均台が、地上100mにあると信じ込んでしまうと

5月上旬に東京ビッグサイトで開催された「サクセス・ウィズアウト・リミット」というセミナーイベントに参加したのですが、そこで登壇された多くの方が、更に深くつっこんだセミナーを色々と開催していて、その個別セミナーの売り込みという側面も多分にあったように思います。

海外からの講演者の方々も例外ではなく、数週間後、数ヵ月後に日本でこれこれのセミナーを開催しますから、是非とも参加してみませんか、って。

そのどれもが、結構いい値段なんだな! なので、そんな気はさらさら無かったんだけど、その中の一つについ興味を持ってしまったんですね。

その場でしか申し込めないので結構迷いましたが、結局申し込みました。

我が家にとってはかなり痛い出費なんですが、停滞している現状を何とかしなくちゃって焦りがあり、そのきっかけになってくれればと一大決心(ちょっと大げさ?)したわけです。

ってことで、セミナーの中身を皆さんとシェア出来ればと思っているのですが、まだ自分の中で消化し切れていない部分もあり、少し整理した後でないとちょっと無理っぽい。

なので、前振りの意味も含め、セミナーに絡んで起こったちょっとした出来事を書いてみようかな。

体のどこかに変な力が入ってたんでしょうね

会場でセミナーに申し込んだ特典として、事前勉強用のCDを頂いたんですが、家に帰って中身を見たら、これがなんと13枚セット。時間にして合計14時間弱の大作。

申し込みからセミナー開催まで丸2週間。毎日1枚ずつ聞いていけばいいかと思いながらも、最初の一週間は予想通り(?)サボりました。

直前の1週間で毎日2時間ずつ聞かなければならないはめに。それならジョギングしながら聞けばいいかと、CDの中身をスマホに取り込み、そして2時間のジョギングが日課に。

ランニングしながら

実は、ここ一ヶ月ほど足の調子が悪くて、痛いまではいかないまでも違和感があるって感じで、どうもスッキリとした走りが出来ないでいました。

なので、ゆったりしたスピードとしても毎日2時間を1週間も続けるのは無理かなって危惧してました。ところが、実際に走ってみると7日間の間に足に違和感を感じたことは一度も無かったんです。

これは、想像するに、意識の問題なのかなって。

足の調子が悪いから頑張らないように走ろうと思っても、ついつい頑張っちゃったり、あるいは変な意識が足に知らない内に微妙な負担をかけていたんじゃないかと。

それが、「走ること」が目的ではなく、「CD音声を聞く」ことが目的になった途端、意識(の焦点)が “足” から離れて “耳” に移行した結果のような気がします。

視点を変える、意識の焦点を変える

これまでも走りながらオーディオブックを聞いていましたが、それでも主体はやっぱり「走ること」だったんですよね。それが今回は主体が「聞くこと」で、「走ること」は付帯事項になったんです。

だから何なのよ?って言われてしまいそうですが、うーん、なんて言えばいいのかな、人の “意識” って凄いなって思うんです。

(無意識も含めた)意識が、人の心も体もコントロールしてるんだなって改めて実感。

地上10cmのところにある平均台を渡っていくのは難しくありません。その同じ平均台が地上100mにあるとしたら、大概の人は渡れなくなってしまうでしょう。

足を踏み外したら死ぬという意識が、体を萎縮させ、筋肉を緊張させ、そして実際に平均台から落ちる可能性を何倍にも拡大してしまいます。

高所

意識したことが現実になるんです。実際には、その平均台が地上10cmのところにあったとしても、地上100mなんだって意識してしまえば、その意識の方が優先されますよね。

日常生活においても同じ。何か行動を起こそうとした時、その行動によって引き起こされるかもしれない結果が恐いって意識した途端、体は萎縮し、心はしぼみ、そして1歩を踏み出せなくなり・・・

何度か「視点を変える」という話を書いてきましたが、それって例えば「半分入ったグラスを見て、半分しか残ってないって思うのか、半分も残ってるって思うのか」みたいに捉えていたんだけど、そうか、こういう「視点を変える」ってのもあるんだなって。

「走ること」に向けていた意識を「聞くこと」に変えたように。そして、いつもは恐怖の対象になってしまう平均台に向けてしまう意識を、目線を上げて渡っていく先の目標地点に向けるように変える。

ここで書いた通り、夢を実現したい理由の中心には “自分” がいると思います。 “自分” が~したい、“自分” が~になりたいって。いわゆる、For Me ですよね。

でも、自分のためではなく「誰か他の人のために」といった大義名分を持つことが出来たとすれば、その「自分が、自分が」という意識から離れることが出来るかもしれません。

これも「視点を変える」ってことになりますよね。

(うーむ、書き出したときに想定していた到着地点とは違うところに着いてしまった)



ひすいこたろう著 「名言セラピープラス」 -- 間抜けで生きよう!

ひすいこたろう著 「名言セラピープラス」のご紹介。

名言セラピープラス本の帯(昔は腰巻なんていう色っぽい呼び方をしていた記憶が)に、「世界で一番みじかい3秒セラピー」とあります。

著者のひすいこたろうさんのモットーは、「人生は3秒でハッピーになれる!」というもの。

「人生を3秒で変えるなんて、無理!」と思う向きもあることでしょう。だって、今のこの不幸な状況は変わりようがないのだから、って。

極端な言い方をしますね。不幸なのは、自分で「不幸だ」って思っているから不幸なんです。

どんな状況にあろうとも、「自分は幸せだ」って思っている人は、幸せなんです。

なぜなら、 “幸せ” にも “不幸” にも、実体はないから。お金持ちが必ずしも幸せとは限らないし、逆に貧乏でも幸せな人生を謳歌している人はたくさんいることでしょう。

病に侵され死の淵にいながら「私は幸せだ」って感じている人もいれば、五体何の不自由もなく健康な体でいながら、不幸のドン底に沈みこんでいる人もいることでしょう。

毎日戦禍に怯えながらも幸せを感じている人もいれば、平和な何一つ不自由ない日本に生まれながら、不満を抱えて生きている人もたくさんいます。

人が置かれている状況は千差万別。それこそ人の数だけあります。その中で、「じゃあ、この線から向こうの人は幸せで、こっち側の人は不幸」なんて線引きはできませんよね。

人が置かれている状況と幸不幸とは関係ないんです。

人の幸不幸を決めるのは、その人の “考え方” だけなんです。そう、 “考え方” です。このブログでも何度も何度も書いていますが、「人生の違いは、考え方の違い」なんです。

ひすいこたろうさんは、この本の前に「名言セラピー」という本を書かれています。その本の前書きで「落ちないリンゴ」の話が紹介されています。

失われたものを見るのか、それとも残されているものを見るのか

有名な話なので知っている人も多いと思いますが、平成3年9月28日早朝、台風19号が津軽地方を襲いました。最大瞬間風速50mを越える強風は津軽地方全域に大きな被害をもたらしました。

そしてそれは、リンゴ農家にとっても大惨事でした。収穫前のリンゴが木から落ちてしまい、なんと9割のリンゴが出荷できなくなったのです。

リンゴの木

地に落ちたリンゴを見てリンゴ農家の人は、肩を落として嘆き悲しみました。中には、リンゴ生産に見切りをつけた人もいたそうです。

しかし、このとき、嘆き悲しまなかった人がいたんです。途方に暮れることなく、どうやってこの非常事態を切り抜けようかと一生懸命考えた人が。そして出てきたアイデアがコレ。

「落ちなかったリンゴを『落ちないリンゴ』の名前で、全国の神社で受験生に “縁起物” として1個1000円で売りましょう」

値段の高さにもかかわらず飛ぶように売れ、瞬く間に完売したそうです。

このアイデアを考えた人は、下に落ちた9割のリンゴに意識を向けず、上に残っていた、落ちなかった1割のリンゴを見ていたのです。

下を見た人と上を見た人との違いは “視点” でした。視点を変えたんです。あるいは、 “考え方” を変えたんです。

同じ状況にもかかわらず、嘆き悲しむ人がいます。同じ状況にもかかわらず、楽しく儲かり、さらにお客さんにも喜ばれる人がいます。

どこを見るかで人生はこんなにも違います。視点が変わると人生の局面が一瞬で変わるのです。

台風で落ちたリンゴ。これは動かすことのできないひとつの事実。でも、それをどう見るか、どう受け止めるかは、あなたの自由。「事実は一つ、解釈は無数」なんです。

「Wrong」ではなくて「Different」

紹介したいエピソードは色々とあるのですが、本書の中で個人的に一番気に入ったのは、これからの人生、「間抜けで生きよう!」というもの。

芥川賞作家でもあり、僧侶でもある玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんがインタビューの中でこんな話をされているそうです。

福の神の代表とも言える七福神ですが、七福神の共通点って何だと思いますか。

答えは、「共通点なんて無い」とのこと。

国籍も、性別も、福耳の神もそうでない神も混じってる。みんなてんでバラバラですよね。てんでバラバラな人たちが集まって、でも、楽しげにしている状態を「福」って言うのだそうです。

私たちは、なぜケンカをするのかするのかわかりますか? ケンカの原因は「間」だそうです。

『あなたのやっていることは、間違っている』
『あなたの考え方は、間違っている』

こう言われると、腹が立ちますよね。でも、ここから「間」を抜いてみると、

『あなたのやっていることは、わたしと違っている』
『あなたの考え方は、わたしと違っている』

そう、「間違っている」のではないんです。あなたと、わたしは「違う」だけなんです。「Wrong」ではなくて「Different」と思えばいいのです。

人生、人に正しさを求めるよりも、あるいは自分の正しさを主張するよりも、違いを受け入れた方が10倍も100倍も有意義な場面って、たくさんあると思いませんか。

違う個性を受け入れて、ニッコリできたら、それが幸福なんです。

これからの人生、「間抜けで生きよう!」。


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