デヴィッド・リーバーマン著 「自分の中にいる困った人たち」

少し前に、てんつくマンが作った「107+1 ~天国はつくるもの~」という映画に触発されてある行動を起こした大学生の話をしましたが、このてんつくマンのセミナーで「自分ルール」という話を聞いたことがあります。

自分ルール?

どう説明したらいいのかなあ? 物事に対するその人固有の “解釈” の仕方?

アチーブメント(株)の青木先生は「事実は一つ、解釈は無数」と言い、哲学者のニーチェは「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」と言っています。

例えば雨。朝起きて外が雨だと鬱陶しい気分になる人は多いのではないでしょうか。でも、“雨” 自体があなたの気分を鬱陶しくさせているのではなく、雨を見た “解釈” として、あなたが鬱陶しいという感情を持ったということなんです。

鬱陶しい雨

目の前の事象(出来事)は一つですが、その解釈は、それを見ている人の数だけあるわけです。

この “解釈” の部分が「自分ルール」なのです。目の前の現象をどうやって受け止めるかは、その人が持っているルールによって異なってきます。

執筆活動や研修・講演でご活躍されている福島正伸先生という方の自分ルールは、「すべての出来事はチャンスである」というものだそうです。

転んでも「チャーンス!」、事故っても「チャーンス!」、失敗しても「チャーンス!」

自分ルールって、ほとんど100パーセントの人にとって無意識の世界なんですが、この福島先生のように意識的に自分ルールを決めることも可能なんです。

「けなされる=腹立たしい」を、「けなされる=学びの機会」に変える

さて本題。デヴィッド・リーバーマン著 「自分の中にいる困った人たち」のご紹介。

本書の中に、「人から好かれなくてはいけない」が心のルールになっていませんか? というフレーズがあり、これについて少し書きたいなって思い、上のような導入を書いてみました。

自分の中にいるあなたは、人から褒められれば上機嫌になり、逆にけなされると不機嫌になりますか? まあ、大概の人は頷くのではないでしょうか。

感情と直結しているところなので仕方ない(当然?)って思わなくもないのですが、これも実は自分ルールなんです。

上に書いた通り、「雨」に「鬱陶しい」という感情を結びつけているのは自分ルールなんです。「雨=鬱陶しい」という解釈を “選択” しているのはあなたなんです。

「褒められる=嬉しい」、「けなされる=腹立たしい」という解釈を、あなたが自分で選択した結果が、人からの言動によって嬉しくなったり、立腹したりという感情を生み出します。

コヴィー博士の「7つの習慣」の項で詳しく書きましたが、自分の意思に関係なく湧き上がってくると思っている “感情” も、あなたの選択の結果なのです。

「褒められる=嬉しい」、「けなされる=腹立たしい」が自分ルールと解釈すれば、例えば「褒められる=学びの機会」、「けなされる=学びの機会」という自分ルールに変えることも可能ってこと。

何度もたとえ話に使わせてもらっていますが、山本周五郎の小説に登場する五大主税介は、世間からいわれなき非難を受けた時、それに対して「悪評の続く限りおれは成長してみせるよ」って胸を張って言うんです。

五大主税介の自分ルールでは、「悪評=辛い、腹立たしい」ではなく、「悪評=成長の糧」なんです。

人から「好かれたい」というのと、「好かれなければならない」というのは別の話

人から好かれたいとか褒めてもらいたいというのは、たぶん本能の世界に近いのかなって思うので、まあ仕方のない話なのでしょう。

但し、これが人から “好かれなければならない” とか、“褒めてもらわなければならない” となると、話が違ってきます。こちらは、容易に人の言いなりになってしまうことを意味します。

人から認められる必要があるため、したくもないことをします。自分の行動は、他人からどのように褒められたかによって意義付けされるのです。

かの有名な「マズローの欲求段階説」の4階層目に「承認の欲求」があります。5階層の内の4階層ですから高次の欲求ですが、この欲求には2つのレベルがあるんです。

低いレベルの承認欲求は、他者からの尊敬や注目などを得ることによって満たすことができますが、マズローは、この低い欲求のレベルにとどまり続けることは危険だと言っています。

そして、高いレベルの承認欲求は、自己尊重感や自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視されます。

上で書いた、人から “好かれなければならない” や“褒めてもらわなければならない” は、低いレベルの承認欲求ということになります。

相手の承認が必要ってことは・・・

低いレベルの承認欲求の何が問題かというと、これには「相手」が必要だということ。“誰かに” 認められたい、“誰かに” 愛されたいのです。だから、自分ひとりでは完結しないんですよね。

結果として、その対象(個人だったり、グループだったり)に振り回されることになります。さらには他人に気分を左右されるだけでなく、人生そのものまでコントロールされてしまうことになるんです。

あなたの運命は赤の他人の手に委ねられているのです。気分も感情も他人の気まぐれな心と言葉次第。喜びであれ悲しみであれ、精神状態は他人の言ったこと、言わなかったことに左右されます。

人から愛されるために作った、他人向けの自己イメージは、本物の自分とはまるでかけ離れているかもしれません。自分を失うのと引き換えに、他人の要求に従ってイメージが形づくられているからです。

ここまで書いてきて思ったのは、これってアンソニー・ロビンスのセミナーで学んだ、「アイデンティティー」(identity)につながっていくんじゃないかってこと。

もしかしたら、今現在のアイデンティティー(あるいは自己イメージ)って、本来の自分ではないのかもしれない。自分でも気付かない内に、他人の要求に従って作ってしまったのかもしれない。

もしかしたら、「アイデンティティーを変える≒自分ルールを変える」ってことなのかも、と。

いずれにせよ大切なことは、自分のアイデンティティーや自分ルールをキチンと認識しているのかということ。そして、そのアイデンティティーや自分ルールは、今のあなたの人生を幸せにしてくれるものなのか、それとも不幸にしているものなのかということ。

人には好かれたいけど、好かれるか嫌われるかは相手の勝手だから、「必ず好かれる必要は無いんだ」という自分ルールに変えてみると、意外と大きなインパクトがあるかもしれませんね。



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