スーザン・ジェファーズ著 「引っ込み思案な自分を楽にする本」

スーザン・ジェファーズ著 「引っ込み思案な自分を楽にする本」のご紹介。

私のことを好きになってください

引っ込み思案な自分を自分は「引っ込み思案だ」って思っている日本人は多いのではないでしょうか(大阪人は別?)。

あたり前だけど、そう感じている人は、日本に限らず世界中にたくさんいるわけです。

本書の中に、あるワークショップでの出来事が紹介されています。

ワークショップに参加している人たちに、「自分について周りの人に知ってもらいたいと思うこと」を、白いラベルに書き、それを自分の額に貼り、部屋の中を歩き回って他の人のメッセージを読む、というものです。

メッセージの内容は、大概は「旅行に行くのが好きです」とか「テニスが好きです」といった他愛無いものでしたが、一つだけひときわ異彩を放つメッセージがあったそうです。

そこにはこう書かれていました。

「私のことを好きになってください」

著者は、こんなことを言っています。

「ある意味、私たちは皆、自分の額に『私を好きになって欲しい』という意味のこもったステッカーを貼っているのです。私たちの行動は、善かれ悪しかれ、もっと自分に注目してほしい、もっと自分を認めてほしい、という子供の頃からのお芝居の延長にすぎません」

なるほどねー、すごく納得しちゃいます。

サムバディトレーニングの本質は、彼我の比較

「サムバディトレーニング」ってのがあるそうです。

「サムバディ」とは、「親や社会から認められるようないっぱしの誰か」という意味で、「サムバディトレーニング」とは、そのままですが「いっぱしの誰かになるための訓練」です。

私たちは生まれてすぐに、この「サムバディトレーニング」を受けることになります。先ずは、一番身近な親からでしょうね。一生懸命勉強して、いい学校に入って、いい会社に入って・・・・・

その結果、私たちは世の中に出たら、他人より優れている立派な人になるのが当然という感覚を、自然に(知らないうちに)持つことになるようです。

この、私たちが知らず知らずのうちに受けている「サムバディトレーニング」の大きな問題点は、相手を “けなす” ことで自分の価値を高く見せようとすること。

彼我を比較して優劣をつけようとするわけで、結果として他人に対する否定的な空気を生み出すことになります。従って、サムバディトレーニングにおける人間関係は「競争」です。

そして行き着くところは、心理的な「孤立」。人はこの孤立から逃れたくて、自分の額に『私を好きになって欲しい』というステッカーを貼って歩いているのです。

孤独孤独

では、どうすればいいでしょうか、というのが本書の主題です。

サムバディトレーニングにおいて人と結びつく目的は、「何かを手に入れるため」です。違う言い方をすると、「人から何を貰えるだろうか」というのがトレーニングを受けた人の考え方となります。

ところで、この「人から貰う」という考え方は、「もしかしたら手に入らないかもしれない」という怯えがつきまとうことになりますが、これが「引っ込み思案」という状況を生み出す根源なのです。

答えは簡単でしたね。「与える」側の人になっちゃえばいいんです

さて、サムバディトレーニングに対比するものとして「エブリバディトレーニング」なるものが。

エブリバディトレーニングには、「自己肯定」という意味合いがあるのですが、自分独自の個性で、「人に何を与えられるだろう」という考えが基本になっているのです。

「貰う人」ではなく「与える人」になるってことです。

これって、そのまんま「あなたは『与える』側の人ですか、それとも『奪う』側の人ですか」と同じことを言っていますよね。

「欲しい」と思った瞬間から、手に入れられないかもという怖れと同居することになります。でも、「与える」行為には、当然ですが「手に入らないかも」という不安感は存在していません。

give

構ってほしい、注目してほしい、愛してほしい・・・・・もしかしたら、構ってくれないかも、注目してくれないかも、愛してくれないかもしれない。それって、怖いですよね、不安ですよね。

逆に「与える」側になってしまえば、怖いとか不安とかとはオサラバです。この「不安感」を拭い去り、「安心感」を手に入れることが、内面からあふれ出るもの、豊かさといった感覚をもたらしてくれるらしいのです。

他の人に「好きになって下さい」って頼み込む必要はなくなります。好きになってくれれば嬉しいけど、でも好きになってくれなくてもOK。それはあなたの勝手で、私には何の関係も無い事だから。

自分の心は、自分への愛で、他者への愛で満たされているから、人から貰う必要がないんです。

どうやって「奪う」側から「与える」側に鞍替えするのか? 簡単ですよね。ここで書いた通り、自分のアイデンティティーを変えちゃえばいんです。

でも、「奪う」側、あるいは「貰う」側に居続けるってのはこういうリスクがあり、逆に「与える」側に変われば、これまたこんなに大きなメリットを享受できるんですね。

これはもう、「与える」側に成るしかないでしょ。



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