小林正観著 「『そ・わ・か』の法則」 -- 笑って、そして感謝

小林正観著 「『そ・わ・か』の法則」 のご紹介の続き。

前回は、「掃除」の “そ” 、「笑い」の “わ” 、「感謝」の “か” という3つの行いの内、「掃除」にまつわる “トイレの神様” の話に触れました。

今回は「笑い」と「感謝」。

通信簿のオール1をみて、お母さんが「きれいだねー」って笑うと

「笑い」は「肯定」を意味しているそうです。

子供が学校の通信簿を持ってきたのを見たら、なんとオール1だった。そこでお母さんが、「きれいだねー」って笑うことができたら、「受け入れた」ということなんです。

「笑い」とは、肯定であり、受け入れること。目の前の現象をおこしてくださっている地球や宇宙や神さまに対して、肯定したということなのだそうです。

笑い

つまらないダジャレでも、笑える人は肯定できる人であり、笑えない人は否定した人。

面白いジョークやシャレに対して笑う人は、笑いの初級者。面白くなくても笑うのが中級者。

上級は、わけもわからずとりあえず笑う。落語を聞きに行って、落ちがわからなくてもとにかく笑う。隣の人に、「何がおかしいの?」って聞かれても、「よくわからないんだけど」って言いながら笑う。

「笑い」は、活性酸素の発生を抑制するのかも

よく笑う人は健康であるとか、病気にかかっている人が笑っていたら治ってしまったといった話を、聞いたり読んだりしたことがあります。

このメカニズムはまだ解明されていませんが、もしかしたらここで紹介した活性酸素と関係があるんじゃないかなって思いました。

あらゆる病気の原因の90%は、この活性酸素が関係しているって話もあるくらい、私たちの健康と密接に絡み合っている活性酸素。

この活性酸素って、私たちが普通に生活している中でも、体内で常に生成されているものなのですが、特に大量の活性酸素が生成されてしまうときがあります。

それは、「ストレスの多い時とか、心に余裕のない時」であると、日本医科大学の太田教授が著書 「水素水とサビない身体」の中で言われています。

でね、「笑い」というのは、このストレスとか心の余裕の無さとは、対極にあるものじゃないかと。心に余裕のない人は笑えないでしょうし、笑っている時にストレスを感じることもないでしょう。

「笑い」が活性酸素自体を消し去る力があるのかどうかは分かりませんが、少なくとも活性酸素の発生量を抑える力はあるように感じます。

脳は、「ありがとう」の合理的な理由を探し始める

「そ・わ・か」の最後は「感謝」。

朝起きて、ベッドから出る前に、「ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・・」と100回言ったとします。そうすると、脳は突然不安定になるそうです。なぜ、現象がないのに「ありがとう」なんだろうと。

先に「ありがとう」を言うと、脳は「ありがとう」の合理的な理由を探し始めるらしいのです。

カーテンを開けた瞬間に太陽の光がパーッと差し込んだら、「あー、うれしい。ありがとう」と叫ぶ。これで一回。さらに、白いご飯に湯気が立っていると、「あー、御飯がおいしそうだ、ありがとう。早く起きて、ご飯を作ってくれて、ありがとう」。これで三回。

味噌汁に湯気がたっている。「あー、味噌汁を温めてくれて、ありがとう」と思い、納豆に醤油が入ってかき混ぜられていると、「あー、そこまでやってくれたの、ありがとう」と思います。

先に「ありがとう」を100回言ってしまうと、脳は「ありがとう」の現象を一生懸命探そうとします。そうすると、その日の朝から、目にするものに対して、「ありがとう探し」が始まるのです。

朝

同じように朝起きた時に、「あー、幸せ」と理由もなく言いましょう。「あー、幸せ」と20回言うと、「あー、幸せ」に相当する現象を20個探そうとするので、「あれも幸せ」「これも幸せ」ってことに。

湯気を立ててる白いご飯を見て、「ありがとう」って思うか、それとも

結局のところ、私たちが目の前の現象をどう思うか、どう感じるかであって、「幸せ」という名の現象が宇宙に存在するわけではないんですね。

だから、普通に歩けることが幸せだと思った人には、幸せが一個。目が見えることを幸せだと思った人は、幸せが二個手に入ります。耳が聞こえて幸せ、口でものが食べられて幸せ、鼻で呼吸ができて幸せ・・・というふうに考えていったら、いくらでも幸せが手に入ります。

本当かよ?って疑いを感じる心もありますが、ただ、逆にね、起きた時に、「つらい」「悲しい」「苦しい」「つまらない」「嫌だ」って考えると、やっぱり脳は、その合理的な理由を見つけてきませんか。

こっちの “いやな感情” の方がなんか納得できそうな気がするのは、私たちが毎朝、目が覚めた時にやっていることだからなのかもしれません。

朝、目覚めた瞬間、「あー、また満員電車かよ」とか、「今日は、長くて鬱陶しい会議があるよなー」とか、「仕事は山積みだし、今日も帰るのは終電間際かな」なんてね。

そんな感情を持って食卓についたら、白いご飯や味噌汁が湯気を立てていたりすることにも、「頼んでもいないのに、湯気が立っている。俺が起きてから、よそえ」って話になるかもしれません。

納豆に醤油が入っているのを見て、「俺の好きなようにかき混ぜるのだから、勝手に醤油を入れるな」なんてことにもなりかねません。

目の前にあるのは同じ現象でも、心の状態によって感じる中身は変わるんです。

「信じるか信じないかは、あなた次第」だけどね

「ありがとう」の語源は「有り難し」から来ているのですが、「ありがとう」という言葉は実は神を称賛し、ほめたたえる言葉だった、とのことです。

だから、室町時代以前は人に対して「ありがとう」とうい言葉が使われることはなく、人に対して使われるようになったのは室町時代以降のことだそうです。

ということは、私たち日本人が日本語として使っている「ありがとう」は、勘違いして人間に対して使っているわけですが、私たちが勘違いをしていようが、神さまにとっては関係ないようです。

神さまは、「ありがとう」という言葉が下界から聞こえてきたら、ガバっと跳ね起きて、その人の「ありがとう」の回数をカチカチと、カウントします。

「ありがとう」の対象が、人でも、動物でも、植物でも、神さまには関係がなくても、ただ「ありがとう」という言葉が地上から聞こえてきたら、神さまは自分に対して向けられた言葉だと認識するようです。

そして、その数が臨界点を超えた時、神さまはその人にとってうれしく、楽しく、幸せな現象を起こすようになっているんだと、正観さんは思っているそうです。

まっ、「信じるか信じないかは、あなた次第」ってことですが、この「そ・わ・か」を実践するのは、いつでもどこでも、一人で出来るし、お金もかかりません。

だから、「なぜ?」とか「本当かよ?」なんて考えてる暇があったら、一分でも二分でも早く「実践」してみてはどうですか、って。

結局、実践している人の前にしか、うれしく、楽しく、幸せな現象が現れないので、やらない人にはいつまでたっても分からないんですよね。



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