村上春樹著 「1Q84」 Book1-Book3 を聴き終わって
ちょうど一ヶ月くらい前、村上春樹さんの「1Q84」のオーディオブック、Book1~Book3までの47時間の半分まで来たという話をしました。
「1Q84」を話題にするのは確か3回目だと思いますが、今日やっと全編を聴き終わりました。
そう、残りの半分を聴き終わるのに一ヶ月かかりました。47時間というと、通常の本の4冊から5冊分くらいのボリュームになりますので、一ヶ月で2冊と考えると、“読書”ペースとしては悪くないでしょう。
でも、本当に楽しませて貰った一ヶ月間でした。終わりに近づくと終わってしまうのが残念で、もっともっとずっと聴いていたいと感じさせる、そんな本でした。
どんな終わり方をするのか全然想像できなかったのですが、なんて表現したらいいのかなあ、なんか“すんなりと”終わってしまった、って感じでしょうか。
実際には昨日、出先で終わってしまったのですが、次の小説に移る前にもう少し余韻を楽しみたいと思い、最後の2時間分くらいを昨日、今日と繰り返して聴いていました。
個人的には悪くない終わり方だと思いますが、そこまでの45時間という膨大な時間を考えると、もう少し違う終わり方を期待する人もたくさんいそうな気がします。
以前にも書きましたが、村上春樹さんの本は英訳のオーディオブックでしか聴いた(読んだ)ことがありません。逆に言うと、オーディオブックになっていない本は読んでいないということです。
なので、もしかしたら原著(日本語)を読んだら、まったく違う印象を受けるのかもしれません。
英語で聴いていると、正直100%聴きとれるわけではないので、かなりの部分を自分の中の想像で“補完”しているんです。
なんて言うのかなあ、極端すぎるかもしれませんが、100%近く(少なくとも言葉は)理解できる日本語の本とは別の物語を読んで(聴いて)いるのかもしれません。そんなことをいま初めて感じました。
村上春樹さんの本に限らず、本を読むというのは、その物語の世界を自分の中に作り上げていくことだと思いますが、出来あがる世界(イメージ)は、人によって千差万別なのだと思います。
人それぞれの“解釈”があるというか。そこが「読書」の面白さなんじゃないかな。少なくとも、より情報量の多い映像よりも、人それぞれの解釈の幅は(想像の範囲は)圧倒的に本の方が広いと思います。
なので、オーディオブックにおけるナレーター(読み手)は、非常に重要な位置を占めています。男か女かといったことを初め、当然、表現力であるとか、声質など、それによって自分の中に作られる想像の世界に大きな影響を及ぼす要素がたくさんあるんです。
「1Q84」のオーディオブックの最後に、英語への翻訳者の30分程度のインタビューがあるのですが、Book1の翻訳者とBook2、3の翻訳者と、Audible版の「1Q84」は2人の翻訳者によって訳されているそうです。
もちろん、翻訳者によってもその本の印象は変わってきますので、2人の翻訳のニュアンスを一致させるのは、かなり大変な作業だったようです。
正直に言うと村上春樹さんが伝えたいことが何なのかは全然わからないけど、私は私の頭の中に出来あがった“「1Q84」ワールド”を十分に楽しませてもらいました。
もう少し短い本だったら、確実にあと何回かは繰り返して聴いてみようと思うはずです。でも、一旦聴きだしたら2ヶ月ですからね。どうかなあ。
オーディオブック「1Q84」を聴いていた2カ月間、至福の時でした

そう、残りの半分を聴き終わるのに一ヶ月かかりました。47時間というと、通常の本の4冊から5冊分くらいのボリュームになりますので、一ヶ月で2冊と考えると、“読書”ペースとしては悪くないでしょう。
でも、本当に楽しませて貰った一ヶ月間でした。終わりに近づくと終わってしまうのが残念で、もっともっとずっと聴いていたいと感じさせる、そんな本でした。
どんな終わり方をするのか全然想像できなかったのですが、なんて表現したらいいのかなあ、なんか“すんなりと”終わってしまった、って感じでしょうか。
実際には昨日、出先で終わってしまったのですが、次の小説に移る前にもう少し余韻を楽しみたいと思い、最後の2時間分くらいを昨日、今日と繰り返して聴いていました。
個人的には悪くない終わり方だと思いますが、そこまでの45時間という膨大な時間を考えると、もう少し違う終わり方を期待する人もたくさんいそうな気がします。
読書って、作者と読者との共同作業で“楽しむ”部分もあるような気が
冗長とか、何を言いたいのか分からないとか、雰囲気小説みたいな批判も多々見かけますが(否定できないところもあると思いますが)、それでも完全な村上ワールドなんだと思います。以前にも書きましたが、村上春樹さんの本は英訳のオーディオブックでしか聴いた(読んだ)ことがありません。逆に言うと、オーディオブックになっていない本は読んでいないということです。
なので、もしかしたら原著(日本語)を読んだら、まったく違う印象を受けるのかもしれません。
英語で聴いていると、正直100%聴きとれるわけではないので、かなりの部分を自分の中の想像で“補完”しているんです。
なんて言うのかなあ、極端すぎるかもしれませんが、100%近く(少なくとも言葉は)理解できる日本語の本とは別の物語を読んで(聴いて)いるのかもしれません。そんなことをいま初めて感じました。
村上春樹さんの本に限らず、本を読むというのは、その物語の世界を自分の中に作り上げていくことだと思いますが、出来あがる世界(イメージ)は、人によって千差万別なのだと思います。
人それぞれの“解釈”があるというか。そこが「読書」の面白さなんじゃないかな。少なくとも、より情報量の多い映像よりも、人それぞれの解釈の幅は(想像の範囲は)圧倒的に本の方が広いと思います。
オーディオブックは、どれだけ自分が心地よく浸れる世界を作れるかがキモかも
それが、英語のオーディオブックだと、さらに解釈の範囲が広がるというか、もう勝手に(合っているかどうかは別にして)自分なりの世界を作り上げるしか無くなっちゃうんです。なので、オーディオブックにおけるナレーター(読み手)は、非常に重要な位置を占めています。男か女かといったことを初め、当然、表現力であるとか、声質など、それによって自分の中に作られる想像の世界に大きな影響を及ぼす要素がたくさんあるんです。
「1Q84」のオーディオブックの最後に、英語への翻訳者の30分程度のインタビューがあるのですが、Book1の翻訳者とBook2、3の翻訳者と、Audible版の「1Q84」は2人の翻訳者によって訳されているそうです。
もちろん、翻訳者によってもその本の印象は変わってきますので、2人の翻訳のニュアンスを一致させるのは、かなり大変な作業だったようです。
正直に言うと村上春樹さんが伝えたいことが何なのかは全然わからないけど、私は私の頭の中に出来あがった“「1Q84」ワールド”を十分に楽しませてもらいました。
もう少し短い本だったら、確実にあと何回かは繰り返して聴いてみようと思うはずです。でも、一旦聴きだしたら2ヶ月ですからね。どうかなあ。
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