サクセス・ウィズアウト・リミット(5) -- 子どもたちに “見せる” 責任

金持ちになりたい。成功したい。でも、それは何のため? 何のために金持ちになりたいのか、何のために成功したいのか。

その “理由” の中に “自分” しかいないとすれば、もしかしたらその “理由” は弱いのかもしれない。多くの行動や大きな努力という “苦痛” を乗り越えるほどには強くないのかもしれない。

そんな前回のお話の続き。

あなたは、大学教育を受けられる村人の中の唯一の人?

「サクセス・ウィズアウト・リミット」の登壇者の一人にクリス岡崎さんという方がいました。アンソニー・ロビンズの日本人一番弟子だそうです。

彼が「世界が100人の村だったら」という話を始めました。有名な話なので、細部は忘れているとしても「大枠の話は知ってる」って人が多いのではないでしょうか。

世界には63億人の人がいるんだけど、もしそれを100人の村に縮めてみると、何が見えてきますかってお話。一部だけ抜粋してみましょう。

村に住む人びとの100人のうち、

20人は栄養がじゅうぶんではなく、1人は死にそうなほどです。
でも15人は太り過ぎです。

75人は食べ物の蓄えがあり、雨露をしのぐところがあります。
でも、あとの25人はそうではありません。
17人は、きれいで安全な水を飲めません。

銀行に預金があり、財布にお金があり、家のどこかに小銭が転がっている人は
いちばん豊かな8人のうちの1人です。
自分の車をもっている人は7人のうちの1人です。

村人のうち、1人が大学教育を受け、2人がコンピューターをもっています。
けれど、14人は文字が読めません。

もしもあなたが、いやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに、信仰や信条、
良心に従ってなにかをし、ものが言えるなら、そうではない48人より恵まれています。

もしもあなたが、空爆や襲撃や地雷による殺戮や武装集団のレイプや拉致に
おびえていなければ、そうでない20人より恵まれています。

さて、日本に住んでいるあなたはどうですか。栄養は十分ですか。もしかしたら「太り過ぎ」の一員ですか。きれいで安全な水を飲んでますか。家のどこかに小銭が転がってますか。

大学教育を受けられる村人の中の唯一の人ですか、あるいはコンピューターを持っている2人の内の一人ですか。

今が辛くて、大人になっても辛いのなら、この先も生きていく・・・

先日、我が家の三男が財布を落としました。まあ、写真ほど大金は入っていなかったようですが、免許証とか保険証とかクレジットカードとか、失くすと悪用も含めてすぐにも困るようなものばかり。

財布

さすがに東京の街中で失くして出てくることはないだろうと諦めていたのですが、取り敢えず警察には届出を出しておいたら、なんと見つかったんです。誰かが拾って警察に届けてくれたようです。

これって、凄くないですか。日本人ってやっぱり凄いなって本当に感動してしまいました。

もちろん、日本でも日々多くの犯罪が起こっているけれど、空爆やレイプや拉致に怯える世界とは対極にいるって言っても、それほど間違いではないでしょう。

クリス岡崎さんが「世界が100人の村だったら」の話に続けて言ったのは、「“自分” のために豊かになりたいとか、自由になりたいなって言うなよ」って。

もう日本人は十分に豊かだし自由なんだから、と。

“自分” が金持ちになりたい、“自分” が成功したいって、なんか小さくないかい、って。自分だけのこと、自分のためだけに生きているって、人として生まれてきて寂しくないかい、って。

こんな話もしてくれました。クリス岡崎さんの息子さんが(確か)中学生の時、友人である同級生に学校(だったかな?)の屋上に呼び出されたそうです。

そこでその友人は、これから屋上から飛び降りて自殺するので見ていてくれって言ったそうです。一人で死んでいくのは寂しいので、飛び降りるまで一緒にいて見届けてくれって。

友人の彼は、こんなことを言ったそうです。

「今、いろいろとあって辛いんだ。でも、それは我慢できる。人生の一時期に辛いことがあるのは分かるから。でも、回りの大人を見ても、みんな辛そうにしてるんだ。

仕事が嫌だ嫌だって言いながら、でも働かなくちゃいけなくて、全然楽しそうじゃない。今が辛くて、大人になっても辛いのなら、この先も生きていく理由が見つからない」って。

そして彼は、息子さんの見ている前で屋上から飛び降りて自殺したんです。

幸せに生きるのは、大人の責任

クリス岡崎さんは、後で息子からこの話を聞いて、もう本当に怒りを抑えられなかったそうです。子供たちに人生を楽しく生きてるって姿を見せられていない “大人” に。

幸せに生きるのは、大人の責任。生きてるって楽しいって顔をして生きるんだ。

そういう姿を子供たちに見せられていないから、大人が格好悪いから、子供たちが明るい将来を想像できずに、夢を語ることをやめ、そして自殺していくんだって。

このシリーズの初回でも触れましたが、日本での1年間の自殺者数は(厚生労働省が公表している3万人とかではなくて)少なくとも11万人くらいはいるんじゃないかと推測されるそうです。

これって、もの凄い数字です。5分に1人、日本国内で自らの命を絶っている人がいるんです。5分に1人ですよ。1時間に12人。毎日毎日300人もの人が自殺でこの世を去っているんです。

年11万人の自殺者
電車で通勤通学をしている人は、「~で人身事故があった影響で、電車が遅れて運行されています」って車内アナウンスを聞く機会は少なくないでしょう。

もう、そんなアナウンスを聞くのが日常になっているので、それを聞いても特に大きな感慨をもつこともありませんよね。「あー、またか」って。

自分にとってのリアリティがないってのもあるのでしょうが、感覚が麻痺してるのかもしれません。それは、自分とは関係のないところで起こっている事だって。

でも、そうではなくて、やっぱり私たち大人全員の連帯責任なんだと思うんです。

満員電車にギュウギュウに押し込められて、隣の奴がウザいとか、会社に行ったらまた会議だよとか、それはもう苦虫を潰したような顔をする理由はいくらでもあるでしょう。

でも、「この先にはこんな明るい未来が待っているんだ」ってことなら、どうですか? 「そこにたどり着くために毎日こんな通勤電車に乗ってるんだ」ってことなら、どうですか?

心に余裕が生まれ、そして表情が緩み、もしかしたら笑顔がこぼれるかもしれません。逆に言えば、未来に夢も希望もなければ、それはやっぱり暗い顔をするしかないんです。

「こんな明るい未来」って何かと言えば、それが “夢” です。

ってことは、夢を持って生きる、あるいは目的って言葉でもいいと思いますが、達成すべき(達成したい)目的や目標を持って毎日を楽しく生きるってことは大人の責任なんだと思います。

自分の夢に大義名分を持たせる

なんかグルッと回って元に戻ってきたら、自分でもうまい言葉というか表現が見つからないって感じなんだけど、自分が夢を持つってことは、それだけで他の人のためにもなるってこと。

夢って言うと、どうしても「私は、私は」って感じになっちゃうけど、そうだとしても、その夢の実現に向けて行動することは他の人のためでもあるんだ、大人の責任なんだって意識するだけでも、そこにある種の大義名分が生まれてくるんじゃないかと。

うーん、どうだろ? うまく伝え切れていないような気がしますが。

夢の根元にあるのは for ME なんだけど、そこには for YOU も含まれているってことを “自分が” 認識することが大事なんじゃないかな。

上で大義名分という言葉を使いましたが、ある意味、自分の行動にとっての “力” になると思うんです。原動力というか。

前回の、「そこまでして、その夢を手に入れたくはない」という壁を乗り越えていくための大きな力になってくれるんじゃないかと。WANT から MUST に近づくみたいなところでしょうか。

うーむ、まだ上手く伝わっていないかもしれませんが、一旦終わります。


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