マリリーG.アダムス著 『質問思考の技術』 -- 私は「批判者」かも

今はどうなのか知りませんが、一時「質問力」という言葉というか、考え方というか、そういうものがよく話題に登っていた時期があったと記憶しています。

多分その頃に読んだ一冊だと思いますが、マリリーG.アダムス著 『質問思考の技術』 を紹介しようと思います。

質問思考の技術日本での初版は約10年前なのでちょっと古い本ですが、10年後の今読んでみても中身は古臭く感じません。時が経ってもそれほど色褪せることのない類の本だと思います。

この本を改めて読み返してみて感じたのは、「質問力」とは、ある意味人が生きていく上で、必要な回答を得るための全ての基本になる力かもしれないなってこと。

問題の答えを引き出すときでも、人から何かを聞き出すときでも、あるいは何らかの選択をするときでも、どういう質問をするかによって、得られる回答の質が異なってきます。

自分が求める(適切な)答えを得るための「質問をする技術」が質問力、というのが簡単な解釈かな。

Amazonの本書の説明には、こんな風に書かれています。

「今日は何を着ようか?」「次に何をしようか?」あまり明確に意識されることは少ないが、常に人は、自分自身に質問を投げかけている。その質問を意図的に変えることで、建設的に考える能力を身につけ、自己評価や、人間関係、仕事の成果に結びつけようというのが、本書の提案。

質問というと、主に「相手に対しての質問」という意味合いが大きいと思いますが、上のAmazonの説明でも分かるとおり、本書は「自分自信に対しての質問」に焦点を合わせてます。

なので、題名の中に「思考」という言葉が入っているわけです。

あなたは、「学習者の道」を進むのか、あるいは「批判者の道」を選ぶ?

個人的に本書の中で一番興味深かったのは、「選択の地図」ってやつ。「選択の地図」には2つの道が描かれているようです。それは、「学習者の道」と「批判者の道」。

そして、この二つの道の分岐点で、その人がどのような質問をしたかによって、進む道が決まり、得られる回答が決定されらしいのです。

違う言い方をすると、私たちは「批判者」の考え方と「学習者」の考え方のどちらかを(意識しているにせよ、いないにせよ)選択しているってこと。

具体的には、「批判者」の質問とは、例えばこんな感じ。
  • 何が悪いのだろう?
  • 誰のせいだろう?
  • どうすれば自分が正しいと証明できるだろう?
  • どうしてあの人は、無知で人をいらいらさせるのだろう?
  • また失敗するのではないだろうか?
もう一方の「学習者」の質問はこうなります。
  • 事実はどういうことだろう?
  • どんな選択ができるだろう?
  • 相手は何を考え、何を感じ、何を望んでいるのだろう?
  • 別の見方ができないだろうか?
  • 自分はどんな状態になりたいのだろう?
両者の違いは、何となくでも理解して頂けると思いますが、さらに「学習者」と「批判者」の心の状態を対比してみると、

学習者 (⇔批判者)
  • 受け入れる (⇔批判する)
  • 柔軟性がある (⇔柔軟性が無い)
  • 違いを尊重する (⇔違いを恐れる)
  • 他人の考えを尊重 (⇔自分の考えに固執)
  • 可能性には限界がないと考える (⇔可能性には限界があると考える)
という感じでしょうか。

自分自身を振り返ってみると、私はよく「批判者」の質問をしていることが多いなって。

質問2

「思い」が行動の原点だと思っていたら、その「思い」を操るのが「質問」だった?

人の行動とは、その人の「思考」によって決定されますよね。著者はこう言っています。

「思考は(無意識であっても)質問と、それに対する答えとして発生する。(どんなつまらない事であっても)何かが自分の身に起こった時、人は質問を始める。頭の中で作られる質問は決定や行動を形成し、あらゆる結果へと導く力を持っている」

ここから分かるのは、「行動」を変えるためには「思考」を変える必要があり、「思考」を変えるためには、「質問」を変えればよい、ってこと。

質問を変える → 思考が変わる → 行動が変わる

このブログで繰り返し書いていることの一つに、「人間とは考え方そのもの」であり、「人生の違いは、考え方の違い」なんだ、ってのがあります。

「思い」であるとか「考え方」が、あらゆる行動の原点であり、私たちの行動を変える、あるいは支える唯一の源であるって考え方に間違いも揺るぎも無いけれど、「考え方」を変えるのが簡単ではないってのも多くの人にとっての現実でしょう。

「われわれは、『批判者の道』と『学習者の道』を行ったり来たりしている。

どちらを選ぶかを自分で決められるということに気づかないでね。だけど、どんな時にも必ず選択しているんだ。しかし、本当の選択は、自分自身の考え方を観察して ・・・・・私は批判者になっていないか?・・・・・ 初めてできるものなんだ。

つまり、自分自身の考え方をコンントロールできないで、それ以外のことなどコントロールできるはずないんだ」

結局は、自分で自分の「考え方」をコントロールすることが、自分の人生をコントロールすることに繋がるってことなんだけど、その「考え方」を変えるための手段として「質問」があるってこと。

要は、反射的、感情的に考えるのではなく、建設的に考えることで、自分の行動を、その先の人生をコントロールしましょう、ということでしょう。

この本を読んで思い出したのは、古典的名著であるコビィー博士著の「7つの習慣」。

この本の中に、先ず第一の習慣として「主体性を発揮する」という項があるのですが、その第一の習慣の冒頭には、こんなことが書かれています。

「問題は自分の外にあると考えるならば、その考えこそが問題である」

先に述べた「批判者」の質問と「学習者」の質問をもう一度見比べてみて下さい。

「批判者」の質問は、問題は「自分の外」にあるという考えであり、「学習者」の質問は「主体性」を持って、「選択の自由」は自分が持っている、という考え方です。

たどり着いたのは「主体性」かな。

そして、「主体的」に自分の人生をコントロールして生きるための技術として、「質問思考の技術」は非常に有用であるということでした。



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