稲盛和夫著 『君の思いは必ず実現する』 -- 道は近くにありき

「高く自らを導いていこうとするならば、あえて障壁に立ち向かっていかなければならない。その際、一番の障壁は、安逸を求める自分自身の心だ。そのような自分自身に打ち勝つことにより、障壁を克服し、卓越した成果をあげることができる」

これは稲盛和夫さんのお言葉。「一番の障壁は、安逸を求める自分自身の心」ってのは、本当にその通りだなって、最近頻繁に感じることがある。

夢を実現したいとか、何かを成し遂げたいとかって考えた時、自分の前に立ちはだかる障害として(なんとなく)イメージするのは、例えばお金とか、あるいは環境とか、人によっては時間とか、自分の外にあるものって思い勝ちだけど、本当に最大の障害ってのは自分の中にあるんだよね。

それは何?って言えば、繰り返しになるけど「安逸を求める自分自身の心」な訳です。「ま、現状のままでもいいじゃん」って考えです。そんなに苦労して手に入れる必要も無いんじゃね、ってね。

「振り込め詐欺」って、熱意も能力も素晴らしいと思うけど

稲盛さんで有名なのは、「人生・仕事の結果 = 考え方×熱意×能力」という考え方。

「能力」とは、才能や知能といった「先天的な資質」で、「熱意」とは、情熱や努力する心といった「後天的な努力」。面白いのは、「考え方」が最も大事なものであり、能力と熱意は0~100点までなんだけど、考え方は−100点~100点まであるってこと。

どれだけ「熱意×能力」の掛け算が大きくなったとしても、「考え方」がマイナスだと「人生・仕事の結果」は全てマイナスになってしまうわけです。

考え方

1983年、稲盛さんは京セラの取締役会で、「創業以来、積み立ててきた手持ち資金が千五百億円ある。このうち、一千億円を使わせてほしい」と、第二電電設立の了解を求めます。

当時、電電公社(今のNTT)は年間売上高四兆円あまり、社員三十三万人という巨大企業で、また明治以来整備につとめてきた通信回線がすみずみにまで張り巡らされていました。

一方の京セラも大企業とはいえ、電電公社とは比べるべくもなく、さらに通信事業の技術も知識もないという中での、まさにリスク以外の何者でもないという状態。

稲盛さんは、取締役にかける前の半年間、「私が新しい電話会社を作ろうという、その動機は善なりや」「有名になりたいという私心はなかりしか」、という自問自答を何度も何度も繰り返したそうです。

これが、DDI(第二電電)設立に際して稲盛さんが言われた、「動機善なりや、私心なかりしか」という名言の中身です。

いろんなところで紹介されている内容だと思いますが、今回は稲盛和夫著 『君の思いは必ず実現する』から引用させて頂いてます。

君の思いは必ず実現する稲盛さんの第二電電設立の動機は、日本の通信料金を下げようという志でした。

日本の通信の世界には、NTTという巨大な企業しか存在していなかったので、電話料金、通信料金が世界水準に比べてもかなり高い状態だったからです。

『才能に乏しくても熱意があれば人に負けないはずだ。しかし、それ以上に大切なものがあるはずだ。それは心のあり方だ。人間として正しい考え方を持ち、目標に向かって一生懸命に努力すれば必ず夢は実現する、つまり、人生は心に描いた通りになる、そう考えて、わたしは今日まで生きてきました』

これが、「人生・仕事の結果 = 考え方×熱意×能力」という考え方であり、また本書の題名となっている思いでもあるわけです。

頭の中を優しさでいっぱいに出来たなら

本書は低年齢層向けに書かれた本のようで、大半の漢字には振り仮名が振ってあります。そんな稲盛さんがこの本で「21世紀の子供たちへ」伝えたいこととは?

「人生の目的は、いい人間になること」

いい人間とは、美しい心を持った人。美しい心とは、思いやりの心、あるいは「優しさ」です。優しい心、思いやりの心、美しい心を持った人になることが人生の目的だって言ってるんです。

そして、「優しさ」とは、「利他の心」なのでしょう。

私たちは日々の生活の中で、どうしても自分の損得や勝ち負けにこだわった行動をとってしまいがちです。つまり利己にとらわれ、つい自分ことだけを考えてしまいます。

でも、そういう心を持った人が増えてきた結果が、今の日本なのかもしれません。

「利己にとらわれることなく、自己犠牲を払ってでも相手に尽くそうという、利他の心を大切にしていこうではありませんか」と、稲盛さん説きます。

頭の中にハート

昔聞いた話で、強く印象に残っているものがあります。

あるお寺の修行僧が、そこのお寺の老子に聞きました。

「あの世に、地獄も極楽もあるといわれていますが、本当にあるのでしょうか」

老子はこう応えました。

「もちろん、あの世には地獄も極楽もあるけど、お前の想像と違って、見た目は地獄と極楽とはまったく同じ世界です。違っているのは、そこに住んでいる人の心だけです」

修行僧は、「心が違うというだけで、なぜ地獄と極楽とに分かれるのですか」と。

老子は、大きな釜に煮えている、美味しいうどんに例えて答えました。

その釜のうどんを食べるには、ルールがあります。それは、1メートルくらいの長い箸で、しかもその端を持って食べなければならない、ということです。

地獄も極楽も、ここまではまったく同じなのです。つまり釜の大きさも、その釜を囲んでいる人数も一緒で、そこにいる人の心だけが違っているのです。

空腹を抱えて、美味しそうなうどんを目の前にして、「さあ、皆さんどうぞ」と言われます。

地獄にいる人は、1メートルの箸でうどんをつかむやいなや、自分の口に入れようとしますが、箸が長すぎて食べることができません。

反対側からは、こいつに食われてたまるかと、その人のうどんを自分の箸で引っ張る。これが阿鼻叫喚の図です。そして、誰一人として、その美味しいうどんを食べることができないのです。

一方、極楽では、箸で釜の中のうどんを取り、「はい、あなたからどうぞ」と、向こう側の人に食べさせてあげると、今度は相手が「あなたもどうぞ」って、お互い同士が食べさせあっています。

これが、「心のあり方」というもの。心のあり方次第で、状況はまったく同じでも、結果は大いに異なってくるものなのです。

中村天風さんという哲学者がいらっしゃいますが、稲盛さんは、その天風さんの次のような言葉を引用しています。

「人生は自分がどう受け止めるかでまったく違ってきます。たったそれだけのことなのに、人はそれを知らない。知らないために、みんなが迷っています。だからみんなつまらない人生を送っているのです。たったそれだけのことを信じて生きていけば素晴らしい人生が開けるのです」

もう何年も前のことだけど、京都で時間が余ったので東山地区を学生や観光客に交じって散策していたら、あるお寺の門前に、「今週の言葉」みたいなのが掲示されていました。そこには、

『道は近くにありき
 迷える人は、それを遠きに求める』

そう、人生において自分が歩むべき道は、きっとすぐそこにあるのかもしれません。


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