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“問題”にぶつかることでしか、人は成長できない

このブログでも何度かご紹介させて頂いている池松耕治さんも出席されるとのことで、「Growing Together」というイベントに参加しに、「めぐろパーシモンホール」に行ってきました。

パーシモンホール
今回は残念ながら池松さんの持ち時間は短かったのですが、その中でも印象に残ったお話(池松さんが毎度毎度話されている内容なんですけどね)を紹介させて頂きます。

問題がないってことは、夢に向かってチャレンジしていないってこと

今、自分の人生、「マジ、うまくいきまくっている」って人はいますか? 

逆に、いろいろと問題があって躓いたり、あるいは頑張っているのに思うような成果が出ていない人はいますか?

多分、95%くらいの人は、後の質問の方(うまくいってないよ、って方)に手を挙げるのではないでしょうか。

そして、「今、問題を抱えている人、おめでとうございます」って池松さんは言います。

人が人生を歩んでいく上での“問題”、いろいろとありますよね。人間関係だったり、お金だったり、健康の問題だったり。

でも、もしも「私には問題がない」って人がいたら、その人は(基本的には)「夢に向かってチャレンジしていない」ってことのようです。

夢に向かってチャレンジする、あるいは目標を持って何かに向かってチャレンジすれば、そこには必ず問題が出て来るのです。これは100%確実なことなんです。

なぜ問題が出て来るかというと、その夢を実現するのに相応しい人間になるために。

その夢を実現するのに必要な能力とか、必要な知識とか、必要な技術とかといった、人間としての器を身につけるために、問題を神様が与えてくれるんです。

だから、問題イコール神様からのギフトなんだよ、プレゼントなんだよって。ありがたく思わなくちゃ。

あなたの眼の前に現れる問題は、あなたが本来のあなたの姿になるために必要な、乗り越えなくてはいけない試練なんです。

問題が無いと、自分が成長しているどうか知る術がなくなります

体力をつけたいとか、筋肉を鍛えたいって思ったら運動をしますよね。その目指す場所が高ければ高いほど、その運動は苦しいじゃないですか。やっているときは辛くて苦しくて、それでも頑張って頑張ってやって。

それなのに目に見えた成果ってなかなか上がって来ないってことは、よくありますよね。

そんな時、あなたは何を拠り所にして、目指す姿に近づいているかどうかを判断しますか? もしかしたらそれは、“辛い”とか、“苦しい”とか、“痛い”といった感覚ではありませんか。

これまでの経験から、この“苦しさ”こそが前進している証なんだって思うわけですよね。目に見えた進歩は無いけれど、間違いなく前進しているって。

人生のおける“問題”とは、運動における“苦しさ”と同じなんです。

人としての成長なんて、それこそ身体的な成長よりも目に見え難いです。だからこそ、この“問題”が成長の道しるべになってくれるのです。

問題があるってことは、ほんの少しづつ、目には見えないかもしれないけれど、ほんの少しづつ成長し続けているよってことを知らせてくれているのです。

だから問題があったら、それはあなたを成長させるために与えられた問題なんだから、ありがたいって感謝の気持ちを持って、その問題を乗り越える勇気を持ちましょう。

それが成長するために唯一必要なことなのだから。唯一、夢をかなえるために必要なことなんです。

問題を避けるとは、成長するチャンスを自ら捨てること

シンプルだけど、真実だよなって思います。

なるほど、人としての成長なんて測定のしようがありません。1年前に比べて、自分はどれだけ成長したかなんて数字では表せませんよね。5年後にどれだけ成長していたいといった数値目標も立てることは出来ないでしょう。

考えてみると、自分の過去を振り返って人に自慢(?)する時、それって苦労話が多いような気がします。なぜなら、その苦労の分だけ自分は成長したんだって分かっているからなのでしょう。

問題にぶつかることでしか人は成長できないのかもしれません。そう考えていくと、池松さんの言う「問題=神様からのプレゼント」という話も心から納得できそうです。

逆に言うと、問題を避けるということは、成長するチャンスを自ら捨ててるってことなんですね。

まあ、本能として仕方がない部分が大きいとは思いますが、「問題=なんとしてでも避けるべきもの」から、「問題=成長のために自ら求めるもの」という“意識”に変わることができたなら、もう成功することが約束されたようなものですね。

いや、「意識を変える」のではなく、単に“気づく”だけなのかもしれません。「おー、そうなのか」って。

その意味では、これは青木先生がいうところの捉え方の問題、解釈の仕方の違いなんでしょう。「イヤだな」って思うか、「ウレシイな」って思うか。「人生の違いは、考え方の違い」なんです。

おっと問題だよ! ウレシイなー、アリガタイなー

今、自分で文章にしながら、ここに大きな“秘密”、あるいは“秘訣”が隠されているような気がしてきました。

以前、ジェームス・スキナーの著作を引用しながら、自分の「連想体系」に関する記事を書きました。

その中で、私たちのあらゆる行動の動機は、たった2つしかなく、その2つとは「快楽を得たい」という動機と、「痛みを避けたい」という2つ動機であると言いました。

意識している、いないに関わらず、私たちは常に「快楽」が得られる行動を選択し、「痛み」を避けるための行動をしているんです。

なぜなら、これまたジェームス・スキナー著「成功の9ステップ」から引用すると、

感情は人生そのもの。あなたが欲しいものはすべて、突き詰めて言うならば感情なのだ。

ということなんです。そして、快楽も痛みも感情なのです。

上の文章を少し言い換えると、私たちは常に「心地よい感情」が得られる行動を選択し、「痛みの伴う感情」を避けるための行動を選択しているということになります。

そして、更にジェームス・スキナーの言葉を借りれば、

何に快楽を連想し、何に痛みを連想するか、が人生の違いなのである。

何が言いたいかというと、“問題”にぶつかったら“快楽”を連想すればいいってことです。「おっと問題だよ! ウレシイなー、アリガタイなー」ってね。

問題こそが唯一の成長している“証”なわけですから、そこに“無理”はありません。単に“気づき”の問題に過ぎません。



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