アンソニー・ロビンズ著 「人生を変えた贈り物」

前回、「Growing Together」での池松耕治さんのお話を紹介しましたが、池松さん、このイベントに出席するために、その前日にオーストラリアから帰国したばかりでした。

オーストラリアに行っていた理由は、世界一のトレーナーと言われるアンソニー・ロビンズのセミナーに参加(6日間で100万円!)するためでした。

私自身はまだこのセミナーに参加できませんが、アンソニー・ロビンズの著作は何冊か読んでいるので、その内の一冊「人生を変えた贈り物」を紹介しましょう。

アンソニー・ロビンズのこんなエピソードから始めましょう。

「人生を変えた贈り物」とは

人生を変えたある年の感謝祭の日、若い夫婦は暗い気持ちで朝を迎えた。神からの贈り物に感謝する日なのに、何もなかった。「ご馳走」を楽しむ日だけど、あれこれかき集めて貧しい食卓をかざるのが精一杯だろう。

挫折と失望から、二人の間には、思いやりのない、とげとげしい言葉が飛び交った。長男は、自分が愛している人同士が怒りを募らせ、暗く沈んでいくのを見ながら、無力感に打ちひしがれていた。

その時、運命が顔をのぞかせた-----不意に大きなノックの音がして、少年がドアを開けると、大柄な男がよれよれの服を着て立っていた。満面の笑みと共に抱えたバスケットには、七面鳥、パイ、スイートポテトに缶詰類など、お祝いのご馳走がすべて詰まっていた。

驚く家族に、戸口の男は言った。

「あなた方がお困りだとある方からです。あなた方のことを愛し、気にかけている者がいることを知って欲しいのだそうです」

男は笑顔でバスケットを少年の腕にあずけ、踵を返し、帰っていった。

その瞬間から、少年の人生は変わった。永遠に。優しさを示す、ほんの簡単な行為だったが、そこから少年は学んだ-----希望は永遠に消えることはない。人は、まったく他人のことでさえ思いやっている。

少年は、いつか自分もこんな贈り物ができるようになろうと心に誓った。

そして18歳になったとき、少年はその誓いを初めて実行した。自分で稼いだなけなしのお金で、その日の食べ物にも困っていると知った二組の家族のために、食料品を買った。

わざと古ぼけたジーンズとTシャツを着て、今にも倒れそうなあばら家に、ただの配達係りとして食料品を届けた。

「ぼくはただの配達係りです。友達からこれを預かっています」と言いながら、贈り物とメッセージを手渡した。

「自分たちが愛されていることを知って下さい。そしていつか、もし機会があれば、同じように誰かに贈り物をしてあげてください」

走り去りながら振り返り、手助けさせてもらった家族の笑顔を見た少年は、自分のストーリーがぐるりと一回りしたことに気がついた-----子どものころのあの「悲惨な日々」は神様の贈りものだったのだ。

あの日からずっと、人に尽くすことで満足を得る人生へと導かれてきたのだ。

その日から今日まで、少年は大きな目的を持った旅を続けている。その目的とは、自分と家族に届けられた贈り物を別の誰かに届けること。そして思い出してもらうこと-----辛い状況を変える道は必ずある、と。

この少年が、アンソニー・ロビンズです。そして、この本の題名である「人生を変えた贈り物」とは、アンソニー・ロビンズが子どもの頃に受け取った、この感謝祭の日の贈り物を指しているのでしょう。

あなたの“行動”を支える「信じる力」

アンソニー・ロビンズの人生の目標は、夢を忘れ、自信と希望を失ったすべての人に、自分の中に眠っているパワーを思い出してもらうこと。

本書は、そのパワーを呼び覚ますためのステップを、11のレッスンを通して教えてくれるものですが、その中から一つ「信じる力」を紹介しましょう。

人が何かを成し遂げようとうする時、その中心となるのは間違いなく“行動”でしょう。どんなに知識があろうと、“行動”の無いところに“成果”は生まれようがありません。

でも、“行動”にもバックボーンが必要なのです。特に、その行動を続けることが難しい時には。そのバックボーンとなるのが「信じる力」です。最近、こことか、その他にもいろんなところで出会う「信念」という言葉に置き換えてもいいでしょう。

信じる力は心臓の鼓動にまで影響するそうです。ヴードゥー教を本当に信じている者は、「呪い」をかけられると本当に死んでしまいます。呪いのためではなく、自分で自分の心臓に対して「止まれ」という指令を出してしまうからだそうです。

人は、「信じる力」を持ったとたん、今度はその力によって、見えるもの、感じるものがコントロールされるようになるんですね。それは、何かを信じている時の脳は、「これこれの反応をせよ」という問答無用の指令を出すからなのです。

聖アウグスティヌスのはこんなことを言っています。

「信仰とは、まだ目にしていないものを信じることである。
 そうした信仰の見返りは、信じるものが見えることである」

確かにこうだと信じている。その信念を支えているのは自分自身の経験

でも、「信じる力」って具体的にはどういうことなのでしょうか。

アンソニーは、「信じる力」とは何か意味のあることについての「確かさの感覚」だと言います。

今一つピンとこないかもしれませんが、「わたしは自分が知的だと信じる」とは、本当は「わたしは自分が知的だと確かに感じる」と言っていることになります。

わたしたちは誰でも、ほとんどあらゆることについての答えを持っているのに、信じる力がないために、言い換えれば「確かさの感覚」がないために、自分の能力を発揮できずにいるのです。

自分に向かって、「わたしは愛情豊かだ」と言ってみましょう。

そして、この「愛情豊かだ」というのが単なる「考え」か「信じる力」かは、いま口にしたその言葉の中身を、あなたがどれほど確かだと感じているかで決まります。

「いや、それほど愛情豊かではないかな」って思うなら、それは「愛情豊かだとは、確かに感じられない」ということになります。

ではどうしたら、単なる「考え」を「信じる力」に変えられるのでしょうか。

アンソニーは、「考え」を脚が1本か2本しかないテーブルのようなものと説明しています。脚が揃わなければテーブルはじっと立っていることすらできません。

これに対して「信じる力」は、いわばしっかりと脚の揃ったテーブルなのです。

「わたしは愛情豊かだ」という言葉を本当に信じているとするならば、その「考え」を支えるだけの「経験」があるということであり、そうした根拠や経験こそが「脚」となって、あなたのテーブルを支え、信じる力を確かなものにしているのです。

例えば誰かから、とても愛情豊かな人だと言われた経験が、あなたのテーブルの「脚」になっているのかもしれません。

自分の“良いところ”に目を向け、それを堅固な脚として

肝腎なのは、こうした経験はどれも、あなたが支えとして活用しない限り、何の意味も持たない、ということです。

その経験が活用されてこそ、テーブルの脚となって、確かさの感覚を得ることができ、そして「信じる力」となるのです。

ここで言いたいのは、自分が何かをやりとげるために「信じる力」が欲しいのであれば、そのテーブルを支えてくれそうな経験を(自分の中から)探してきて、それを活用しなさいということです。

わたしたちは人生の中で、非常にたくさんの経験をしてきています。その中には脚になり得る貴重な経験がたくさんあるにも関わらず、それを上手に活用できている人は果たしてどれくらいいるでしょうか。

様々な体験を、自分にとって“アゲインスト”の方向に活用している人は多そうですけどね。

例えば、「自分には能力が無い」っていう、自分にとって好ましくないテーブル(信じる力)を考えた時、このテーブルを支える様々な根拠や経験はいくらでも見つけてこれそうな気がしませんか。

そして非常に立派なテーブルを作り上げてしまうんです。「自分には能力が無い」っていうテーブルをね。

大切なのは、あなたがどちらのテーブルを組み立てるのかということです。これも「選択」なんです。

よく本などで見かける、「自分のことを誉めてあげよう」とか、「自分の長所を書き出してみましょう」というのは、このテーブルを支えるための脚を探すことだったんですね。

あなたを支え、希望とエネルギーを与えてくれるような「信じる力」を選んで、しっかりとしたテーブルを作り上げましょう。


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