重要なのは、刺激にどう反応するか(「7つの習慣」-その4)

前回の続きで、主体性の話をもう少し。

初めて「7つの習慣」を読んだ時、一番印象に残ったのは、「刺激と反応の間にはスペースがある」という言葉だったという話を前回書きました。外からの刺激に対して、どういう反応をする(感情を持つ)かは、あなたの“選択”だよってことでした。

他の人の発言は、その人のパラダイムや人格のレベルを投影しているだけ

本の中で、エリナー・ルーズベルトの次のような言葉が紹介されています。

「あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない」

これも同じく、あなたの選択だってことです。本当の意味では、あなたの身に起こる出来事によって、あなたが傷つけられることはありません。あなたがその状況を容認するという“選択”によって、傷を受けるのです。

夕焼け雲
本の中に「社会の鏡」と呼ばれるものが出て来るのですが、これは私たちを取り巻く社会通念や人々の意見、考えを総称したものとのことです。

多くの人は、自分自身に対するパラダイムや考え方を、この社会の鏡から得ているといいます。この社会の鏡に反射して見えて来るものが、あなたのパラダイムや考え方だと思うわけです。

ここで書いた、「あなたには無理だ」とか、「あなたには出来ない」、「そんな夢を持っても無駄だからやめとけ」と言う人達や“常識的”な考え方が、あなたのパラダイムや考え方を映し出していると思っているんです。

でもこの鏡は歪んでいますよね。これらの発言は、私たちの本当の姿や可能性を映し出すものではないんです。本の中では、こんな風に表現されています。

これらは、発言した人のパラダイムや人格のレベルを投影しているだけなんです。

これは奥が深いなって(ま、勝手にですが)感じました。

重要なのは、外からの刺激に対してどう反応するかということ

前回、主体性のモデルを紹介しました。

[刺激]⇒[選択の自由]⇒[反応]

私たちは、刺激と反応の間に選択の自由を持っているということでした。先のエリナー・ルーズベルトの言葉に当てはめると、

[否定的な言葉]⇒[容認しない]⇒[傷つかない]

となります。

そして、「容認しない」理由は、その否定的な言葉があなたの真実ではなく、「発言した人のパラダイムや人格のレベルを投影している」に過ぎないからです。だからそんなことを容認する必要なんてぜんぜん無いってことです。

言い換えると、自分の身に何が起こるか、何を言われるかではなく、それにどう反応するかが重要なんだってことです。

この嫌なことがあったからこそ、私は成功できるんだ

生きている限り、誰の身にも嫌な事が起こります。傷つけられたり、否定されたり、意気消沈してしまうようなことを言われるわけです。これらの「嫌なこと」を避けて生きることはできませんよね。

そして、あなたにとって嫌なことが起こった時、「わー嫌だっ!もう嫌っ!」って、その出来ごとに対して反応的な感情を持ってしまうのは仕方ないですよね。だって、これまでずーっとそうやって生きて来たのですから。

でも、残念ながらそこからは何も生まれてきません。反応的に生きている限り、そこには成長も何もないんです。

主体性を発揮するとは、起きた出来事に感情的に反応するのではなく、それを自分の成功に導けるような反応をするということなんです。

あなたの身に起こる嫌なこと(否定的なことを言われたり、受験に失敗したり、怪我をしたりとか)に、「だから私には出来ない」ではなく、「この嫌なことがあったからこそ、私は成功出来るんだ」という“意味”を与えることが主体的に生きることです。

先に書いたように、「あなたには出来ない」、「そんな夢を持っても無駄だからやめとけ」っていう言葉に、「そーか、私には無理なのか。自分でもそんな気がする」と反応するのではなく、「それはあなたのパラダイムの反映に過ぎない。私には出来る」って思うのが主体的に生きるということです。

自分の周りで起きる出来事の“意味”は、すべて自分でコントロールできる

松本守正さんがこんな事を言っていました。

否定してくれた人に、「お前が出来ないって否定しくれたから本気になれた。あの時、おまえが否定してくれなかったら、俺はまだ中途半端にやっていただろう。成功できたのはおまえのおかげだ」って思えるようになれ、と。

これが、相手の否定的な言葉に、自分なりの(肯定的な)意味を選択した、見出したということです。

繰り返しますが、主体性を発揮するとは、あなたの周りで起きた出来事の“意味”を、あなたがコントロールできるようになることです。その出来事にどういう意味を与えるのかという“選択”をすることなんです。

その選択とは、あなたの状況がどうであれ、全てをあなたの力に変える、そして決してそれをあなたの言い訳にしないという選択です。

これが、人として自分の人生に対する責任を持つということ。あなたの周りで起きている出来事は全てあなたに責任があるということを受け入れることです。

言い方を変えると、自分の人生は自分次第でどうにでもなるってことを自覚することです。なぜなら、自分の周りで起きる出来事の“意味”は、すべて自分でコントロールできるからです。

あいつの言動にイライラさせられるのは、あいつのせい?

主体的に生きている人に「言い訳」という言葉は存在しません。

「言い訳」って、「会社に遅刻して、電車が遅れたせいで」みたいなのが典型だと思いますが、そのカバー範囲は想像以上に広いんです。簡単に言うと、「反応的な言葉」は大概が言い訳なんです。

「あいつの言動には本当にイライラさせられる」
イライラするのは自分の責任ではない。私にはコントロールできない外の要因が、私の感情を支配している。(イライラするのはあいつのせい)

「妻がもっと忍耐強かったら、家庭はうまくいくのに」
他の人の行動が、自分の生活や幸福を制限している。(家庭がうまくいかないのは妻のせい)

「やりたくはないけど、やらなくちゃならないんだ」
状況や他の人によって、自分の行動が強要されている。自分の行動を選択する自由がない。(やらざるをえないのは状況や他の人のせい)

見て分かる通り、反応的な言葉の背景にある精神は、責任を転嫁することです。責任は自分にはない、自分の反応は選ぶことができないというものなのです。

反応的に生きるか、主体的に生きるか。この2つに良し悪しはないんだけれど、反応的に生きていたら成功できないでしょ、だから主体的に生きて成功への道を歩んでいきましょうよ、というのが第一の習慣「主体性を発揮する」ということです。

次回、ではどうやってこの「主体性を発揮する」という習慣を身に付けていくかって話をしましょう。



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