この旅を終えるとき、あなたは何と答えますか?

スティーブン・R.コヴィー博士著「7つの習慣」を題材に、池松耕治さんのセミナーや関連する本の紹介などを交えながら、「依存から脱却し自立する」というテーマから始めた一連の記事は、前回で、「7つの習慣」で言えば導入の部分から第一の習慣「主体性を発揮する」辺りまで、取り敢えず完了しました。

続いて第二の習慣「目的を持って始める」へと入って行くわけですが、第一の習慣から第二の習慣へと橋渡しの意味も含め、田坂広志著「自分であり続けるために」からいくつかのエピソードを紹介していきたいと思います。

彼岸花

人生の分かれ道

ある男性が、海外出張のとき、自動車を運転していて、一瞬の不注意から瀕死の重傷を負う事故に遭いました。

運び込まれた現地の病院での大手術により、九死に一生を得たのですが、残念ながら左足を切断する結果になってしまいました。

意識が回復し、左足を失ったことを知ったその男性は、ひとり、病院のベッドの上で嘆き悲しんでいました。

しかし、そこに日本から駆けつけてきた、その男性の妻は、病院に入るなり夫を抱きしめ、こう言いました。

「あなた、良かったわね。命は助かったし、右足は残ったじゃない」

彼が左足を失ったのは事実です。もちろん、失った左足を嘆いて、片足で生きていかなければならない人生を悲観して、自己憐憫の殻の中に閉じこもって生きるのも一つの選択です。

彼の奥さんが言うように、「よかった! まだ命も右足も残っている」って考え、「左足を失った」という事実に対して、自分の人生を成功に導くような考え方をするという選択もできるのです。

何度も引用させて頂いていますが、松本守正さんの言葉です。

人はモノの捉え方、考え方、表現の仕方によって人格が決まる。

私たちの人生の、本当の「分かれ道」は、どこにあるのでしょうか。

それは、どのような出来事が起こったかにあるのではないのかもしれません。

起こってしまった出来事を、どう解釈するか。

その解釈にこそあるのです。

“困難”という機会

大リーグのイチロー選手が、あるピッチャーとの対戦で何試合もヒットを打てず、抑え込まれていたときの話です。

「あのピッチャーは、苦手なピッチャーですか?」

インタビューアーの質問に対して、イチローはこんなコメントを残しています。

「いえ、彼は、自分の可能性を引き出してくれる素晴らしいピッチャーだと思います」

“困難”とは、成長するための素晴らしい機会なんだよって言ってるわけですね。まさに、池松耕治さんがいつも言うところの「問題は神様からのプレゼント」ってことです。

問題にぶつかって、そしてそれを乗り越えていくことで成長していく。逆に言うと、私たちは問題にぶつかることでしか成長することは出来ないのかもしれません。

以前、パラダイムの話をしました。パラダイムとは、世界を見る見方、考え方、あるいは私たちの認識、理解、解釈を決めるものであり、価値観と言ってもいいかもしれません。

そして、100人の人がいれば、そこには100通りのパラダイムがあります。私たちは往々にして、自分の持っているパラダイム(考え方)が正しくて、他の人の持っているパラダイム(考え方)が間違っているって思いがちですが、パラダイムに良いも悪いも、正しいも間違っているもないのです。

先日のセミナーで池松さんは、こんなことを言っていました。

人は自分の考え方と近い考え方を持っている人と一緒に居たがるそうです。なぜなら、そこには意見の衝突が起きにくいから。そこにあるのは“癒し”です。まー、ホッとするわけですね。

でも、あなたの周りに、自分と似たパラダイムや価値観や考え方を持った人ばかりがいると、人はなかなか成長出来ないそうです。

自分と違った物の見方や考え方と出会って、「そうか、そんな考え方もあるんだ」って学んでいくのです。ちょうどイチローが「苦手なピッチャー」に出会ったように。

だから、自分と違った価値観の人に出会うのはラッキーなんだけど、実際には我慢できないような価値観と出会うこともあるでしょう。そんな時は、こうするそうです。

ポンっと手を叩いて、「面白い」。

要は相手の価値観と闘わないってことです。これが出来るようになると、人間の器が一回り大きくなるとのことです。

制約の中の自己表現

かつて、シンセサイザーという技術が世の中に現れたとき、この新しい電子楽器を用いて音楽の地平を切り開いた富田勲さんがこんなこと言っています。

音のパンフレットと呼ぶべきシンセサイザーの出現によって、画家が絵具を混ぜ合わせ、好きな「色」を作りだすように、我々音楽家も自由に好きな「音」を作り出せるようになった。

しかし、ここで一つの素朴な真実に気がつきます。

シンセサイザーの出現によって、どれほど自由に「音」を作り出せるようになっても、古くからあるピアノやバイオリンなど、音の種類に「制約」のある楽器での演奏が廃れることは決してありません。寧ろ、ますます輝きを増していると言ってもいいかもしれません。

「制約」の中での自己表現。

私たちの人生も同じなのかもしれません。以前、「あなたの言い訳はなんですか?」って聞きました。その言い訳は、あなたの人生を制約しているものなのかもしれません。

あなたの制約は何ですか? 夫ですか、妻ですか、生い立ちですか、両親ですか、学歴ですか、環境ですか、会社ですか、社会ですか、性別ですか、年齢ですか。

楽器と同じように、制約のある中で、いかに自己表現していくのか。そんなことが問われているのかもしれませんよ。

Begin with the End in Mind

アメリカの初等教育において、必ず子供たちに教える言葉があるそうです。

Define your own success.

あなた自身の「成功」を定義しなさい。

世に溢れる「勝者」や「敗者」という言葉の中で、私たちは自分自身が定めた「成功」の基準ではなく、社会通念が定めた「成功」の基準によって、無意識のうちに人生の道を選んでいるように思います。

そして、自分自身の「成功」を定義しようとするとき、私たちはさらに深い問題に突き当たります。

自分が本当に求めているのものは何なのか?

それゆえ、アメリカの初等教育においては、先の言葉と共に、必ずもう一つの言葉を教えるのです。

Find your own uniqueness.

あなた自身の「個性」を発見しなさい。

「個性」とは、違う言い方(解釈)をすれば、“使命”なんだと思います。あなたは、あなたの命を何のために使いますか? それを見つけなさいってことかと。

使命とは、これまた別の言い方をすると「人生の目的」なのかもしれません。そして、「7つの習慣」の第二の習慣は、「目的を持って始める」です。どこに向かって生きて行くのかってことですね。

でも、原書での第二の習慣は、「Begin with the End in Mind」となっています。この「the End」を日本語訳では「目的」としているわけですが、池松さんは微妙に違うんじゃないのって言います。

ええ、最高の人生でした

いつか、この旅は終わりを迎えます。

私たちが、この旅を終えるとき、一人の不思議な人物が傍らに立ちます。そして、静かに問います。

「良き人生であったか」

その問いに対して、あなたはなんと答えるでしょうか。

「ええ、最高の人生でした」

いつの日か、そう答え、この旅を終えたい。

誰もが、そう願っていることでしょう。

この「旅の終わり」が、「the End」なんです。

そしてこの旅の終わりに、あなたは自分の人生に対してどんな思いを持って終えたいですか。家族や友人たちから、あなたはどんな人だったと言ってもらいたいですか。

この“思い”が「the End」なんだってことです。こんな風に思いたい、こんな風に思ってもらいたい。その“思い”を持って人生を歩んでいきましょうというのが第二の習慣なのです。

夢を求めることの意味

アカデミー女優のウーピー・ゴールドバーグが、俳優修業をする若者たちから、次のような質問を受けました。

私たちは、将来、役者になることを夢見て、毎日毎日、厳しい修行を積んでいます。こうした私たちの努力は、いつか報われるのでしょうか?

この質問に対して、ゴールドバーグは、こんな風に答えました。

いま、あなた方は、いつか役者になりたいとの夢を持ち、素晴らしい仲間とともに、励ましあい、助け合いながら、毎日その夢を追い求め、目を輝かせて生きているのでしょう。そうであるならば、あなた方の努力は、すでに報われているのではないですか。

この言葉は、私たちが夢を求めて生きることの本当の意味を教えてくれます。

いま、この一瞬を、輝いて生きること。

夢を求めて生きることの本当の意味は、そのことにあるのでしょう。

私たちには、過去に生きることはできません。未来に生きることもできません。

生きることが出来るのは、永遠に続く「今」だけです。

今、この一瞬を輝いて生きていくしかないのです。でもそれが、「ええ、最高の人生でした」という「the End」へと続く道なのだと思います。


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