自分の人生の脚本を、「自分自身で書く」ということ

前回、「7つの習慣」の第2の習慣、和訳では「目的を持って始める」ですが、原著では「Begin with the End in Mind」なんですって話をしました。

そしてこの「the End」とは、あなたが人生に別れを告げる時のことなんだと。なので、第2の習慣とは、「人生の終わりに『こうありたい』という思いを持って(何かを)始める」ってことになります。

1015夕焼け
前回、あなたが人生というこの旅を終えるとき、一人の不思議な人物が傍らに立ち、「良き人生であったか」と問いかける、という表現をしました。

もっと分かりやすい言い方をすると、“自分の”お葬式のシーンを思い描いたとき、その葬儀に参列してくれる人たちから、あなたの人生について、なんと言って欲しいですかってことです。あなたは、パートナーや子供、友人、あるいは同僚の心の中に、どんな人として覚えていて欲しいですか?

この場面を真剣に想像し、葬儀で述べて欲しい弔辞を考えてみれば、一瞬だけでも自分自身の心の奥底にある、「価値観」や「方向性」、あるいはあなた自身にとって本当の「成功の定義」を見つけることができるかもしれません。

それは、もしかしたらお金や名声、業績といったことではないかもしれません。

人生の最後の姿を念頭に置いて今日という一日を始める

「何かを」始めるというのは、大きく言えば「人生」を始めるだし、小さな単位で言えば「その日」を始めるということです。

人生の最後の姿を思い描き、それを念頭に置いて今日という一日を始める。あなたの行動の選択基準として、あるべき「the End」を想像し、そのために今日は何をするのか、明日は、来週は、来月は何をするのかという計画を立てるのです。

「目的を持って始める」とは、目的地を明確にしてから旅立つことなんです。目的地が分かれば現在地も分かるし、現在地と目的地を結ぶ道程もはっきりとしてきます。

目的地が明確でないと、忙しい毎日を送りながらも、その活動自体が、実は自分の最終的な目的とは何ら関係がなかったということにもなりかねません。

「すべてのものは二度作られる」という原則

この目的を持って始めるという習慣は、「すべてのものは二度作られる」という原則に基づいています。知的な第一の創造があり、それから物的第二の創造があるということです。

“知的な”創造とは、頭の中で考える、あるいは設計図を起こすということ。そしてその考えや設計図を基に、実際の物を作るのが“物的な”創造ということになります。

当然のことですよね。家を建てるには、建て始める前に家の設計図が必要ですし、食事を作る前には献立を考え、家族旅行に出かける前には目的地や行き方などを相談して決めるでしょう。

“すべてのもの”には、あなたの人生も含まれています。あなたの人生も、必ず知的な第一の創造があり、そして物的な第二の創造があるのです。

ただし、この第一の創造が必ずしも“意図的”なものとは限りません。

あなたは自分の人生に責任を持っていますか?

人は間違いなく、それぞれの人生の物的な創造を日々行っています。ただし、その基となる知的な創造、考えることを人任せ、世間任せに、あるいは流れに身を任せていませんか。

これも依存です。自分の人生を方向付ける力を、他の人や周りの状況に委ねてしまっているのですから。

よく言われる、「自分の人生に責任を持つ」とは、このあなたの人生の知的創造に、あなた自身が責任を持つということなんです。つまり、自分自身の人生の脚本を書く、自分で人生の目的を決めることが、自分の人生に責任を持つことであり、自立するということになるのです。

言い換えると、第一の習慣は「あなたは人生の脚本家であることを自覚する」ことであり、第二の習慣は「自分の人生の脚本を書く」ということになります。

私たちは他人や世間から与えられた多くの脚本を頭の中に持って生活しています。そのため、もしかしたら自分自身の脚本を書き直す必要性があるかもしれません。この「脚本を書き直す」のが、ここで説明をしたパラダイム転換ということなんです。

人生の目的って言われてもなあ

なるほど、“理屈”は分かった。でも人生の目的って?

この第2の習慣は、多分7つの習慣の中でも一番重要な習慣であり、また実行することが最も難しい習慣なのではと(個人的には)思っています。

目的さえ明確なら、そこにたどり着く道はなんとか見つけられそうな気がします。というか、目的地が分からずにそこにたどり着くことは出来ないでしょう。それだけに、人生におけるその重要性はよく理解できます。

でも、改めて人生の目的は何って考えた時、これを見つけることの難しさと言ったら。だって、普通の人はそんなこと、これまでの人生で考えたこともなかったでしょうから。

本書にも、「こうすれば、あなたの人生の目的をみつけることができますよ」とは書いてありません(イヤ、読み取れていないだけか?)。それらしいことを書いておくと、「探すことが大切」なのかなって思いますが。探さないことには見つけようがないですからね。

自分の人生の目的は何なんだろう? 私はこの命を何に使いたいのだろう? 私の使命とは何だろう? 私は死ぬ時、どんな思いを持って死にたいだろう? 自分の死亡記事が新聞の片隅に載るとしたら、どんな人だったと書いてもらいたいだろう?

自分に合った色んなシチュエーションを思い浮かべながら、心の奥底を探していく。多分、創作する必要は無いんだと思います。既に心のどこかに、それはある筈ですから、発見すればいいだけです。

先ずは、自分の心の奥底にある価値観を明確にする

私のイメージ的に、「目的を持って始める」とは、最初に「目的」があって、それに基づいて、毎日の行動を選択していくという感覚なのですが、こういう記述もあります。

目的を持って始めるということは、生活の中での様々な役割を果たすときに、明確な価値観に基づいて行動をすることである。

毎日、この“価値観”をしっかりと頭において一日を始めなさいと。そうすることで、様々な出来事に対して、この価値観に基づいて行動や反応を選択できるようになります。

「価値観=目的」ではありませんが、自分の価値観を明確にしていくことで、人生の目的に近づいて行くことが可能なのかもしれません。

そう言えば、「パラダイム≒価値観」なわけであり、パラダイムとは私たちの世界観をつくり出し、私たちのすべての行動を方向づけているものですから、そこから人生の目的にアプローチしていくという手法は有りなのではないでしょうか。

先ずは、価値観を明確にして、それを基に行動する。

でも、なんか説明が矛盾している? うまく説明できていない? 

私たちは、それぞれ固有の価値観(パラダイム)を持って人生を生きています。でも、必ずしもその価値観に従って生きているというというわけではないんです。

第一の習慣「主体性を発揮する」ことが出来ていない人が実行している人生の脚本は、その人の奥底にある価値観に基づいたものではなく、また意識的に選択したものでもなく、周りの状況や他の人に依存したり流されたりした結果なんです。

なんか説明が堂々巡りをしている気がしますが、だからこそ主体性を発揮して、自分の心の奥底にある価値観を明確にすることが大切なのです。

それが明確になって初めて、自分の真の価値観に基づいて、あなたの一日を始めることが出来るのです。そして、その先にあなたの人生の目的があるのでしょう。

価値観が明確になったら、あるいは価値観を明確にするために、どうすればいいのかというのは、また次回


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