秋に収穫するためには、春に種を蒔かなければならない

前回、「7つの習慣」の中で頻繁に見かける「原則」という言葉、その中身って何でしょうかという疑問を投げかけて終わりました。

7つの習慣における「原則」の位置づけ(?)として、このように書かれています。

(7つの習慣は)私たちの人生を支配する原則が存在するという基本的な概念に基づいている。つまり、万有引力といった法則が自然界に存在しているのと同じように、人間の生活にも自然の法則があるということだ。

海が荒れていたら漁に出ない・・・・・当たり前だよね

以前、アチーブメント(株)の青木先生のセミナーに出席した時、もう一つ理解し切れないながらも印象に残ったのは、やはり「原則」と言う言葉でした。青木先生に言われたのは、

原則を自分の周りを回そうとしてはいけない。
自分が原則の周りを回らなければならない。

ということでした。要は原則中心の生活をしなさいということですから、7つの習慣と同じことを言っているわけです。

その時の「原則」の説明は、例えばこんなことでした。

海が荒れていたら漁に出ない。
山の天候が崩れたら下山する。

当たり前? そう、「原則」って誰もが知っていて、それって当然でしょってことなんだと思います。

東神奈川
本書の中で、「原則」の説明として以下のように書かれています。

(原則は)どれも自明であり、私たちの生活の中で実証できるものばかりである。こうした原則、自然の法則は、人間の普遍的な意識、もしくは良心に属するものである。社会的な条件づけやその原則に対する忠実さの度合いは異なるとはいえ、こうした原則はどんな人の意識の中にも必ず存在している。

例えば「公正さ」という原則。子供を見れば、条件づけや経験とは関係なく、人間はこの公正さの感覚を生まれながらに持っていることが分かるでしょう。

原則って、誰もが「そうだよな」って思うこと

その他の例として、具体的でシンプルな言葉にしていくと、愛、感謝、勤勉、公平、正直、親切、真剣、誠実、努力、思いやり、向上心、実践、成長、熱心、貢献といった感じでしょうか。

これらの言葉、実は青木先生のセミナーの中で、自分の「人生理念」を探すために使われるキーワードから引用させて頂きました。

その意味では、人生理念の中心にくるものって、原則ということなのかもしれません。

言葉を見ていくと分かると思いますが、原則って手法ではないんです。手法は具体的な活動や行動ですが、原則は基礎的な真理であり、普遍の応用性があるのです。

原則とは、永続的な価値を持っており、人間の行動に正しい方向性を与えてくれるガイドラインとなります。しかも誰もが知っているので議論する必要すらありません。

以前紹介した池田晶子さんの「14歳の君へ-どう考えどう生きるか」の中で、こんな記述があります。

「本当に正しい」ということは、誰にとっても正しいということだ。だから、人は、自分の立場や都合や好き嫌いとは関係のない、「本当に正しいこと」、誰にとっても正しいことを、考えて知らなければならないんだ。

この「本当に正しいこと」って、原則ってことですよね。著者の意図とは、ちょっと意味合いが違うかもしれませんが、そんなことを思いました。

誰にとっても正しいとは、時も場所も人種も何もかも越えて正しいということ。正直に生きることが今の時代では評価されるけど、江戸時代では不要だったとか、日本では真剣に取り組むことが良しとされるけど、ヨーロッパのある国では逆に非難されるとかってありませんよね。

寝返りもできない赤ちゃんが、いきなり走れるようにはなりません

誰にとっても正しい、誰もがそうだよなって頷くのが原則。それにもかかわらず、わたしたちはその原則に逆らって、あるいは無視して行動することがあります。青木先生流に言うと、原則を自分の周りを回そうとするわけです。

ある状況において、時化でも無理やり漁に出る漁師もいます。あるいは天候が悪化しても下山せず登頂する登山家もいるでしょう。彼らがそこで出会う可能性が高いのは“遭難”という二文字ではないでしょうか。

秋に収穫するためには、春に種蒔きをする必要があります。これを本の中では「農場の法則」と書かれていますが、これも原則です。そして、人の成長や人間関係においても、最終的にはこの原則が必ず作用することになります。

人間の成長過程には、しかるべき順序とプロセスがあります。子供は先ず寝返りを覚え、座り、這うことを学んでから、初めて歩いたり走ったりすることが出来るようになりますよね。

そして、その各段階ともそれぞれに大切であり、またそれぞれに時間がかかります。どの段階も飛ばすことはできません。

これは人生のあらゆる場面において言えることです。勉強でも、芸事でも、スポーツでも、仕事でも、すべて同じです。個人にも、夫婦にも、家族にも、組織にも当てはまる原則なんです。

人格の育成もまた、「農場の法則」という原則が当てはまります

ピアノが巧く弾けるようになる、テニスが上手にプレーできるようになるといった物理的な現象については、この「プロセスを踏まなければならない」という原則は理解しやすいのですが、個人の人格や人間関係の育成についてこの原則を理解することは難しくなります。

その結果、近道を探して、時間と労力を節約するために、必要不可欠な段階を飛ばしながら、望む結果の達成を期待する人が多くなるのです(私のその一人です)。

テニスやピアノといった誤魔化しが効かない分野において、自分の成長レベルを意識することは容易です。でも、人格や精神の成長に関しては、誤魔化しが効くことがあるため、その成長のレベルを簡単に測ることができないのです。

他人の目を欺こうと格好をつけたり、着飾ったりすることは簡単ですよね。できるふりをすることも可能だし、自分自身さえも騙せるかもしれません。

でも、ほとんどの人は、自分自身の人格のレベルを知っているでしょう。また、長期的には周囲も必ずその真実を見抜くことになるでしょう。

人格もまた、10のレベルを目指していて、現在のレベルが2であるならば、5のレベルに達するためには、まず3のレベルに近づく必要があるというのが原則なのに、忘れたり見えない振りをしてしまうんですよね。

前回、原則を生活の中心におきましょうという話から、今回の「原則って何?」という話に流れて来たわけですが、元に戻って言うと、生活の中で、人生の中で原則を忘れずに生きていきましょう、原則に沿って生きていきましょうというのが、原則に沿ったミッション・ステートメントを作成することであり、また原則を生活の中心におくということなのでしょう。



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