NO LIMIT - 自分を超える方法(栗城史多著)

近々、新しい人生がスタートすることは分かっていたのですが、昨日、あることに気がついて、いきなり今日からその「新しい人生」がスタートしました。


人生の節目は、まっ、いろいろとありますね。

20歳になった時、社会人になった時、結婚した時、重い病から生還した時。あるいは、子供が生まれたとき新しい人生がスタートしたという人もいることでしょう。

人それぞれ、いくつもの節目を迎えながら、人生の時を過ごしていることと思います。

私にとっては節目となる今日、特に目的もなく街に出ました。

見える景色が昨日と変わるわけもなく、いつもの風景、日常生活、様々な活動がそこにはありました。当然ですけどね。

養老孟司さんがこのようなことを言っていました。
「君たちだってガンになることがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう。
では桜が変わったのか。そうではない。それは自分が変わったということに過ぎない。」

その意味では、節目を迎えたけど、自分の心はそこまで変わっていなかったということなのでしょう。

一冊の本との出会い

NO LIMIT途中、ブックオフに入り、本を物色していると、久しぶりに「出会いました」。表紙を見て、一行読んだだけで買いました(ブックオフで本を買うのは本当に久しぶりです)。

「見えない山に登っているすべての人たちへ」

登山家の栗城史多さんの、「NO LIMIT -- 自分を超える方法」という本の、カバーの裏側に書いてある言葉でした。

私にとって、今回の新しい人生のスタートは、まさに「見えない山に登る」ということだと感じているので、余計に反応したのかもしれません。

「僕は今、生きている」

こんな言葉から始まります。

あなたは今、生きていますか?

人はみんな「生きている」んだけど、でも胸を張って「僕は今、生きている」と言える人は、もしかしたらそう多くはないのかもしれません。

生きているという実感を持つ機会がなく、そう感じることもなく、ただなんとなく毎日を惰性で生きている。否定をしたくても否定できない自分もいます。

栗城さんは、「生きる」ために、「生きている」と感じるために山に登るのでしょう。

「生きている」という実感を持てないまま生きている人がいる。
それは何かに満たされてしまっているからかもしれない。

この国はそんなにがんばらなくても生きていけるほど豊かな国になってしまった。

その満たされた豊かな社会が、
「生きている」という力を麻痺させているのかもしれない。

栗城さんにとって「生きている」というのは、「挑戦している」と同義語なのかもしれません。

「不可能」は自分自身が作っていた幻想

そして、誰もがやりたいことに挑戦することができるし、そこに「不可能」は無いんだ。あるのは、自分で作り上げた「不可能という壁」だけしかないと。

自分の中で自分のやりたいことを見つけられる人がどれだけいるだろうか。
本当はやりたいことに気づいているのに、
それがなかなか実現しないのは、
自分で不可能の壁を作ってしまうからではないだろうか。

そうなんですよね。「自分は本当は何をやりたいんだろう」って自問しても、なかなか答えは返って来ません。

それは見つけられないのではなくて、見つけてしまうとそれに挑戦しなければならなくなるから、見つからない振りをしているんです。

それは、自分なんてそんな夢を見ても実現させる力なんて無いんだから、夢を見るのはやめようって(心のどこかで無意識に)思っているからです。

でも栗城さんは、本の題名の通り「限界なんて無い」ということを繰り返し伝えてくれます。

登頂に成功すると、自分の心にあった壁が崩れた。
そして不可能は自分が作り出しているもの、
可能性は自分の考え方次第で、無限に広がっていくんだということに気づいた。

前に進まない限り、欲しいものは手に入らないよ、というのはコンフォートゾーンの話で書いた通りです。

自分で作り上げた安全領域の外側に出ることが「生きる」ということなのでしょう。

でも、勇気がいりますよね。だって未体験ゾーンなんだから、不安なのは当たり前です。

できるか、できないかではなく、やりたいか、やりたくないか

一歩を踏み出す勇気は、
「今、やりたい」という自分の気持ちを信じることから生まれる。

自分の心と真剣に向き合って、「やりたい」ことを見つけることができたなら、それは本当に幸せなことだと思います。

先に書いたとおり、この何もかもが簡単に手に入る、満たされ過ぎた社会の中で、リスクを冒してでも手に入れたいと思えるものが見つかったとしたら、それはもう「一歩」を踏み出すしかないでしょう。

それでも体を前に持っていく。意志だけが、自分の体を前に引っ張っていく。

最後は、当然ですが「意志」なんですよね。

その場所に留まっていたいという欲望や本能に逆らって「前に出る」という意志を持つ。このとき、「生きてる」って感じられるのかもしれません。

ここで紹介したジェームス・スキナーの言葉をもう一度。

「成功とは、今ほしいものを犠牲にして、本当に欲しいものを手に入れることにほかならない!」

「今ほしいもの」とは、自尊心であるとか、安全とか安心といったことかもしれません。

安定とか安心とか便利さとかは、
実は人間の生きる楽しみを奪っているのかもしれない。

同じことを言っているような気がします。安全領域の中にいると、「生きている」と実感を持てないまま生きている人になってしまうのかもしれません。

いつかは人生の扉を閉じる日がくるんです

昨年、亡くなられたスティーブ・ジョブス氏が、スタンフォード大学卒業式で行ったスピーチは、いろんなところで紹介されていますが、私は次の一節に特に共感を覚えました。

自分がそう遠くないうちに死ぬと意識しておくことは、私がこれまで重大な選択をする際の最も重要なツールでした。ほとんどのものごと、外部からの期待、自分のプライド、屈辱や挫折に対する恐怖、こういったもののすべては死に臨んでは消えてなくなり、真に重要なことだけが残るからです。自分も死に向かっているという自覚は、私の知る限り、何かを失ってしまうかもしれないという思考の落とし穴を避けるための最善の策です。あなた方はすでに丸裸です。自分の心に従わない理由はありません。

栗城さんは、「すべてには終わりがある」という節の中で、こんなことを書いています。

自分の心は何に反応するのか?
何をしていたら、満足しているのか?

素直になろう。
どっちに転んでも人の最期は皆一緒。
危険も不安もなくなりはしない。
だったら、素直にやるしかない。

自分の心に素直に従う。その通りですね。



夕方、帰り道で遥か彼方に夕焼けに染まる富士山を目にして、カメラが欲しくなりました。
気持ちに素直にカメラを買ってみようかな。

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