「わたしの人生これで良し」って言える? あるいは、言いたい?

先日、購読しているメールマガジンの中に、こんな内容の記述を見つけました。

人は、もっとお金を稼ぎたいとか、いろんな所に旅行してみたいとか、もっと痩せたいとか、もっとモテるようになりたいとか、更に言えば人生を変えたいといった、いろんな欲望を持って生きています。

でも、ほとんどの人は、そのようにならないというのが現実でしょう。こうなったらいいなって思いながらも、そうならない日々が、何年も何年も続いていくのです。

冬の夕暮れ

わたしの人生が変わらないのは、面倒臭いから?

じゃあなんで、ほとんどの人の人生がぜんぜん変わらないのかというと、「結果を出すためにやるべき行動を全くと言っていいほどやらないから」なんですね。

お金を稼ぐためにやるべきこと、旅行するためにやるべきこと、痩せるためにやるべきこと、モテるためにやるべきことが「分かっている」にもかかわらず、それをやる人はごく少数です。

なんで、やるべき行動が出来ないのかというと、やるべき行動をやろうとしても、面倒臭くてやりたくない気分になってしまうからです。

そうなんです。すごくシンプルです。なりたい自分があっても、そのための行動が面倒臭いんです。だから、いまのままの自分でいいやって思っているんです。

そして、慣れている行動や、やりたい気分になる行動だけしかやらないので、生活も人生もぜんぜん変わらないというわけです。

自分の感情を大切にして、自分のやりたいことだけしかやらないということは、これからも、これまでと同じような人生を生きていくことを意味しています。

先日ご紹介した中村文昭さんのお話で言えば、面倒臭いっていうのは「我が都合」ですよね。面倒臭いからやりたくない。

そのやるべき行動だって、「100m9秒台で走れとか、学校ろくすっぽ行っとらんかったおまえに、数学の難しい計算式解けと」といった、無理難題ではない筈なんです。

ただただ面倒臭いからという理由だけです。

“必ず” という方法があればという無いものねだり

まあ、自分が面倒臭いって思って、だから行動できなくて、結果なりたい自分になれないだけなので、誰にも迷惑かけないし、自己完結しているんで勝手にすればってことでもあるんですけど。

それでも、やっぱりあれが欲しい、これがやりたい、あんなふうになりたい、って思いはくすぶり続けて、決してあなたの心の中から消えて無くなることはありませんよね。

ではどうするか。これまたシンプルです。「面倒くさい行動もやる」しかありません。(本当は、面倒臭い行動を楽しめれば一番なんですけどね)

一方で、「こうなるためにやるべき行動」が分かっていてもって書きましたが、「こうなりたい」って欲望が強くあって、「これをやれば “必ず” なれる」って方法が分かっているならば、大抵の人はその行動を取るのではないでしょうか。

でも、世の中に “必ず” なんて方法はないんですよね。やっぱり、“可能性” の話になってしまうと思います。

するとそこに、“できない理由” が生まれてくるんです。

例えば、以前紹介した中村俊輔さんの「サッカーノート」や、江連忠さんの「ゴルフノート」などは、何かを上達したいと思った時、もの凄く効果の有る方法だというのは、誰にも異論の無いところだと思います。

もの凄く効果は有りそうだけど、それでも “必ず” ではありません。だから大抵の人は、「サッカーノート」や「ゴルフノート」を面倒臭いと言ってやらないんです。そして、サッカーやゴルフが上手くなれない理由を言うんです。

結局、「わたしの人生これで良し」って言えるか(あるいは、言いたいか)どうか

結局のところ、“面倒臭い” を乗り越えるような強い欲望や、“できない理由” なんて言ってられないような危機感を感じるしか、これらを打破していく道はないのかもしれません。

ただ、ここで “必ず” って言えることは、繰り返しになりますが、

自分の感情を大切にして、自分のやりたいことだけしかやらないということは、これからも、これまでと同じような人生を生きていくことを意味している。

ってことです。

それでも、「わたしの人生これで良し」って言えるのか? 棺おけに片足踏み入れた時に、「我が人生満足だったなあ、完璧だったなあ、思い残すこと無し」って、自分に言えるのか?

そのことと真剣に向き合ってみる必要がありそうです。



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