自分の感情を大切にし過ぎると、「幸せの順番」を間違える?

先日、長男と大喧嘩をやらかしまして、10日ほど冷戦状態に入っていました。

先方はこちらが悪いと怒り心頭だし、こちらは「なるほど、オレにも悪い点はあった」とは認めながらも、それで相手の行為が赦せるかと言えば、「とんでもない!」って感じ。

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そんな中、本を読んでいたらこんな一節に出会いました。

Forgiveness is not an emotion, it's a choice. Forgiveness is about making a choice to move past it.

「赦す」とは、“感情” ではなく “選択” だと。「赦す」ってことは、その(不愉快な)出来事を過去のものとするという “選択” をすることだよって。

なるほどなーって。「赦せない」って思っている限り、その出来事はあなたの中で、ずーっと “現在” のままであり続ける訳ですからね。

なるほど! と理性では思いながらも、“感情” に引きずられたままです。

自分の中に湧き出るであろう感情が行動を制限するんです

ここでも紹介しましたが、ジェームス・スキナーの著書「成功の9ステップ」の中の言葉が、ことある毎に思い出されます。

感情は人生そのもの。
あなたが欲しいものはすべて、突き詰めて言うならば感情なのだ。

本当にその通りだなって。

でも、“欲しい” 感情とは、自分にとって好ましい感情である筈です。自ら好んで “悲しみ” や “悔しさ” や “怒り” といった感情を抱きたいという人はいないでしょう。

出来れば、“楽しい” とか “嬉しい” とか “幸せ” といった感情だけを感じながら生きて行きたいですよね。

この「好ましい感情だけが欲しい、負の感情は絶対に味わいたくない」という、ごく普通の意識(無意識)が、あなたの心の中に “壁” を築き上げるのです。防御壁です。

「夢」を実現しようとするとき、何らかの「行動」を起こす必要があります。でも、「夢」に繋がる行動って、想像するに簡単なものではないはずです。

高橋歩さんが自分たちのカクテルバーを持ちたいって夢を持った時、中学・高校の卒業アルバムを開き、片っ端から「お金貸してくれない?」って電話をかけたといった、そんな行動です。

確率的には冷たく断られる方が断然多い筈です。断られた時、どんな感情を持つかと言えば、やっぱり “恥ずかしい” とか “悲しい” といったもののはずです。

そんなことは行動に移す前から分かっているので、多くの人は「夢」を追いかけるのを諦めるのです。自分には無理だって。

“行動” 自体は簡単なこと。でもそれによって引き起こされる “感情” が大問題

この「無理」とは、行動することが出来ないってことではないですよね。だって、知人に電話をかけて「お金を貸して」っていう行為自体は簡単なことですから。

問題は、相手の反応です。その結果として自分の中に湧き起こる “負の感情” に耐えることが出来いというのが、この「無理」の中身の筈です。

「お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ!」の著者 中村 文昭さんが初めて野菜の行商に行った時、師匠から客を呼び寄せるために、頭の横にキュウリを立てて軽トラの屋根の上で踊れって言われます。

18歳の中村少年は、そんなこと恥ずかしくて出来る訳ない、勘弁して下さいって嘆願します。

その師匠は、こんなことを言います。

俺、おまえに難しいことやれって言ったかね。俺、おまえにできもせんことやれって言ってないよ。100m9秒台で走れとか、学校ろくすっぽ行っとらんかったおまえに、数学の難しい計算式解けとかって言ったかよ、おまえ。ただ、踊れって言っただけだろ。

そう、“行為” 自体は難しいことではないのです。問題は “恥ずかしい” という心の中の壁なんです。

「最後の授業」のランディ・パウシュ教授の言う「レンガの壁」も、内田和俊著 「あなたを邪魔する壁が小さくなる方法」の「あなたを邪魔する壁」も、この心の中の「嫌な感情は味わいたくない」という “壁” とニアイコールなのではって個人的には感じます。

自分の感情が常に最優先・・・・・それは「幸せの順番」的にはどうなのかな?

一方で、こんな言葉も私の中では鳴り響いています。

自分の感情を大切にして、自分のやりたいことだけしかやらないということは、
これからも、これまでと同じような人生を生きていくことを意味している。

「自分の感情を大切にする」とは、負の感情を避けるってこと。軽トラの屋根の上で踊るのは、“恥ずかしい” から嫌だって逃げること。これまでと同じような人生を生きていくことを良しとすることです。

「自分の感情を大切にする」ことは、決して悪いことではないと思います。問題なのは、目の前にある小さな狭っ苦しい感情に負けて(満足して)、それを超えた先にある大きな広々とした感情を諦めることなのでしょう。

上でも触れた高橋歩さんの「HEAVEN'S DOOR」の中にこんな言葉がありました。

「幸せの順番」を間違っちゃいけない。自分が幸せになってから他人の幸せを手伝うんじゃなくて、他人の幸せを手伝うことから、自分の幸せは始まるんだ。

なぜなら、人は心の中に、信じられないほどの力を持っているんだけど、その力は『自分だけのため』には発揮することが出来ないからです。

この文章を読んで思ったのは、最初に紹介したこれ。

Forgiveness is not an emotion, it's a choice.

この choice(選択)って、「赦す」 or 「赦さない」という “選択” を意味しているのですが、同時に「相手(の感情)」を優先するのか、それとも「自分(の感情)」に固執するのかという選択も含んでいるような気がしてきたんです。

どっちが勝つかの勝負はやめて、二人が笑えるゲームをしよう

そして冒頭の長男との大喧嘩です。赦して(謝って)相手の感情を尊重してあげるのか、赦さずに怒り続けることで自分の感情を大切にするという選択をするのか、です。

私から謝るという選択をしました。

高橋歩さんの言葉を借りれば、「どっちが勝つかの勝負はやめて、二人が笑えるゲームをしようよ!」ってことです。

「幸せの順番」ですよね。自分の周りにいる人の幸せを増やすことが、結局は自分が幸せになる最善にして最高の方法なんでしょう。

なんか言いたいことが散漫になってしまったかな。

伝えたかったのは、人はどうしても自分の感情に振り回されるように出来ているってこと。そして、意識の中心が “自分” にある限り、この罠から抜け出すことは難しそうです。

でも、視点を “相手” に移した時、相手の感情を大切に思った時、相手の幸せを願った時、そこに罠から抜け出すカギがありました。

自分の心の中の力は、『自分だけのため』には発揮できないんですね。


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