別れの季節に感傷的になって

生憎の冷たい雨の中、三男の中学校の卒業式が開催され、出席しました。

気づいたことは一人じゃないってこと

この中学校の卒業式に父兄として参加するのは三回目であり、そして今回が最後になります。少なくとも子供たち全員の義務教育までは、無事に終わらせることができたという思いと共に、中学校の卒業式に参加するのは最後なんだなという感慨(寂しさ)がありました。

ごく普通の卒業式で、在校生送辞があり、卒業生答辞があってという形で進行していきました。

送辞も答辞も(もしかしたらひな形とかあるのかな?)結構感動的な内容で、読みあげる子も途中で感情が高ぶって来たようで涙声になったりと、聞いているこちらも涙を滲ませてしまいました。

卒業生、在校生共に、校歌を含め何曲かを合唱しましたが、その中に「3月9日」という歌がありました。

今日は3月9日だし、こんなに都合のいい歌があるのかな? もしかしたらこの日のために特別に作った歌? なんてことを思ってしまいましたが、ロミオロメンの歌だったんですね。

なので、歌詞がいいのも納得なんですが、卒業式で配布された資料に書かれていた詩を見て、(その時は知らなかったので)いい詩を書くなあなんて感動していたんです。特に、次のフレーズに。

新たな世界の入口に立ち
気づいたことは 1人じゃないってこと

瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらに いることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私も そうでありたい

「新たな世界の入口に立ち、気づいたことは一人じゃないってこと」。

そのまんま自分自身にも投げかけてあげたい言葉のように感じました。

自分の中学時代のイメージソングは

先週、二男の高校の卒業式に出席し、昨日は大学時代の友人と34年ぶりに再開しということで、図らずも自分自身の中学校、高校、大学時代を振り返る機会に恵まれたわけです。

この年になっても(なったから?)感傷的になりますね。

自分の中学校を思い出すとき、いつもイメージに出てくるのは、ある2階の教室の窓から見える風景と、そこにあった太い樹です。けっして陽が差さないかのようなジメジメした裏庭でした。

そして頭の中にはペギー葉山の「学生時代」が流れ出します。

「チャペルで祈りを捧げた」ことも、「賛美歌をうたいながら清い死を夢みた」ことも全くありませんが、なぜか中学校と、この「学生時代」は頭の中でリンクしているようです。

私が「本」に夢中になり出したのは中学校時代だと思います。それだけに、

本棚に目をやれば あのころ読んだ小説

といったフレーズには反応しますね。

でも、一番好きなフレーズは、

夢多かりしあのころの 思い出をたどれば 
なつかしい友の顔が ひとりひとり浮かぶ

でしょうか。

「なつかしい友の顔」と一緒に思い出されるのは、学校の校舎、校門横にあった二宮金次郎像、毎朝お昼用のパンを買ったパン屋さん、下校時に隠れて入った老夫婦がやっていたうどん屋さん、ガード下の学習塾の厳しかった老先生、友人の家で買った新品のセパレートステレオ、防波堤で見た朝日・・・・・次々と出てきますね。

本当に懐かしいです。

梅開花冷たい雨の中、中学校近くの公園の梅が既に満開になっていました。

すぐに桜の季節がやってくるでしょう。

高校を卒業した二男も、中学を卒業した三男も、桜の季節の頃、「新たな世界の入口に立ち」、そして月日が流れていくのです。

彼らは、10年後、20年後、そして自分の子供たちが学校を卒業する頃、果たしてどんな感慨を持つことになるのでしょうかねえ。
 



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