山本周五郎著 「わたくしです物語」 -- 「覚悟」と「変わる」

ネタ切れってのもあるのですが、昔から気になっていた小説を紹介したいと思います。久しぶりの山本周五郎の著作から「わたくしです物語」。

雪の上の霜約35年前に買った新潮社版山本周五郎小説全集第35巻「雪の上の霜」に収録されている短編です。まだ消費税も施行されておらず、僅か800円で買えた時代でした。

山周本には、もう本当にいくつものお気に入りの小説がありますが、この「わたくしです物語」は、その “好き” の中には入っていませんでした。

それなのに、35年が経過した今でも題名も内容もハッキリと覚えているんです。その当時の感性では好きとは感じられなかったけれど、なぜか心に残り続けていたようです。

わたしの心に引っ掛かっていたことは何だったのか?

「あれは底の抜けたどびんだ」

美濃国の多治見に老職格の忠平孝之助という若者がいた。数年前に父親が亡くなり、一人息子の彼が当主となっているが、一人息子に特有の、温和な、気の弱い、はきはきしない性格であった。

学問も武芸も中くらい、どこにこれといって取り柄はないが、孝之助は美男であった。これは不幸である。見かけが平凡なら誰も気にしないが、美男なために中ぐらいの才能が無能に見える。

「あれは底の抜けたどびんだ」

見かけばかりで使い途がないという、それが家中の一般の定評のようになっていた。

亡父の友人で今は孝之助の後見人になっている国家老の知次茂平は悔しがっていた。後見としての責任、男の意地もあり、彼を藩主と老臣とに直属する使番の役に就かせた。

孝之助に芽があるとすれば、その芽を伸ばす機会を与えたわけである。

しかし孝之助には迷惑だったらしい、尻込みをして隅のほうへくっついていて、さも居心地が悪そうにしていた。江戸への使いを命じると、顔を蒼くし、頭と手を一緒に振って断る。

「まだ未熟者ですから、お役に立てそうもありません」まったく自信がないらしく、真剣な表情で謝絶するのである。二年経ち、三年経っても同じことであった。

そして孝之助が二十五歳の春、彼は使番になって六年目にして初めて江戸へ使者に立った。

これで自信もつくだろうし、伸びるものも(あるとすれば)伸びるだろうと、茂平は喜んだが、江戸から帰ってきた孝之助はしょげて、痩せて、ため息をついて、そして使番の辞職を願い出た。

茂平の失望は怒りに変わり、そして孝之助を閑職へと左遷した。

しかし、当の孝之助はしごく泰平で、左遷など少しも苦にするようすがなく、実にまじめに、人の軽侮の眼など知らぬ顔で勤めているのであった。

そうして、そこへ驚くべき事態が現出した。

「お沙汰をお待ち申しております」

藩主の愛するオランダ渡来の見事なギヤマンの壷が、書院の床の間でめちゃめちゃに砕けていた。それは家宝の一つでもあり、藩主が特に大切にしていたものである。

犯人は、その床の間の風入れをする当番の者であると容易に想像できた。既に詰め所で謹慎しているその者に、すぐに出頭するように茂平は怒鳴り、自分の役部屋へ入った。

すると、そこに孝之助がいた。そして孝之助は落ち着きはらった声で云った。

「お壷の件ですが、実はあれは私が壊したのです」

茂平は石のようになった。全身のあらゆる機能が停まり、且つ硬直したふうである。そしてやがてそれらがいちどきに活動を始め、火のように燃え上がった。

「謹慎だ、いや大閉門だ、さがれ、しばり首にしてくれる、この、この、うう大不埒者」

「お沙汰をお待ち申しております」

孝之助はいやに冷静にそう云って一礼し、あてつけのように沈着な足取りで出て行った。

高がギヤマンの壷一つとはいえ、当時としてはことによると当人は切腹、重臣も責任を問われかねない出来事であった。しかし幸い藩主がいくらかもののわかった人物であったお陰で、「謹慎二十日くらいで許してやれ」という寛大な沙汰が下された。

その謹慎が解けて、孝之助が登城し始めて半月と経たなかった頃、勘定奉行の収納方の侍が、五十両というたいまいな金を紛失し、厳しく取り調べられているという噂が流れた。

「あいつ、このごろ茶屋町の女にのぼせているというから、紛失したなどと云って実は着服したに違いない」というのが、その収納方の侍に対してのもっぱらの評判だった。

そんな話を黙って聞いていた孝之助は、さりげなく立って出ていった。そして約二時間ほどして現れると、そのまま茂平の役部屋へいった。

「御心配をかけて申し訳ありません」孝之助はこう云って、二十五両の包みを二つ、そこへ差し出して、静かに茂平を見た。

「私がお預かりしていて、いましがた話を聞いて思い出したのです。つい忘れておりましたので、どうぞお許しを願います」

怒り狂う茂平を尻目に、孝之助は静かに立ち上がり、「お沙汰をお待ち申しております」といって役部屋を出て行った。

この後、「お沙汰をお待ち申しております」というセリフを、茂平は僅か四ヶ月の間に五回も孝之助から聞かされることになるのであった。

いちどは死ぬと覚悟を決めた体だ、あのとき切腹したと思えば

そして孝之助は変わっていった。茂平の叱責にも堂々とやり返す態度、まるで人間が違ったような度胸、これは茂平にとって少なからぬオドロキであった。

「わしが知らぬと思って、この、・・・・・よしそう思ってろ、わしを騙しとおせたつもりだろうが知ってるんだぞ、ギヤマンの壷も、五十両もわしはみんな知ってるんだぞ、いいか、ちゃんと知ってるんだぞ、おれにだって眼というものがあるんだぞ、いまにその化けの皮を・・・・・」

実は孝之助は、使番として初めて江戸に使者に立ったとき、道中で大きな失敗をしていた。

その時、「これは切腹だ」と覚悟を決めたのを、見知らぬ浪人者に窮地を助けられたのだ。

「ここは自分が引き受けた。貴方は主人持ちらしいが自分は浪人である、どこで死んでも悔いのない体である。心配はいらないから、すぐここを立ち退くように」と云われて。

「切腹と思った命をこうして救われたが、おれはつくづく自分が情けなかった、・・・・・底の抜けたどびん、その通りだと思った。それから考えたのだ。自分はお役に立つ能がない、だから、自分があの浪人に助けて貰ったように、せめて過失をした人間の身代わりになろう。いちどは死ぬと覚悟を決めた体だ、あのとき切腹したと思えば、どんな咎を受けても惜しくはない、こう考えたのだ」

そう、孝之助はいつの間にか変わっていた。人の過失の身代わり(それも、男として耐え難いような過失まで)として、自分の罪に引き受けているうちに、それが孝之助を変えていった。

「覚悟」と「変わる」という2大テーマ

今回、35年ぶりに読み返してみて、この小説の何が私の中に強い印象を残していたのかが分かりました。それは、「覚悟」と「変わる」ということだったのでしょう。

「覚悟」については、久保帯人 著「BLEACH」 を題材に借りて語りました。「変わる」というのは、「学んだということは、変わるということ」という山口瞳さんの言葉から来ています。

ここ数年間の私にとっての大きなテーマは、この「覚悟」と「変わる」ということだと思っていましたが、それは35年以上も前から私のテーマだったのかもしれませんね。

これは私にとって一生のテーマになりそうだな。


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