岸見一郎著 「嫌われる勇気」 -2- 最後は勇気?

岸見一郎著 「嫌われる勇気」の続き。

「人は誰もが変わることが出来る」という哲人と、少なくとも私自身は変わることができないでいるのだから、「誰でも」というのは納得いかないという青年。

性格や気質という言葉を、ライフスタイルという言葉に置き換えてみると

アドラー心理学では、性格や気質のことを「ライフスタイル」という言葉で説明するそうです。その人が「世界」をどう見ているか、また「自分」のことをどう見ているか。これらの「意味付けのあり方」を集約させた概念が「ライフスタイル」とのこと。

この「ライフスタイル」という言葉は、前回の記事の中で言及した「偏見のメガネ」や「主観」、あるいは「世界観」とか「固定観念」といった言葉と置き換えても、似たような意味合いになると思います。

「性格」という言葉を使ってしまうと、それを変えるのは難しいと感じる人が多数だと思いますが、それを「ライフスタイル」とか「世界観」という言葉で置き換えてみると・・・・・うんっ?変えられるかも。

偏見のメガネ

例えば、「私は悲観的な性格だ」ってのを、「わたしは悲観的な “世界観” を持っている」って言い換えてみると、なるほど、“それ” を変えればいいのかって思えそうな気がします。

そうか、メガネを変えるように、世界や自分に対する見方を変えればいいのか、と。

ライフスタイルって、アンソニー・ロビンス言うところのアイデンティティと同じかな

ちょっと違う言い方をしてみましょうか。上で、ライフスタイルとは「自分のことをどう見ているか」ということと書きました。「私は悲観的な性格だ」というのは、自分で自分のことを「悲観的な性格」だと見ているということ。あるいは、「悲観的な性格」だという “定義付け” をしているということ。

そしてこれは、アンソニー・ロビンス流に言うと「アイデンティティ」ってことです。

アイデンティティとは、「自分とはどういう人か」ということ。あるいは、「自分とはどういう人間(性格とか人格とか)であると “自分自身” を定義づけているか」ということ。

そして、ライフスタイルを変える、世界観を変える、あるいは偏見のメガネを掛け直すというのは、アイデンティティを変えるというのと同じことなんだと思います。

すなわち、「自分は “こんな” 性格の人間である」という定義付けを変えるってことなんです。

本書では、「人は自分のライフスタイルを、自ら選んでいる。それならば、再び自分で選びなおすことも可能である」という言い方をしています。

ここでも、ライフスタイルという言葉をアイデンティティに置き換えても、やはり成り立ちますよね。だって、アイデンティティとは自分で自分のことをどう定義しているかということですから、自分で自分の定義を変えればいいんです。

長い年月を掛けて築き上げてきたものだから

なーんて、簡単なことのように書いていますが、実際にはそんなに簡単な話でないことは誰にでも想像できるでしょう。

なぜなら、「自ら選んでいる」、「自分で定義付けしている」としても、それは “一回” の出来事ではない筈で、人生のあらゆる場面で積み重ねてきた無数の選択の上に築かれたものだから。

その無数の選択の一つ一つは、その時点においては自分にとって最善と思われる選択な訳です。この “最善の選択” の積み重ねの到着点が “今” ってことです。

何が言いたいかというと、ライフスタイルやアイデンティティを変えるということは、自分にとって(何らかの理由で)都合がいい “道” から外れ、(都合が悪い?)違う道に足を踏み入れるということなのではないかと。

本書では、この辺りのことを「人が変われないのは、自らに対して『変わらない』という決心を下しているから」という表現の仕方をしています。

単に楽な道を選びたい、安心な場所から出たくないってこと

なんで「変わらない」という決心をしているかといえば、少しくらい不便で不自由があっても、今のライフスタイルやアイデンティティの方が使いやすく、変えないほうが楽だと(無意識に)思っているから。

ライフスタイルやアイデンティティを変えずに、これまでの延長上で生きている限り、目の前の出来事にどう対処すればいいか、そしてその結果がどうなるかが、これまでの結果から推測できます。

ところが、新しいライフスタイルやアイデンティティを選んでしまったら、そこに何が起こるか分からないし、それに対しての対処の仕方も分からないし、未来も分からないしと、分からない事だらけ。

変わりたいと思っている「今の自分」には不満があるけれど、でも変わってしまったお陰で、もっと不幸な人生が待っているかもしれないという不安に(無意識に)負けている訳です。

不満より不安の方が大きいんです。「このままのわたし」でいることの方が楽だし、安心なんです。だからこそ、「自らに対して『変わらない』という決心を下している」んです。

「最後は勇気だ!」って言われてもなー

不安に負けているから「変わる」ことができないってことですが、この辺りの話は、まあ理解できるというか、アドラー心理学を持ち出すまでもなく、誰にでも分かっていることのような気がしますが(「不安」を自分で認める、認めないは別にして)。

で、どうするかと言うと、本書(あるいはアドラー心理学)では、「変わる」ことへの “勇気” を出せってことのようですが、うーん、まあそうなんでしょうが・・・・・

「アドラー心理学は、勇気の心理学です」とあります。最後は勇気の問題だって言われちゃうと、(少なくともここまで読んだ限りでは)アドラー心理学の有意性が分からないような気がしてきました。

前回も書きましたが、あくまで私個人の身勝手な、先入観と偏見に満ちた、表層的な感想に過ぎません。

そう断った上であえて言わせて頂ければ、単に「勇気を出すか出さないか」だけではなく、その勇気を出すための心理学的なアプローチといったものは何かないのかなー、と。

そんなのがあるのかどうかも分からないし、単に私の読解力不足で読み取れていないだけなのかもしれませんが。

もう少し続きます


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