加藤昌治著 『考具』 -- 何度も言うけど、アイデアとは組み合せ

「必要なのはアイデアだ!」って言葉を聞いた記憶があります。いつ、どこで、誰から、どういう状況の話としてなのか殆んど覚えていないけど、この言葉だけは何故か印象に残っています。

なので、記憶というよりも想像に近い感じですが、「優れたアイデアさえあれば、その実現に必要なお金や人はいくらでも集まってくる」ってな話だったんじゃないかな。

good idea

“アイデア” って一括りで言ってしまうと、広がり過ぎてボヤーってしてしまうけど、ま、大体の印象は伝わるでしょう。

わたし自身もアイデアを必要とする場面がたくさんある(アイデア欠乏症に陥ってる?)ので、このブログでも、アイデア関連の本は何冊か紹介してきました。

有名なところでは、古典的名著と言われるジェームス・W・ヤングの 『アイデアの作り方』とか、フレドリック・ヘレーン 著 『スウェーデン式アイデア・ブック』という本も紹介したことがあります。

あるいは、小山薫堂さんの『考えないヒント』や、安達元一の 『視聴率200%男』という、放送作家を生業(の一つ)としている方々の本を紹介したこともありますが、これも“アイデア”の本でした。

“アイデア” について何度も繰り返し紹介しているのは、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」というジェームス・ヤングの言葉。

そしてアイデアとは、「神の啓示の如く、ある日突然降ってくる物」ではなくて、自動車の製造と同じように一定の明確な過程であり、従ってその「方法」は訓練することが出来るんです。

アイデアを考えるための道具

アイデアを生産するための訓練方法というか、その過程で使えそうな「道具」を紹介してくれてるのが、加藤昌治さんの『考具』という本。

考具2003年発売の本なので、既に10年以上経っていますが、いまだにAmazon 売れ筋ランキングの「ビジネス企画」というカテゴリで5位に入っています。

(因みに『アイデアの作り方』は、「心理学入門」なんてカテゴリに入っているし(7位)、『スウェーデン式アイデア・ブック』は「外国のエッセー・随筆」に分類されてました)

本書は、(この手の本によくある?)単なる精神論や企画書の書き方を教えるものではありません。

目指したのは、スキーのインストラクターのように、「ほら、こうやって身体を動かしてみて!」といった具体的な方法論。

そういったこともあってか、内容的には「おお、これは斬新!」というものではなく、一つひとつの「考具」は誰もが一度や二度は聞いたことがあるものなんじゃないかな。

でも、こうやって整理して目の前に提示してもらうと、自分でもこれを使って素晴らしいアイデアを生み出せるかも、って気になります。

100組、200組と、新しい「組み合せ」を考えてみる

さて、具体的な「考具」の前に、アイデアや企画を考えるとはどういうことなんだろう?という外堀から埋めていくことに。

アイデアや企画は、[WHAT]と[HOW]という2つの要素に大別されるとのこと。「何を」、「どうするのか」、ということですね。どんな課題を、どうやって解決するのか、という言い方も出来るかな。

そして、アイデアや企画を考えるには、順番があるそうです。それは、

「わがまま」→「思いやり」

という順番。最初に「自分の思い」があって、その思いを「社会に適合」させていく順序が大切。最初から相手に合わせてしまうと、出てくるアイデアがショボくなってしまうから。

ここでもう一度、ジェームス・ヤングの言葉を繰り返しますね。

「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」

要は、ゼロから生まれるアイデアは存在しないということ。どれほど素晴らしいアイデアであっても、その発想の素になったアイデアがあるのです。

そして、「新しいアイデア」って言われると、誰も考えつかなかったような大発明を探してしまいますが、それは意味がないんだと。

なぜなら、私たちが欲しいのは「自分」の仕事や生活で役立つ実践的なアイデアや企画だから。

つまり自社にとって、あるいは自分の生活にとって新しければ、それは「新しい」ということ。たとえば書店業界に、スーパーマーケット業界のノウハウを持ち込んだら、それは「新しい」のです。

「新しい組み合わせ」ということを理解すれば、天から素晴らしいアイデアが降ってこなくても、十分に新しいアイデアを生み出すことができるのです。

組合せパズル

アイデアは企画の素

ところで、「アイデア」と「企画」の違いとは何でしょうか?

著者は、「アイデアは企画の素である」という定義をしています。「素」だから、完璧さは不要ですし、どんなに下らなくても、実現不可能でもOKなんです。

良く言われることだけど「一行でもOK」。でも、その代わりに必要なのは「量」。「量が質を生む」というのは、やっぱり真理でしょうね。量って、5~6個ではなくて、最低でも20~30は必要かな。

そして、大事なのは、下らなくても、実現不可能そうでも、何でも、必ず全部「紙に書く」ということなんだと。紙に書かないと、消えて行ってしまうから。

一方の「企画」とは、「予算と準備と時間さえあれば、実施できる目処が立つ計画」のこと。「企画の素」であるアイデアに、実現性を持たせると「企画」になるということです。

そして、この「企画書」には、あなたの新しいアイデアが盛り込まれていないと「新しく」ないのです。でも、一つの企画が、新しいアイデアばかりで構成されている必要もありません。

企画の核となるアイテムが、あなたや会社にとって新しければ、それで十分だということです。

ってことで、いきなり企画が生まれることはないんです。何十、何百というアイデアの残骸を乗り越えて、選び抜かれたアイデアが中心の核になって初めて、そこに「企画」が生み出されるのです。

本書の “さわり” というか、外堀の紹介だけで終わらせる積りでしたが、久しぶりに読んでみると忘れていた「考具」がいくつもあって、また使ってみたくなったので、次回へと続きます。



稲盛和夫著 『君の思いは必ず実現する』 -- 道は近くにありき

「高く自らを導いていこうとするならば、あえて障壁に立ち向かっていかなければならない。その際、一番の障壁は、安逸を求める自分自身の心だ。そのような自分自身に打ち勝つことにより、障壁を克服し、卓越した成果をあげることができる」

これは稲盛和夫さんのお言葉。「一番の障壁は、安逸を求める自分自身の心」ってのは、本当にその通りだなって、最近頻繁に感じることがある。

夢を実現したいとか、何かを成し遂げたいとかって考えた時、自分の前に立ちはだかる障害として(なんとなく)イメージするのは、例えばお金とか、あるいは環境とか、人によっては時間とか、自分の外にあるものって思い勝ちだけど、本当に最大の障害ってのは自分の中にあるんだよね。

それは何?って言えば、繰り返しになるけど「安逸を求める自分自身の心」な訳です。「ま、現状のままでもいいじゃん」って考えです。そんなに苦労して手に入れる必要も無いんじゃね、ってね。

「振り込め詐欺」って、熱意も能力も素晴らしいと思うけど

稲盛さんで有名なのは、「人生・仕事の結果 = 考え方×熱意×能力」という考え方。

「能力」とは、才能や知能といった「先天的な資質」で、「熱意」とは、情熱や努力する心といった「後天的な努力」。面白いのは、「考え方」が最も大事なものであり、能力と熱意は0~100点までなんだけど、考え方は−100点~100点まであるってこと。

どれだけ「熱意×能力」の掛け算が大きくなったとしても、「考え方」がマイナスだと「人生・仕事の結果」は全てマイナスになってしまうわけです。

考え方

1983年、稲盛さんは京セラの取締役会で、「創業以来、積み立ててきた手持ち資金が千五百億円ある。このうち、一千億円を使わせてほしい」と、第二電電設立の了解を求めます。

当時、電電公社(今のNTT)は年間売上高四兆円あまり、社員三十三万人という巨大企業で、また明治以来整備につとめてきた通信回線がすみずみにまで張り巡らされていました。

一方の京セラも大企業とはいえ、電電公社とは比べるべくもなく、さらに通信事業の技術も知識もないという中での、まさにリスク以外の何者でもないという状態。

稲盛さんは、取締役にかける前の半年間、「私が新しい電話会社を作ろうという、その動機は善なりや」「有名になりたいという私心はなかりしか」、という自問自答を何度も何度も繰り返したそうです。

これが、DDI(第二電電)設立に際して稲盛さんが言われた、「動機善なりや、私心なかりしか」という名言の中身です。

いろんなところで紹介されている内容だと思いますが、今回は稲盛和夫著 『君の思いは必ず実現する』から引用させて頂いてます。

君の思いは必ず実現する稲盛さんの第二電電設立の動機は、日本の通信料金を下げようという志でした。

日本の通信の世界には、NTTという巨大な企業しか存在していなかったので、電話料金、通信料金が世界水準に比べてもかなり高い状態だったからです。

『才能に乏しくても熱意があれば人に負けないはずだ。しかし、それ以上に大切なものがあるはずだ。それは心のあり方だ。人間として正しい考え方を持ち、目標に向かって一生懸命に努力すれば必ず夢は実現する、つまり、人生は心に描いた通りになる、そう考えて、わたしは今日まで生きてきました』

これが、「人生・仕事の結果 = 考え方×熱意×能力」という考え方であり、また本書の題名となっている思いでもあるわけです。

頭の中を優しさでいっぱいに出来たなら

本書は低年齢層向けに書かれた本のようで、大半の漢字には振り仮名が振ってあります。そんな稲盛さんがこの本で「21世紀の子供たちへ」伝えたいこととは?

「人生の目的は、いい人間になること」

いい人間とは、美しい心を持った人。美しい心とは、思いやりの心、あるいは「優しさ」です。優しい心、思いやりの心、美しい心を持った人になることが人生の目的だって言ってるんです。

そして、「優しさ」とは、「利他の心」なのでしょう。

私たちは日々の生活の中で、どうしても自分の損得や勝ち負けにこだわった行動をとってしまいがちです。つまり利己にとらわれ、つい自分ことだけを考えてしまいます。

でも、そういう心を持った人が増えてきた結果が、今の日本なのかもしれません。

「利己にとらわれることなく、自己犠牲を払ってでも相手に尽くそうという、利他の心を大切にしていこうではありませんか」と、稲盛さん説きます。

頭の中にハート

昔聞いた話で、強く印象に残っているものがあります。

あるお寺の修行僧が、そこのお寺の老子に聞きました。

「あの世に、地獄も極楽もあるといわれていますが、本当にあるのでしょうか」

老子はこう応えました。

「もちろん、あの世には地獄も極楽もあるけど、お前の想像と違って、見た目は地獄と極楽とはまったく同じ世界です。違っているのは、そこに住んでいる人の心だけです」

修行僧は、「心が違うというだけで、なぜ地獄と極楽とに分かれるのですか」と。

老子は、大きな釜に煮えている、美味しいうどんに例えて答えました。

その釜のうどんを食べるには、ルールがあります。それは、1メートルくらいの長い箸で、しかもその端を持って食べなければならない、ということです。

地獄も極楽も、ここまではまったく同じなのです。つまり釜の大きさも、その釜を囲んでいる人数も一緒で、そこにいる人の心だけが違っているのです。

空腹を抱えて、美味しそうなうどんを目の前にして、「さあ、皆さんどうぞ」と言われます。

地獄にいる人は、1メートルの箸でうどんをつかむやいなや、自分の口に入れようとしますが、箸が長すぎて食べることができません。

反対側からは、こいつに食われてたまるかと、その人のうどんを自分の箸で引っ張る。これが阿鼻叫喚の図です。そして、誰一人として、その美味しいうどんを食べることができないのです。

一方、極楽では、箸で釜の中のうどんを取り、「はい、あなたからどうぞ」と、向こう側の人に食べさせてあげると、今度は相手が「あなたもどうぞ」って、お互い同士が食べさせあっています。

これが、「心のあり方」というもの。心のあり方次第で、状況はまったく同じでも、結果は大いに異なってくるものなのです。

中村天風さんという哲学者がいらっしゃいますが、稲盛さんは、その天風さんの次のような言葉を引用しています。

「人生は自分がどう受け止めるかでまったく違ってきます。たったそれだけのことなのに、人はそれを知らない。知らないために、みんなが迷っています。だからみんなつまらない人生を送っているのです。たったそれだけのことを信じて生きていけば素晴らしい人生が開けるのです」

もう何年も前のことだけど、京都で時間が余ったので東山地区を学生や観光客に交じって散策していたら、あるお寺の門前に、「今週の言葉」みたいなのが掲示されていました。そこには、

『道は近くにありき
 迷える人は、それを遠きに求める』

そう、人生において自分が歩むべき道は、きっとすぐそこにあるのかもしれません。


今井芳昭 著 『影響力』 -- 馬は(人も)ニンジンに影響される

積読。なんて読むか知ってますか? 「つんどく」って読みます。意味は、本を買うだけ買って読まずに積んだままにしておくことで、「積んでおく」と「読書」をかけた駄洒落的な合成語です。

読書が家庭における娯楽の中心であった明治時代に普及した言葉らしいのですが、本棚にしまったまま読まないのも、積読って言っていいのかな?

本積み重ね

私の本棚にもたくさんの積読本があります。いわゆる「本棚の肥やし」ですね。大概は、価格的に高めの厚くて立派な本が積読本になる可能性が高いかな。

そんな一冊に、ロバート・B・チャルディーニ 著 『影響力の武器』という本があります。買った当時の値段(10年前!)は3300円(+税)で、厚くて立派な本です。既に古典とも言える本。

いつか読もう読もうと思っている内に、10年の歳月が流れてしまったんですね。

今日の本題は、こちらの本

いや、今日はこの本を紹介しようってことではなく、この本に取りかかる前の準備体操として読んだ、今井芳昭 著 『影響力』を紹介しようと思います。

影響力「影響力」って何でしょうか? 

ま、認識に大きな違いは無いと思うけど、

「何らかの事象によって、受け手の『ものの考え方』、『行動』、そして『感情』に変化が生じた場合、受け手は与え手から “影響” を受けたことになる」

改めて言葉にしてみるとこんな感じかな。

例えば以前、家電量販店にプリンタを買いに行き、プリンタ売り場を見て回っていると、2人の若い男性の会話が耳に入ってきました。

「A社のプリンタは、結構、故障が多いんだってさ」

もちろん、彼らとは何の面識もありません。

従って、彼らが各社のプリンタに対してどれくらいの知識をもっているのか知る由もありません。それでも私は、それ以来、プリンタの購入を検討する際、A社を候補に考えることは少なくなりました。

これが、いわゆる “影響” というものです。本書で扱う影響力とは、「人に何らかの影響を与えることのできる能力」のことであり、個人の能力だったり、集団や社会といった場合もあります。

影響力を生み出す “資源” となるのは、「賞」と「罰」

さて、私たちは、どのような人から影響を受けやすいのでしょうか。どのようなものを持っている人、あるいは、どのような特徴、特性を持っている人から影響を受けやすいと思いますか。

そんな観点から分類すると、影響力は大きく分けて6つに分類されるようです。(でも、ここでその6つの中身を羅列していっても仕方がないと思うので、興味ある人は調べてみて下さい)

ところで、この6つに分類された影響力全てに共通する(影響力を生み出すための) “資源” があります。それは、賞(手に入れたいと思うのもの)と罰(避けたいと思うもの)の2つです。

私たちの脳は「賞」を獲得し、「罰」を回避したいというようにプログラミングされているので、賞や罰が影響力のすべての源泉となるのです。

中でも、この「賞」と直接関わる「賞影響力」は一番分かりやすいでね。

これは、人の行動を変えたいと考えた場合、その人が手に入れたい、欲しいと思うものを示し、その人の行動の変容と引き換えにその賞を与えると約束することによって生み出される影響力です。

馬とニンジン

馬にとってはニンジンが(美人さんが?)賞になるでしょうし、私たちはその人の状況によって、おもちゃだったり、お金だったり、あるいは “認められること” が賞になることもあるでしょう。

そして影響力というのは、「自分以外の誰か」だけが持っているものではなく、物であったり、事象であったり、あるいは自分自身も自分に対しての影響力を持つことが出来ます。

例えば「釣り」。釣果という直接的な賞以外にも、魚からの手応え、開放的な空間で楽しめる、持って帰った魚で家族が喜んでくれる等々、様々な賞で釣り人を海へ川へと引っ張り出すのです。

(積読の次は、釣果。なんて読むか知ってますか? 「ちょうか」って読むんですね。私、間違えてた)

満員電車も会議も上司からの叱責も、週末出かける予定の釣りのことを考えるだけで、あなたの感情には大きな変化(影響)が生じることでしょう。

あるいは、私たちが自分の人生に良いことをもたらすであろう何らかの行動(例えば早起きとか)を習慣にしようとする時も、この賞影響力を有効に使うことで容易に実現できるかもしれません。

早起き出来た日には、大好きなケーキを一つ食べていいといった「自分にご褒美をあげる」ことにしたり、もしかしたらカレンダーに◎を記すといった些細なことでも賞になる人もいるでしょう。

宿泊中にタオルを再利用することによって環境に配慮・・・

先の6つのカテゴリからは外れますが、「社会的証明」と呼ばれる影響力もちょっと興味深い。

これは例えば、「数多くの人がやっていることだから、それは社会的に正しいことであり、正しいと証明されているに違いない」という判断の元に行動する(影響を受ける)もの。

「値段の高いものは、良いものに違いない」とか、「多くの人が買っているものは、良い商品に違いない」といったことですが、逆に社会的に望ましくない場合もあるようです。

例えば駅前での駐輪、タバコのポイ捨てなどの迷惑行為がなかなか無くならない一つの要因が、この社会的証明というものにあるそうです。

一方、この社会的証明を社会に活かすこともできます。

皆さんもホテルに泊まった際に、連泊客にタオルの再利用(翌日、新しいタオルを用意せず、もう一日同じタオルを使ってもらう)をお願いするメッセージを見たことがあると思います。

タオル

あるホテルで、このメッセージの文面を色々と変えて、その効果を2ヶ月間に渡って測定するという実験が行われました。

いくつかの文面で行われたのですが、シンプルに、「環境保護のために・・・・・」というメッセージの場合、タオルの再利用率は宿泊客の1/3に過ぎませんでした。ところが、

「環境を保護するために、ほかのお客様の輪に加わって下さい。調査では、宿泊中にタオルを再利用することによって環境に配慮された○○号室にご滞在のお客様が75%いらっしゃいました。お客様もこの輪に加わることができます」

というメッセージに変えると、宿泊客の約半分がタオルの再利用をしたそうです。

既に環境保護活動をしている人たちがいて、その人たちの輪に加わって欲しいというコメントを加えると、再利用率は上がり、更に、タオルの再利用を実行している人と宿泊客の類似性(この場合、同室ということ)を強調すると、さらにその数字が上がったのです。

自分と似ている人の行動には、人はいっそう影響を受けやすいようです。



安達元一 著 『視聴率200%男』 -- 豚の宅急便 !?

『秘密のケンミンSHOW』というTV番組を見ていたら、北九州市の門司港で名物料理として親しまれている「焼きカレー」なる食べ物の紹介をしていました。

作り方はオーブン皿にご飯を盛り、その中心を少し凹め、そこに生卵を落とし、その上から普通のカレー(前日の残りカレーがベスト?)をかけ、更にチーズを振りかけてオーブンで焼く。

たっぷりのチーズと、卵は半熟ってのがポイントかな。出来上がった焼きカレーにスプーンを入れると、半熟卵から出てきた黄身とご飯とカレーが混ざり合い、そこにチーズが絡み付く。

これは作り方を聞いただけでも、その美味しさが容易に想像できます。更に、カレーさえ作ってあれば、あとはどこの家庭でもあるような材料で作れるってのがミソ。

実際、我が家でも作ってみました。

焼きカレー

TVの映像を見て「美味しそう」って思う場面は珍しくないけど、その作り方を聞いただけで美味しさが想像出来る料理って、それほど多くないような気がする。

そして、その味を自分でも簡単に再現できそうな料理が紹介されるってのは、結構稀有なことなのではないかと、TVを見ながら奥さんと一緒に感心することしきり。

で、思ったのは、門司港から外へと全国規模で広がってもおかしくない料理だよなってこと。カレーショップでもバリエーションの一つとして出せるし、家庭でも簡単に作れる。

誰もが思いつきそうなシンプルなアイデア(料理)なのに、意外と思いつかないもんなんだな(実際には門司港以外でも食べてるのかもしれないけど)。

ジェームス・ヤングが 「アイデアの作り方」の中で書いている通り、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」って事が分かりやすく理解できる料理だなって。

「クイズ番組」と何を組み合わせる?

前回、小山薫堂さんの『考えないヒント』という本を紹介しましたが、放送作家繋がりで安達元一さんという、それこそ数々の有名番組を手がけてきた方を思い出しました。

この安達さんの著作に『視聴率200%男』という題名の本があります。1週間で担当する番組の全視聴率を合計すると200%を越える事から、命名した(自らのこと)らしいです。

視聴率200%男初版は2001年なので、私が読んだのは随分昔のことと記憶していますが、2014年にKindle本として再出版(?)されたようです。

本書の中で安達さんはこう言っています。

「実はテレビの世界に限っていうと、すでにアイデアはもう出尽くしているのです」

放送作家とはアイデアを売る商売なのに、「アイデアはもう出尽くしている」となると、どうすればいいのか。

「新しいアイデアを生み出すためには、私たちの身の回りに存在する様々な事物の間に、有用な、そして新しい関連性を見つけ出すこと」

これは、フレドリック・ヘレーン 著 「スウェーデン式アイデア・ブック」の中に書かれていたことですが、放送作家の方々も同じようなことをやっているようです。

「クイズ番組をやろう」となったら、

「不動産ブームだから、それにまつわるカルトなクイズ番組にしよう」
「誰もが興味があるダイエットや健康のクイズ番組にしよう」
「歴史は穴場だから、歴史クイズをやりましょう」
「いや、真面目な情報はウケない。面白実験クイズが面白い」
「スタジオの外に出て、マラソンしながらクイズに答えましょう」

なんて感じで、 “クイズ” と何かを組み合わせて、新しいアイデアを生み出すわけです。

社長風味のスープ ? 耳の宅急便?

安達さんは、アイデアが出てこないという人は、最初から完成形ばかりを求めているのではないでしょうか、って言ってます。

アイデアってのは、山ほどのくだらない使えないアイデアの中から、やっとのことで絞られて、最終的に使えるものが生まれるんだと。最初から完璧なアイデアなんて、一つもないんだよ、って。

だから、発想力がある人と無い人の違いは、簡単に言うと、一つの問題に対して、くだらなくてもたくさんの答えを出せる人と、完璧な答えが一つあると思い込んでいる人、の違いじゃないかな。

アイデアは「“何か” と “何か” の組み合わせに過ぎない」ってことは、極端な言い方をすれば、何でもいいからとにかくたくさん組み合わせていると、そのうち生まれてくるものなのかもしれない。

“言葉” も同じだって書かれています。例えば、「社長」という単語に別の言葉をつけて、新しい言葉を作ってみたらどんな単語が生まれるだろうか。

「ハゲ社長」「タコ社長」「ヒゲ社長」なんてのは想定内で面白くもなんともない。

 「ペンション 社長」・・・どんな所なんだ、どんな客が集まるんだ、どんな料理がでるんだ?
 「国立社長競技場」・・・どんな設備なんだ、どんな競技をやるんだ、いや観客が全員社長なの?
 「社長風味」・・・料理なのか、料理としたらどんな風味なんだ、あるいは単なる比喩なのか?
 
社長風味のスープ

言ってみれば、言葉遊びみたいなものですが、2chとかで見かける「言葉の入れ替え」などでも、見ているとつい笑ってしまうものも少なくありません。

例えば、『ジブリのタイトルを入れ替えて』では、

「となりの動く城」 「耳が豚」 「ハウルの動く豚」 「耳をぽろぽろ」 「耳の宅急便」 「天空のトトロ」 「平成の動く豚」 「豚の宅急便」 「となりの宅急便」 「となりの墓」 「動く墓」 ・・・・・

うーん・・・・・面白い。何かと何かを組み合わせてみたくなってきた。


木下晴弘 著 『涙の数だけ強くなれる!』 -- あるレジ打ちの女性

以前、どこかで出会って印象に残っていて、また読んでみたいんだけど、でもどこでだったか分からないから読めない、なんて話が私の中にいくつかあります。

トルコの「エルトゥールル号事件」とか、「クラスメイトのいいところを互いにリストアップして」という話も心に深く残っていて、何かの拍子に見つけたんでした。

また一つ見つけました。「あるレジ打ちの女性」って話なんだけど、題名が分かって検索してみると、けっこう色んなところで紹介されていたんですね。

私が見つけたのは、木下晴弘 著 『涙の数だけ強くなれる!』という本の中。全部で10編の話があるんだけど、その中の一つがこの「あるレジ打ちの女性」でした。

涙の数だけ大きくなれる木下さんのモットーは、「感動が人を動かす」というもの。

「人は何かのきっかけで変わります。そして人が変わる瞬間というのは、そこには『涙』の存在があるのです」。

だから、「人は涙の数だけ大きくなれる」。そんな意味合いを込めての題名とのこと。

一話一話は5分ぐらいで読める短いものですが、泣けます。

登場人物が話の中で流す涙。そしてその話を読んで私たちが流す涙。そこに人が変わる瞬間があるんだなってのが実感できるような話が満載です。

涙もろい人は、電車の中でとかでは読まないほうが身のためでしょうね。間違いなく気恥ずかしくなりますから。

だからこのレジに並ばせておくれよ

その女性は、何をしても続かない人でした。大学でサークルに入っても、すぐにイヤになってやめてしまいます。

仕事も同じ。最初の会社は、勤め始めて3か月で上司と衝突してやめてしまいました。次に就職した会社でも、自分が予想した仕事とは違うと思い、やはり半年でやめてしまったのです。

そんなことを繰り返しているうちに、彼女の履歴書には、入社と退社の経歴が長々と並ぶことになります。正社員として雇ってくれる会社がなくなった彼女は、派遣会社に登録しました。

でも、派遣先でも同じことの繰り返しです。何かイヤなことがあれば、やめてしまう彼女の履歴書には、やめた派遣先の長いリストが追加されることになります。

今度の派遣先は、スーパーでレジを打つ仕事。当時のレジスターは、バーコードをセンサーで読み取ってくれるようなものではなく、値段をいちいちキーボードに打ち込まなければなりませんでした。

そして、いつも通り一週間もすると、レジ打ちに飽きてしまいました。

もっと頑張らなければ、もっと耐えなければダメということは自分でも痛いほど分かっていました。でもどう頑張ってもなぜか続かないのです。

そんなある日、田舎の母から電話がかかってきました。

「帰っておいでよ」

受話器の向こうからのお母さんの優しい声で、迷いが吹っ切れました。彼女は辞表を書き、田舎に戻るつもりで部屋を片付け始めたのです。

荷物を整理していると、一冊のノートが出てきました。小さい頃の日記でした。そこには、「私はピアニストになりたい」という文字が。それは、小学校の頃の彼女の夢でした。

彼女は思い出しました。なぜかピアノの稽古だけは長く続いていたのです。でも、いつの間にかピアニストになる夢はあきらめていました。

「なんて情けないんだろう。私は、また今の仕事から逃げようとしている・・・」

彼女は日記を閉じ、泣きながらお母さんにこう電話をしたのです。

「お母さん、私、もう少しここで頑張る」

辞表を破り、翌日もあの単調なレジ打ちの仕事をするためにスーパーに出勤していきました。

レジ

そんな彼女に、ふとある考えた浮かびます。

「私は昔、ピアノの練習を繰り返ししているうちに、どのキーがどこにあるか指が覚えていた。そうなったら鍵盤を見ずに、楽譜を見るだけで弾けるようになった」

彼女は昔を思い出し、心に決めたのです。

「そうだ、私は私流にレジ打ちを極めてみよう」と。

彼女はピアノを弾くような気持ちで、レジスターのボタン配置を頭に叩きこみ、あとは、ひたすら打つ練習をしました。

そして、数日の内にもの凄いスピードでレジが打てるようになったのです。

すると、これまでレジのボタンだけ見ていた彼女が、お客さんの方に目が行くようなります。

「ああ、あのお客さん、昨日も来ていたな」
「ちょうどこの時間になったら子ども連れでくるんだ」
「この人はいつも店が閉まる間際にくる」

そんなある日、いつも期限切れ間近の安い物ばかり買うおばあちゃんが、5000円もする立派なタイをかごに入れてレジに持ってきたのです。

彼女はビックリして、思わずおばあちゃんに話しかけました。

「今日は何かいいことがあったんですか?」

おばあちゃんはニッコリして言いました。

「孫がね、水泳の賞を取ったんだよ。今日はそのお祝いなんだよ」

「いいですね。おめでとうございます」

嬉しくなった彼女の口から、自然に祝福の言葉が飛び出しました。

これをきっかけに、彼女はお客さんとコミュニケーションをとることが楽しくなります。いつしか彼女はレジにくるお客さんの顔をすっかり覚えてしまい、名前まで一致するようになりました。

「○○さん、今日はマグロよりカツオのほうがいいわよ」

レジに並んでいたお客さんも応えます。

「いいこと教えてくれたわ。今から換えてくるわね」

彼女は、だんだんこの仕事が楽しくなってきました。

そんなある日のことでした。

「今日はすごく忙しい」と思いながら、彼女はいつものようにお客さんとの会話を楽しみつつレジを打っていました。すると、店内放送が響きました。

「本日は込み合いまして大変申し訳ございません。どうぞ空いているレジにお回りください」

ところが、わずかな間をおいて、また放送が入ります。

「本日は込み合いまして大変申し訳ございません。重ねて申し上げますが、どうぞ空いているレジにお回りください」

そして3回目、同じ放送が聞こえてきた時に、初めて彼女はおかしいと気付き、周りを見回して驚きました。どうしたことか5つのレジが全部空いているのに、お客さんは自分のレジにしか並んでいなかったのです。

店長があわてて駆け寄ってきて、お客さんに「どうぞ空いているあちらのレジへとお回りください」と言ったその時、そのお客さんは店長の手を振りほどいてこう言いました。

「放っておいてちょうだい。私はここへ買い物に来ているんじゃない。あの人としゃべりに来ているんだ。だからこのレジじゃないとイヤなんだ」

その瞬間、彼女はワッと泣き崩れました。その姿を見て、他のお客さんも店長に言いました。

「そうそう。私たちはこの人と話をするのが楽しみで来ているんだ。今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ。だけど私は、このおねえさんと話をするためにここに来ているんだ。だからこのレジに並ばせておくれよ」

彼女はポロポロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした。既に彼女は、昔の自分ではなくなっていたのです。

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